★勝手に大河ドラマ「三好長慶」について
わしは「将軍よしひで」じゃ。室町幕府14代将軍・足利義栄(あしかが よしひで)が、現代に転生した、いわゆる「ゆるキャラ」である。
わしと同じく阿波(現在の徳島県)出身の、三好長慶(みよし ながよし)という素晴らしい戦国武将がいるのじゃが、未だに大河ドラマの主役になっていないと聞いた。
三好長慶は、「織田信長に先んじた天下人」と言われておるのじゃぞ。なぜ信長に先んじて大河ドラマにせぬのか!
わしのことを戦国最弱の将軍とか、戦国一影が薄い将軍などと呼ぶのも許しがたいが、三好長慶が大河ドラマどころか、その名が世間にさほど知られていないというのも残念じゃ。
そこで、わしが勝手に、脚本案とキャスト案を書くことにした。NHKの諸君は参考にされたい。
もし、大河ドラマにする場合は、わしにナレーションを任せるように。わし、毎回登場して、知名度を爆上げしたいのじゃ。
なお、この脚本案は、あくまでもフィクションであり、キャスト案やイメージは、わしの勝手な願望じゃ。実在の人物や団体等とは関係がない。また、武将らの親族関係等も諸説あるが、基本的には天野忠幸先生の「三好一族・戦国最初の『天下人』」に拠っている。徳島県三好市の「妖怪街道」の妖怪とは少し性質の違うものも出てくるが、ご容赦いただきたい。
■序章・禍々しき墓と奇怪な僧
将軍就任目前で、わしは上機嫌と緊張感の狭間にいて、妙に高揚した気分だった。
永禄9年(1566年)12月7日、28歳のわしは、三好三人衆とその兵に守られながら、京に近い摂津富田(現在の大阪府高槻市)の普門寺城に到着した。
三好三人衆とは、三好長慶の死後に、三好政権を取り仕切った三好長逸(ながやす)・三好宗渭(そうい)・石成友通(いわなり ともみち)の3人のことを指す。
「義栄様、ここが普門寺城でございます」
一足早く馬から降りた石成友通は、わしに駆け寄り、うやうやしく告げた。
石成友通は、おしゃべりの人懐っこい奴だ。わしが配役するなら、ハライチの澤部佑さんだな。
ちなみに、生前のわしの顔は、阿波公方民俗資料館に所蔵の座像のとおり、かまいたちの山内健司さんに似ておる。
「うむ、この規模の城にしては、なかなか守りも堅そうじゃ」
わしは石成友通の手を借り、馬から降りながら、分かった風な感じで言ってみた。なにせ、将軍になる男なので、威厳を示さなければならない。
普門寺城は高い土塀と深い堀に囲まれていた。これでは敵軍も容易に侵入できまい。そう見えた。
「いずれは京へお連れいたしますが、京はまだまだ情勢が不安定ゆえ、しばらくはここでご勘弁ください」
三人衆の中で最年長の三好長逸は、俳優の渡哲也さんのような渋い声で言った。
「期待しておるぞ」
わしも可能な限りの渋い声で返した。
わしらは衛兵が開けた城門をくぐった。
物見櫓が、何故か城の外に建てられており、そこにいる兵はこちらを見ている。普通は、外を見張るために、城の中に建てられているものなのだが。
一方で、城の中は、禅寺そのものである。わしらが進む石畳や、その両脇の植栽は、作り手の几帳面さを感じさせ、枯山水の庭は見事の一言であった。現在、普門寺は、高槻市で唯一の国指定の重要文化財(建造物)・名勝なのだが、当時も素晴らしかった。
しかし。しかしである。何とも奇妙なものが、美しい庭に、まるで主人公であるかのように立っている。それも、禍々しい気を放ちながら。
「美しい庭じゃ。見事なものじゃ・・・じゃが、あの宝篋印塔(ほうきょういんとう)は何じゃ?誰かの墓か?」
わしは前を歩く三好宗渭に尋ねた。
「・・・あれは・・・あれです・・・」
口ごもる三好宗渭。こいつはちょっと根暗だ。わしがキャスティングするなら、ブラックマヨネーズの吉田さんだ。
「すぐに京へ移りますし、お気になさらずとも」
石成友通が助け舟を出した。
気にするなと言われても、あれが気にならないほうがおかしい。実はわしは人一倍霊感が強い。わしは何度も墓らしきもののほうに、いぶかしげな視線を向けたが、他の者らは墓から視線をそらして歩き続けた。
わしの居城の真ん中に、知らない誰かの馬鹿でかい墓があるなんて、おかし過ぎないか?
