<<序章~第15章>>
■第16章 河童の国と下山城守護代
「私が1番だ~!」
千熊丸は、五月晴れの空へ、拳を高く突き上げた。
田植え競争で1着になり、1年前の雪辱を果たしたのである。
「2番は誰だ?」
「俺だよ、美濃吉だよ・・・」
「ああ、美濃吉か。藍染の手ぬぐいを与えよう」
「ありがとう・・・」
あまり嬉しくなさそうである。
「藍染の手ぬぐいを5枚集めると、藍染の風呂敷も与えるから、がんばれよ」
「ホント?来年もがんばるぜ!俺も『風呂敷の彦六』みたいに立派な百姓になってやる!」
千熊丸は、自身が1着になることも想定して、シミュレーションをしていたのだ。百姓たちのやる気を奪わないための気遣いである。
実は千熊丸は、1着になるために、大善寺までの道の途中にある古沼の浅瀬で、事前に何度も田植えの練習をしていた。そのために浅瀬は千熊丸の足跡だらけになっている。
このことが、後にちょっとした悲劇を生む。
「松井め!こっちがいい条件を投げてやってるのに、見送ってばかりじゃないか!」
東寺で、六角定頼は激怒していた。
「朝倉宗滴殿ら朝倉勢も引き上げていったが、大丈夫なのか?」
将軍・足利義晴が尋ねた。
「まずいですね。数的にかなり不利です。三好元長が殴り込んできた時の様子からすれば、元長たち三好勢が攻め込んでくる可能性はほぼないと踏んでいますが、聞くところによると、柳本賢治が主戦論を唱えていて、それで和睦にも反対しているようです」
「細川尹賢(天邪鬼)の件で、恨みを抱いているだろうしな」
「賢治は強い。丹波勢だけで攻めて来られても、将軍様と高国様を守り切れるかどうか分かりません」
「それにしても、元長はどうしたのだ?松井は一時的な交代かと思っていたが、あの席に定着しているではないか」
「どうやら淡路で反乱があったようで、元長は、その鎮圧のために京を離れたようです」
「そうすると、次回の交渉の場で、元長に会えるのか!」
「いえ、私ども六角のほうが、時間切れです。田植えの時期なので、兵を戻さねばなりません。堺の財力を味方につけた元長がうらやましい限りです」
「もしかすると、松井は、我々の事情を見越して、見送りを続け、のらりくらりと延長をしてきたのかもしれんな。やはり、できる奴だ」
余談である。織田信長は「楽市楽座」でも有名だが、「楽市」を初めて行ったのは、この六角定頼であった。この時から21年後、近江の居城・観音寺城の城下町で楽市令を出したのである。経済力がなければ、兵農分離は難しい。銭の力だけがすべてではないが、やはり重要であることに間違いはない。
「今回は、細川(高国方・尹賢方)、朝倉、畠山(稙長方)、六角などで、最大5万の兵をそろえました。しかし、それでも京を奪還できません。他の大名にも呼びかけましたが、応じてくれた大名はいませんでした。他の大名の協力を得るためには、高国様に諸国を回ってもらって、直接、諸大名を説得してもらうしかありません。高国様、それでよいか?」
高国は目をつむり頷いた。実際は、こっくりこっくりと、居眠りをしているだけである。
「さすがだな。漢だよ、あんた」
「高国、すまん。いつも苦労をかけるな・・・」
将軍・義晴は涙をこぼした。
「そうと決まれば、高国様は一刻も早く出発したほうがいい。明日にでも出られるように、馬などを手配しておく。将軍様は、延暦寺の門前町の坂本に移られるのがよろしいかと思います。我々が坂本まで責任をもってお送りします」
5月14日、高国は馬に乗せられ出発させられていた。その後、供らと永源寺に入った。
将軍・義晴は、5月28日に、2万の軍勢に守られながら、近江坂本にたどり着いた。9月には朽木(くつき)に移っている。
これによって、六郎方が、完全に京を掌握したのである。
少し時を遡る。
「ここは・・・」
石成友通が目を覚ますと、筋骨隆々の裸の河童に抱かれていた。自身も全裸であった。
「ええ?」
「おお、気付かれましたか!あなたの身体が冷え切っていたので、こうして温めていたのです。救助が遅くなったことを謝っておいてくれと、兄が申しておりました」
「兄?」
「申し遅れました。私は、撫養掃部助の弟、撫養隠岐守(むや おきのかみ)と申します」
「今、揺れてますけど、もしかして船の中なんですか?」
「はい。もうすぐ故郷に着きます」
友通が着物を羽織って船倉を出ると、船員たちも皆、河童であった。
船が波止場に近づくと、出迎えに来た者らも皆、河童であった。
「河童の国・・・」
友通は狐につままれたような思いであった。
