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■桜満開の筒井池公園

公園

今日は、阪急高槻市駅から南へ徒歩8分ほどの場所にある筒井池公園じゃ。前回紹介した高槻市役所富田支所の隣じゃ。

はっきり言おう。筒井池公園は、いつもは閑散としておる。

ところが桜の季節にはこの賑わいじゃ。良いことじゃ。
筒井池公園は2つに分かれている。富田支所前の広場へ入り・・・

これは支所の広場の西側の桜じゃ。ここから広場を横切り東へ行くと・・・

池が残されたエリアがある。ここには、ソメイヨシノ(染井吉野)、シダレザクラ(枝垂桜)、オオシマザクラ(大島桜)、サトザクラ(里桜)、カワヅザクラ(河津桜)が植えられておるぞ。

「この池は(略)街を美しくする事業の一環として、又、住民の方々の憩いの場として造りました。(略)ゴミ、犬の糞等を捨てないで下さい。」とのことである。モラルをもって利用するのじゃ。

筒井池公園には大きな石碑が建てられておる。

地勢上、農業用水に恵まれなかった富田郷において、溜池は重要であった。その名残がこの筒井池公園である。
筒井池をはじめとする溜池を埋め立て処分して得られた収益は、今も住民の福利のために運用されておるのじゃ。先人たちに感謝しよう。

なお、以前紹介した教行寺の周辺は、戦国期の寺内町「富田寺内町(とんだじないまち)」であったが、それに対して筒井池の北東側は「寺外」と呼ばれる地域じゃった。筒井池も堀のようにして利用し、土塁でも囲んだ環濠集落・環濠都市であった。

この絵図は豪商清水家(紅屋)に伝わっていた「富田東岡宿絵図」じゃ。筒井池は紅屋池とも呼ばれておったらしい。
「寺内」は教行寺門徒中心の町であったが、「寺外」は「十人衆」と呼ばれる有力者達が取り仕切っておったそうな。一口に富田と言っても、かつてはいろんな集落があったのじゃ。
桜を愛でつつも、こうした歴史も感じてほしいのう。

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