大きな方丈の前で、わしは、石成友通に促され、履物を脱ぎ、縁側から上がった。三人衆もわしに続くものと思っていたが、何故か建物に入らない。
わしが障子の中から三人衆のほうへ振り返ると、誰もいなかったはずの縁側に、いつの間にか、一人の老僧が座っている。この老僧、配役できるなら、ウッチャンナンチャンの内村光良さんにしたい。
「先生、足利義栄様、ご到着にございます」
「うむ」
「それでは我々は、諸々所用がありますゆえ、これにて失礼」
「おい、ちょっと・・・」
わしは慌てて三人衆に戻るよう手招きしたが、奴らはそそくさと出ていきおった。
「ええ~、何それ」
「義栄殿、まあ座りなされ。まずは茶でも飲んで落ち着きなさい」
「この寺のご住職でおられますか」
「左様」
「失礼ですが、ご住職のお名前は何とおっしゃられるのでしょうか?」
「みな、わしを『先生』と呼ぶ」
「先生・・・私について、どのように聞いておられますか」
「しばらくここに逗留させておいてくれとくらいしか聞いておらんなあ」
「私、近々、将軍になる予定なんですけど、これから、どこへ行って、どんな手続きをすればいいんでしょうか?」
「知らん。まあ、そのうち、また三人衆が来るだろうから、その時に教えてもらえばいいんじゃないの?」
「朝廷に根回ししてるとかは言われてるんですけど、実際のところ、全然、実感なくて・・・本当に将軍になれるんでしょうかね?」
「なれるんじゃないの?あの三人衆が根回ししてるなら。知らんけど」
「そういえば、さっき、庭で、宝篋印塔を見たんですけど、あれは誰かの墓なんですか?」
「ああ、あれね。あれは、ほら、幕府の管領(かんれい)にもなったんだったかな?細川晴元の墓」
「晴元の・・・」
わしは絶句した。
細川晴元(ほそかわ はるもと)は、三好長慶の父である三好元長(みよし もとなが)を自刃に追い込んだ、言ってみれば長慶にとって父の仇である。
晴元は、本願寺に働きかけて、家臣である元長に、一向一揆をけしかけた。二十万ともいわれる一揆衆に対して、武勇で名をはせた元長も、さすがに観念し、妻と子の長慶らを船で堺から阿波へ逃がして、自身は囮となるべく奮戦したが、ついには顕本寺という法華宗の寺で自害した。
元長の切腹は凄まじいもので、腹を十文字に裂いた後、自身の手で内臓をつかみ出し、それを本堂の天井に投げつけたという。その武士としての見事な最期は、わしも伝え聞き、知っていた。
「晴元の墓が、何故ここに?」
「ここで死んだからじゃ。そもそも、この普門寺城は、晴元を幽閉するために、長慶が、オンボロの廃寺を改修したものじゃ。お主は、この城の高い土塀と深い堀を、外敵から守るためと思うたかもしれんが、逆じゃ。城内にいる晴元が、絶対に逃げられないように、土塀の忍び返しも内向けに付けられておるし、常に外の物見櫓から見張られておる。この普門寺城は、城とは名ばかりの、牢獄じゃ」
先生は土塀を指さした。
「あそこに削れたような跡があるじゃろ。あれは、晴元がよじ登ろうとして付けた足の跡じゃ」
土塀をよく見ると、殴りつけたような跡もある。
「晴元がここに来た当時は、気が触れたように暴れ回っていたが、半年もすると、憑き物がとれたかのように、大人しくなってのう。性格も顔も穏やかになり、もっと心を清めたいと、寺の手入れにも励むようになった。この寺の庭の大半も、晴元が造りおったのじゃ」
「それなら何故、三人衆は墓をあれほど避けるのでしょうか・・・私、あの墓から、なんとも禍々しい気が発せられているように感じてならんのです」
「晴元は・・・表向きは病死としておるが、実際には、殺されたからのう。その怨念を感じるのであろうな」
「ええっ!病死と聞いていましたが・・・」
「わしが留守にしている間に、奇妙な方法で殺されていたんじゃ」
「長慶の手の者にですか?」
「違う」
「では誰に?」