「阿古女(あこめ)、帰ってきたぞ!」
隠岐守は女房に手を振った。撫養阿古女は、わしがキャスティングするなら、いとうあさこさんだな。
「がっぽり儲けたかい?」
「元長様のお陰で高く売れたぞ!」
隠岐守は阿古女に答えた。
「も、元長・・・」
友通は、竜巻旋風投げを思い出し、少し頭がクラクラした。
「友通殿、無理をしてはいけません。もうしばらく休んでおきなさい」
隠岐守は優しかった。
船が波止場に着き、2人も下船した。
「この子は・・・」
「何やら追われているらしくてな。兄からしばらく匿ってくれと頼まれたんだ」
「そうだったのかい。それにしても・・・そっくり・・・」
「驚いただろう。俺も驚いた」
「あんた、歳はいくつだい」
「15です」
「同じだ・・・」
「友通殿、実は、我々夫婦には、川太郎という名の一人息子がいたのだ。しかし、川に流されて死んでしまった。医者によると、心の臓が突然止まってしまったらしい」
「この子はうちで預かってもいいんだね」
「うちで面倒を見よう」
「友通さん、私のことは『おかん』と呼びなさい。川太郎からそう呼ばれてたのよ」
「おかん・・・これからお世話になります。よろしくお願いします」
「川太郎!」
阿古女は思わず友通を抱きしめた。
(オイラ、河童に似てるのかなあ)
友通は自分の顔を確かめるように触った。
「とはいえ、ここの掟は『働かざる者食うべからず』よ。落ち着いたら、バリバリ働いてもらうからね」
「はい」
「松井てめえ、この野郎!こっちは京から撤退したんだ、もう用はないだろう!今さら何だっ!」
平伏する松井宗信に対して、六角定頼は怒声を浴びせた。
松井は6月、近江の観音寺城へ戻る途中の定頼に追い付き、面会にこぎつけたのであった。
「お怒りはごもっとも。しかし、こちらにも事情があったのです」
「お宅の事情なんか知らねえよ!六郎殿との縁談もなしだ!」
「お待ちください。腹を割ってお話します。六郎様は、将軍は義晴様のままでよいとのお考えなのです」
「はあ?将軍は譲位してやろうって、義晴様自らがおっしゃっているのに、それを要らんだと?お前ら、どうかしてんじゃねえか?」
「その代わり、高国様とは金輪際、縁を切っていただきたい。近江に入れず、援助もしないでいただきたい。特に義晴様のおられる朽木谷には入れないでいただきたい」
「・・・そんなこと・・・あんな立派な方を・・・」
「定頼様は、六郎様と姻戚関係を結んで、義父として、さらに幕政に影響力をお持ちになればよろしいではないですか」
定頼は一瞬ニヤリと笑った。しかしすぐに真顔に戻って尋ねた。
「オホン・・・お前はそもそも三好元長の代理だろ。元長は納得するのか?あの様子だと、しねえんじゃねえか?」
「どの様子ですか?」
「・・・まあ仮に、そうするとしてもだ、まずは義維様を阿波へ退去させろや。でなけりゃ信用できん」
「検討します」
「ところでお前と柳本賢治、京で随分とご活躍らしいな。荘園の代官を横取りしようとしていると、公家の連中から相談が来てるぜ。お前、軍勢持ちの賢治と組んで、下山城の守護代にでもなるつもりか?もしかすると、元長が邪魔なのか?」
「権力争いというやつは、どこででも起きるものです。我々にお味方していただければ、定頼様の利にもなるようにお取り計らいさせていただきます。義晴様のために、摂津富田の御料所も安堵させていただきます」
御料所とは、幕府等の直轄領のことである。
「ところで、気になっていることがあるのですが、最後に和睦の条件に付け加えらえた地子銭(じしせん)の件には、どういった経緯があるのでしょうか?元長殿と何か取引でも?」
「わしの口からは何も話せん・・・が、万が一、地子銭を民から取り立てれば、義晴様は元長に失望されるだろうな」
定頼はヒントを口にした。
「元長様、ご報告がございます」
淡路島の鎮圧を終え、加地為利と共に堺の顕本寺に帰ってきた元長に対して、京を任されていた塩田胤光が口を開いた。
「柳本賢治殿と松井宗信殿が、荘園の代官職を横取りしようと動いています。正直なところ、その勢いに押されています。申し訳ございません。下京の法華宗徒たちとは、顕本寺のご住職の口添えのお陰で、良い関係なのですが・・・」
「まあ、あんたは、真面目で武芸の達人だが、無口で不器用だからなあ。押しが強くて、明るさが取り柄の柳本賢治殿とは、正反対の性格だな」
賢治がサラリーマンなら、優秀な営業マンになっていたことだろう。
「為利、京に行って胤光に力を貸してやってくれ」