わしは霊感が強いだけではなく、好奇心のかたまりのような男でもある。
「それを語るには、ちと時間がかかるが、よいか?」
先生は、遠い目をして語り始めた。
今からわしが話すのは、先生から聞いた三好長慶の物語である。
■第1章 阿波の神童と人魚姫の秘密
5歳の千熊丸(せんくままる。後の三好長慶)は、苦しさに顔を歪めている。丸太のような太い腕で、背後から締め付けられて身動きがとれないうえに、頸動脈も圧迫されているのだ。
満面の笑みを浮かべながら、千熊丸を締め上げているのは、千熊丸の母である。名を、春といった。腕は極太だが、顔はほっそりとしていて、瓜実顔の美女である。
「阿波の神童も、まだまだ母には勝てませぬか。早う母より強くなっておくれ」
千熊丸が気付くと、朝になっていた。春は、我が子が胸の中で眠ってしまったと思い、布団の中に運んだのだが、実際には、千熊丸は絞め落とされていただけだった。
どうしてこうなったのか。千熊丸はこれまでの短い人生を振り返った。
千熊丸は、母の春と触れ合ったことがなかった。世話をしてくれたのは侍女で、春は少し離れた場所から千熊丸に声をかけ、微笑んでいるだけであった。
春は脚を不自由にしていて、立つことができない。そんな脚を気にしてか、常に裾の長い着物で爪先まで隠していた。
「こんな身体の不自由な姫様を、元長様はよく嫁にしたものだ。百姓の嫁なら、山に捨てられても、おかしくはない」
下男の陰口を聞いたときには、千熊丸はとても悲しい気持ちになった。
春は、陸の人魚姫さながらに、腕の力で館中を這いずり回っていた。
「だから腕の力が強くなったのよ」
春は前向きなことしか言わず、脚の不自由を人前で嘆いたことはない。
千熊丸が脚の不自由な母を助けようと春に近づくと、侍女が飛んできて制止した。春の体に障るからだと言う。
「僕が大きくなったら、母上をおんぶしてあげるからね」
それが千熊丸の口癖になった。
「千熊丸も、もう5歳だ。そろそろ春の相手をしても大丈夫ではないか」
昨日の夕げの時、久しぶりに館に帰ってきた父の三好元長(みよし もとなが)が言った。春と千熊丸は喜んだが、侍女は不安げだった。
元長をキャスティングするなら、俳優の岡田准一さんだな。
そして日暮れ。春は千熊丸の寝所にやってきた。
「千熊丸、母を倒してみなさい」
千熊丸は春が遊びのつもりで言っていると思い、押したり引いたりしてみた。
「もっと強く!拳で叩いてもいいのですよ」
身体の不自由な母を叩けるはずもない。しかし、母が望んでいる。千熊丸は軽く叩いた。
「もっと強く!本気でやりなさい」
千熊丸は、これは遊びではなく、母は自分を武士の子として鍛えようとしているのではと考えを改めた。そして、少し力を入れて、春の顔以外を叩いてみたのだが、びくともしない。
「では、こちらからもいきますよ」
春はそう言うと、千熊丸をつかまえ、嬉しそうに笑いながら、その背中を自分の胸に抱きしめた。
「阿波の神童も、まだまだ母には勝てませぬか。早う母より強くなっておくれ」
そして千熊丸は気を失って、朝となったのである。
「千熊丸、朝ですよ」
千熊丸との接触が解禁となった春が、畳の上を這いずりながら、嬉しそうに千熊丸を起こしにきた。
千熊丸は朝食を済ませると、「行ってきます」と春に告げ、侍女らに見送られて館を後にした。
千熊丸の館は芝生城(しぼうじょう。所在は徳島県三好市)の中にある。城主は、千熊丸の父の三好元長だ。
この頃の城には石垣はなく、芝生城も、土塁と土塀、堀で囲まれていた。北側は、阿讃山があり、要害となっているため、土塀と裏門があるだけであった。
裏門のそばでは三好家の家臣の子弟が談笑している。皆、元服前だ。「子泣き爺」と子らが陰口をする篠原長政(しのはら ながまさ)が点呼をとっている。
余談だが、芝生城のあった徳島県三好市は「児啼爺伝承の発祥の地」で、「妖怪街道」には様々な妖怪の像などがあるぞ。
同年代の者らが全員そろった組は、芝生城の裏門から、山の中腹にある大善寺へと駆け上っていく。駆け上ることは、城主である元長の命令だ。足腰を鍛えるためだという。
千熊丸の組も全員がそろった。
「年少組、出陣!」
篠原長政(子泣き爺)の甲高い声の合図に、千熊丸たちは「おう」と応え、走り出した。
大善寺への曲がりくねった道の脇には、樹が生い茂り、寺が管理する田や、藍などの畑、春になるとほとりの山桜が映える古沼などもあった。
「おお、今日も千熊丸が一番か」
組の中で一番に大善寺へたどり着いた千熊丸をにこやかに迎えたのは、この寺で一番偉い住職である。「先生」と皆から呼ばれているが、子らは陰で「ぬらりひょん」と呼んでいる。もちろん、千熊丸はそのような陰口に与しないが、自然と耳には入ってくる。
千熊丸の眼下には、もうすぐ田植えの始まる水田が広がり、吉野川が滔々と流れている。
大善寺では、僧らから読み書きや算術を習う。千熊丸には次期当主としての期待がかかっているためか、あるいは千熊丸自身の生来の賢さのためか、僧らも熱心に教えた結果、5~6歳も年上の者らと同じくらいの学力を身に付けていた。
千熊丸は同年代の子らと比べて体が一回り大きく、体力でも負けたことはない。
千熊丸のことを「阿波の神童」と誰かが呼び始め、それは城中に広がった。千熊丸自身は、少し恥ずかしい気持ちはあったが、誇らしくもあった。
その噂は母の耳にも入り、ついには忙しい父の耳にも入ったようである。
「よっ、阿波の神童!」
翌朝、朝の身支度をする千熊丸に、元長が声をかけた。
「今日はわしに付き合え」
元長は千熊丸を愛馬に乗せ、数名の伴と共に、南門から出て、水田に向かった。
「殿様じゃ!元長様じゃ!」
田植えの準備をしていた老若男女の農民たちが、元長に気付いて歓声を上げる。
「皆の者、今日はわしの自慢の息子を連れてきた。阿波の神童と名高い千熊丸だ・・・千熊丸、手を振ってやれ」
千熊丸は、訳の分からぬまま手を振った。農民たちは、またも歓声を上げる。
「いよいよ今日から田植えだな。この千熊丸にも田植えをやらせてもらえんか?十歳までの子どもら、手を挙げよ。」
二十名ほどの手が挙がる。
「まずは子どもらだけで田植え競争だ。一番の者には、このおしゃれな藍染の手ぬぐいを与える・・・千熊丸、お前も参加するのだ」
「わ、私もですか?やったことがないので、自信がありません」
「見よう見まねでやってみろ。阿波の神童ならできるはずだ」
千熊丸は、他の子どもの様子を見ながら、草履と足袋を脱いで、恐る恐る田の泥に足を入れた。
すると、リーダー格の老人が苗の束を千熊丸に渡しながら、
「千熊丸様、この苗を一つ一つ、少しずつ間隔を空けて、このように田に植えていくのです」
と親切に教えてくれる。
「では行くぞ。あそこの畔まで、誰が一番早いか勝負だ。いざ、始め!」
元長の合図と共に、子どもらが慣れた手つきで苗を植えていく。
千熊丸には、その手つきが、それほど速いとは思えなかった。これなら追いつけるはずだと、一歩を踏み出そうとしたが、泥に足をとられ、思うように進めない。
そして、焦ってバランスを失った千熊丸は、頭から田に突っ込んでしまった。
泥だらけになった千熊丸が顔を上げると、他の子らは苗を植え終わっていた。
「千熊丸が、泥田坊のようになっておるぞ。わははは」
元長は大笑いした。他の子らも「泥田坊じゃ。妖怪じゃ」と笑っている。千熊丸は涙目になり、泥を叩いた。
「一番は誰じゃ」
「俺です」
「名は何と申す」
「美濃吉です」
「美濃吉、よくやった。このおしゃれな藍染の手ぬぐいは、お前のものだ」
「やったー!」
「美濃吉、近う寄れ。手ぬぐいが汚れてはもったいない。わしが頭に巻いてやろう」
元長が、美濃吉の頭に手ぬぐい結ぶ頃、千熊丸もやっと苗を植え終えた。
「千熊丸よ」
元長は、落ち込む千熊丸に目線を合せて語りかけた。