「いいぜ。淡路も当分問題は起きないだろうしな。俺のこの顔で代官職を取り戻してやるよ」
為利がヤクザなら、かなりの大物になっていたことだろう。
「賢治殿がそのような態度ならば、やはり六郎様に俺を正式に下山城の守護代に任じてもらって、その権威で抑え込むしかないな」
「京の治安維持のためにも、それがよろしいかと」
胤光が元長に同意した。
「面を上げよ」
引接寺の大広間で、堺公方・足利義維が言った。
大広間には、六郎方の武将が勢ぞろいしている。細川尹賢(天邪鬼)の姿はない。
「此度は大儀であったな」
「はい。無事、淡路での反乱を鎮圧してまいりました。島田遠江守時儀(月光)、蟇浦藤次常利(虎)、福良飛騨守速推(福良飛)、そして三好加介の活躍で、被害も最小限に抑えられたと考えております」
「それは何よりであったな」
「ところで、お願いがございます。俺を下山城の守護代に任じていただきたい」
「おい、それは俺にやらせろ!」
賢治が抗議の声を上げた。
「それから、河内八箇所の代官職もいただきたい」
「そこはわしが・・・」
木沢長政(天狗)は思わず声を出してしまった。
河内八箇所とは、現在の大阪市鶴見区・門真市・大東市にかけて存在した北野社等の荘園である。長政(天狗)はここを狙っていたのだ。
元長としては、義維と六郎が上洛できるように、山城の治安維持と、その道中の安全確保を考えただけであった。
「静粛に。これまでの元長の働きからすれば、当然の要求だと思うが、山城国守護でもある六郎はどうだ?」
義維は尋ねた。
「・・・」
六郎は、尹賢(天邪鬼)の話や賢治らの思いを考え、容易に答えることができなかった。
「六郎は、まだ若輩ゆえ、判断ができないのです。義維様のおっしゃるとおりにせよ!六郎!」
「・・・はい・・・」
可竹軒周聡の強い口調に、六郎は従った。
元長が下山城守護代と河内八箇所の代官に任じられることが決定した。
「くっ」
賢治は悔しがったが、元長の裏切りを表立ってなじることはできないので、やむなく引き下がった。もちろん、元長の裏切りというのは、尹賢(天邪鬼)が六郎に吹き込んだ嘘である。
「ところで、尹賢殿(天邪鬼)が高国の動向について情報を得たというので詳細を尋ねたところ、六角定頼殿から近江を追われ、大和に入ったらしい。高国は、大和の国衆たち、さらには南河内の畠山植長や伊勢の北畠晴具(きたばたけ はるとも)を糾合し、河内から西進して堺を攻める算段だと言うのだ」
周聡は述べた。
(尹賢、うまくやってくれたな)
長政(天狗)は相好を崩した。
「それはあり得る話ですね」
畠山義堯が言った。
「高国が国衆らを糾合する前に、急いで叩くべきでしょう。しかし、わしらも植長に備えなくてはなりません。どうでしょう、大和は、柳本賢治殿に攻め取っていただくというのは?」
長政(天狗)が提案した。
「元長は淡路から帰ってきたばかりだし、俺しかいねえか。ただし、大和一国は、俺の好きにさせてもらうぜ」
賢治による大和攻めが決定した。
「幸純様、山伏の浄春(じょうしゅん)が訪ねてきています」
「今、飯食ってる途中でしょうが!・・・まあいい、連れてこい」
大和の山中のボロ小屋に潜んで夕食をとっていた赤沢幸純(あかざわ ゆきすみ)は、家臣に命じた。
「お食事中に失礼するでありんすよ。ひどいボロ小屋ザンスね。かつて、お兄様の赤沢朝経(あかざわ ともつね)様は、大和と河内を席巻したというのに」
「相変わらずイヤミな奴だな。俺らの隠れ家は誰にも漏らすなよ。で、今日は何の用だ」
「阿波の赤沢次郎様からお手紙を預かってきたザンス」
浄春は書状を渡した。
「・・・柳本賢治殿が大和を北から攻めるから、我らには南から攻めよと。大和半国をくれるそうな・・・次郎、遠縁のわしらのことを気にかけてくれていたのか・・・」
幸純はすすり泣いた。
「次郎様は、誠意に溢れたお方でありんした。幸純様のことを毎日心配していたそうザンスよ」
「次郎、お前の誠意に感謝するぞ!ここで立ち上がらなきゃ、武士じゃねえ!野郎ども、戦の準備だ」
「賢治様との連絡は、わちきが取ってあげるザンス。まだ兵が少ないし、今居場所がバレるとマズいザンショ?」
「浄春、頼むぞ!攻め込む時期や場所を教えてくれ」
「次郎様にもくれぐれもと頼まれてるザンス。誠心誠意、対応させていただくザンス」
<<続く>>
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