「器の大きな男になれ」
「器が大きい男とはなんですか?」
「大きな大きな愛で、皆を包み込む男だ。お前はいずれ、わしの後を継いで領主になる。自分が恥をかいたからといって、領民に悔しがる姿を見せてはいけない。器が小さいと笑われるぞ」
「では、どうすればいいのですか?」
「負けた自分を笑うんだ。素直に敗北を認めて、勝った者を褒めてやれ。この広い世の中には、必ず上には上がいる。そういう奴を褒めて、あわよくば自分の味方にするんだ」
元長は立ち上がると叫んだ。
「次は大人の部をやるぞ!一番の者には、とっても便利でおしゃれな藍染の風呂敷を与える。欲しい者は準備せよ。わしも出るぞ」
若い男の農民が雄たけびを上げながら、我先にと、田に足を踏み入れた。
「千熊丸、わしが褒め上手の手本を見せてやるからな。よく見ていろ」
元長は裸足になり、袴の裾をまくり上げ、おそろしいほど太い太ももを見せた。
「では行くぞ。あそこの畔まで、誰が一番早いか勝負だ・・・いざ、始め!」
男らは、子どもの倍ほどの速さで苗を植え始めた。
ところが元長は、さらにその倍の速さで植え、農民らをごぼう抜きにして、あっという間に畔道に駆け上がった。
「ちくしょう、今年も元長様に負けた・・・」
「はははは・・・二番は誰じゃ」
元長は勝ち誇りながら尋ねた。
「俺です。彦六です」
「おお、彦六か。惜しかったな」
「いや、全然・・・今年も完敗です」
「そう落ち込むな。風呂敷はお前のものだ。おい、風呂敷を彦六の首にかけてやれ」
「・・・ありがとうございます・・・来年こそは、百姓の意地にかけて、元長様に勝ってみせます」
「期待しているぞ・・・おい、皆の衆、二番の彦六の健闘をたたえて、拍手してやれ」
拍手の中、元長は、悠々と千熊丸のところに戻ってきた。
「・・・父上、まったく手本になりません」
「そうか?それはすまんな。でも、勝ったうえで、敗者を褒めたほうが、領主として、かっこいいじゃん」
「・・・」
器の大きな男とは何なのか・・・あまり理解できないが、勝っても負けても、相手を褒めるのが領主の振る舞いなのだと、それだけは千熊丸にも分かった気がした。
その夜も、千熊丸の寝所に、春がやってきた。
「千熊丸、かわいそうに。今日は悔しい思いをしたんですってね。その気持ちを母にぶつけなさい」
母を叩くなど、母が大好きな千熊丸にはとてもできないのだが、母が望んでいる。今日は確かに悔しい気持ちもあり、昨晩より少し強く母を叩いてみた。
「その調子です。もっと強く叩きなさい」
春が喜んだので、もっと力を込めたが、春にはまったく効かない。ついには、全力を出してみたが、まったく効いていないようだった。
「少し強くなりましたね。でも、まだまだ母には及びませぬ。早う母より強くなっておくれ」
そして昨晩のように、嬉しそうな春の胸に捕らえられ、太い腕の筋肉で締めつけられた。
布団の中で千熊丸が意識を取り戻すと、まだ夜中であった。
父と母の声が聞こえる。
「千熊丸とは、存分に触れ合ったのか?」
「はい」
「もう、やり残したことはないな?」
「はい」
「では山に行くか」
こんな夜中に、山へ。まさか、脚の不自由な母を捨てに行くのか・・・
不安になった千熊丸は、障子を少し開け、そっと両親の様子を窺った。すると、元長が春を背負って山のほうへ歩いていく。
城主の館の裏には、山へ続く出入り口が密かに設けられている。非常時には、そこから逃げるようにと言われているが、元長はそこを抜け、山道を走り出した。
満月が照らす山道を、千熊丸も走って追いかける。大善寺へ続く道に出た元長は、寺への坂道を、さらに速度を上げて登り始めた。
千熊丸も必死に追いかけたが、父のあまりの速さに、見失ってしまった。重い母を背負って、何故あれだけの速さで走ることができるのか。
千熊丸は、とりあえず寺まで行くことにした。寺に着くと、本堂にほんのりと明かりがともっている。
「ああ~、あああ~」
本堂に近づくと、苦しいような、艶めかしいような、春の声が聞こえてくる。
千熊丸が障子の隙間から覗いてみると、二人は畳の上を転がり回り、元長のほうが、春の背後から首を絞めている。春はそこから逃れようと、うめきながら、もがいているのだ。
「・・・参りました」
春が言うと、元長は手を放した。
「も、もう一本お願いします」
春はそう言うと、立ち上がった。
立ち上がった春の背は、元長をはるかに超えるものだった。背が高いだけではない。春は道着を着ていたが、春の巨躯に対して小さ過ぎる道着からは、金剛力士像よりも太い筋肉で覆われた長い手足が伸びていた。
「よし、いつでもかかってこい」
元長が言うやいなや、春は拳で殴りかかるが、元長は素早く身をかわす。春の回し蹴りが空を蹴る隙を突いて、元長がするりと春の背後をとり、引き倒して、送り襟絞めにした。
「・・・こんな時に、あれですけど」
春が苦しそうな声で言った。
「何だ?」
「また、ややこができたようです」
「何故それを早く言わん!」
元長は急いで技をほどいた。
「だって、言ったら、鍛錬してくれないじゃないですか」
「当たり前だ」
春は毎年のように子を産んだ。千熊丸の次は女子が二人続けて生まれ、それぞれ、夏、秋と名付けられた。その年の大永6年(1526年)の初めには、千満丸(せんまんまる。後の三好実休)が生まれたばかりだった。
「次の子も無事に生んでくれ。春の子だ、きっと強い子になる・・・しかし、夜の鍛錬は、しばらく休みだ」
千熊丸は、安心しつつも、春が立ち上がったことには困惑しながら、忍び足で寺を離れ、駆け足で館に戻った。
元長は、春に自分の小袖も着せて、お姫様抱っこで慎重に館に連れて帰った。
翌日。千熊丸は、素知らぬ顔で、いつもどおりの一日を過ごした。
夜、千熊丸の寝所に来たのは、春ではなく、元長だった。
「よっ、阿波の神童!今からわしに付き合え」
元長は、千熊丸を背負うと、「舌をかむなよ」と言って、大善寺までの山道を、おそろしい速さで駆け上がった。
「春に比べると随分軽いな。これでは鍛錬にならん」
元長は物足りなさそうだった。
大善寺の本堂で、元長は千熊丸に切り出した。
「昨日の晩、見ていたな?」
元長には、ばれていた。
「・・・はい」
千熊丸は素直に認めた。
「春が立ち上がって驚いただろう。立ち上がるどころか、元気に暴れ回っていたからな」
「・・・」
「お前は三好家の次期当主だ。春の秘密を教えておこう。絶対に誰にも言うな。約束してくれ」
「約束します」
「あれは9年前、爺様たちと淡路島で戦っていた時だ」
元長は語り出した。
9年前、元長の祖父である三好之長(ゆきなが)は、主君である細川澄元(すみもと)の命令で、軍勢を引き連れ、阿波から淡路島に渡り、淡路国守護の細川尚春(ひさはる)を攻めた。敗北した尚春は堺に逃れた。
なお、「守護」とは、室町幕府が国単位に置いた、行政官と軍事指揮官を兼ねた役職のことで、今でいえば、県知事が軍隊をもっているようなものである。だが、そんな役職も、有名無実になっていくのが戦国時代だ。
三好之長は、応仁の乱の頃から活躍する歴戦の武将である。軍事的な才覚があるだけではなく、京で徳政一揆を扇動したり、自治都市を味方につけたりと、民心の掌握や交渉事にも長けていた。田中角栄はコンピュータ付きブルドーザーと呼ばれたが、之長は、軍勢付き田中角栄といったところか。その豪快さは、わしに、俳優の勝新太郎さんを思わせる。
之長に従って、元長も淡路島に渡り、戦った。元長にとって初陣であったが、数多の敵を討ち取り、勝利に大きく貢献した。
「退け、退けえ」
敵方から退却の声が聞こえる。
之長らは、矢を射かけながら、尚春方の兵を港に追いやり、船で沖まで逃げてゆくのを確認すると、これ見よがしに勝鬨を上げた。
「元長よ、初陣でこれだけの武功を上げた者は他におらんぞ。しかし、突っ走りすぎだ。疲労困憊ではないか。戦は一人でやるものではないのだぞ。お前はしばらくここで休め。万が一、尚春が引き返してきたときには、すぐに報せるのじゃ。わしらは残党を狩りながら陣に戻る」
之長は、疲れ果てている元長にそう言うと、地元に明るい足軽二名を元長に付け、引き上げていった。
船影が見えなくなり、日も落ちたので、元長は、松明を掲げる足軽たちを先導させながら、陣に向かった。
あちこちから焼け焦げた臭いがする。撤退する尚春勢が火を放ったのだ。
突然、暗闇から、巨大な影が現れた。人のようではあるが、あまりも巨体である。しかも、頭には2本の突起が見え、恐ろしい形相をしている。それが元長たちの前に立ち塞がった。
「お、鬼じゃ~」
叫んだ足軽の頭を、鬼は手にした長い棒で薙ぎ払った。足軽の頭は割れた西瓜のようになった。
もう一人の足軽は硬直していたが、仲間を助けようと一歩踏み出した。すると、鬼は、返す刀で足軽の胴に一撃を与えた。すべてのあばらが砕けたような音がして、足軽は絶命した。
元長は、馬から降り、鞘から刀を抜く。鬼は元長に向かってきた。
鬼は上から棒を振り下ろす。元長は刀で受けたが、刀は真っ二つに折れてしまった。
元長は刀を捨てた。
鬼はなおも上段から棒を振り下ろす。
元長は素早く踏み込み、鬼の懐へ飛び込むと、背負い投げで鬼を地面に叩きつけた。そして背後から送り襟絞めにした。
鬼は逃れようと暴れ回ったが、しばらくすると気絶した。
元長は違和感を覚えていた。その違和感の原因を探るため、鬼の胸をまさぐり、着物の裾から股間を覗き込んだ。
「やはりな」
「おやめください!姫を辱めないでください!」
物陰から女が飛び出してきた。
「姫?」
「安宅冬馬(あたぎ とうま)様のご息女の春姫様です。鬼ではありません。面を着けているだけです」
元長が松明をかざして鬼の顔をよく見ると、能の般若の面であった。その面をとると、体つきとは不釣り合いな、美しい顔が現れた。
「冬馬殿の娘?どういうことだ。話してみろ」
元長は、春を縛りながら尋ねた。目覚めたときに暴れられては困る。
女は話し始めた。
春姫様は、このとおりの巨体で、人目を避けて屋敷の奥で暮らしていたため、外の状況が分からなかった。しかし、火が屋敷にも及んできたので、顔を隠すため能面をつけ、冬馬の武器の金砕棒を持ち、屋敷を出たのだと。
春が意識を取り戻した。
「俺は阿波の三好元長だ。事情はそこの女から聞いた。しかし、これはどうしたものか・・・」
元長は、二人の足軽の死体を指さした。
「私は、怖くて、ただ棒を振り回しただけなのです」
春は生い立ちを話し始めた。春は生まれた時から大きかったが、その体の成長も速かった。十二歳の頃、春の体の大きさをからかった下男の頭を叩いたところ、首の骨が折れて死んでしまった。春は感情が高ぶると、力の加減ができなくなるのだ。それ以来、安宅冬馬は、対外的には病気だとして、一人娘の春を座敷牢に閉じ込めた。身体を動かすのが大好きな春にとっては苦痛であり、座敷牢の中でとにかく身体を鍛えに鍛えた。その事情を知るのは、冬馬のほかには、そこの侍女だけである。なお母は、下男が死んで間もなく、気を病んだせいか亡くなってしまった。
春の話しぶりから、元長は、春の聡明さも感じ取った。
「そうか。それは仕方がないかもしれない。ではこうしよう。そこの足軽二人は、細川尚春方の残党によって殺された。そして、その残党は、わしが崖から海に蹴落とした。道中で、冬馬殿の屋敷から、脚の病気で動けなかった春殿を救い出した。これなら春殿は罪には問われまい」
「・・・」
「姫様、元長様のおっしゃられたとおりになさいませ」
侍女は同意を促した。
「・・・牢の中は、もう嫌です・・・」
「では、そういうことで、よいな」
春は頷いた。
「それから、誠に申し上げにくいのだが・・・冬馬殿は、『不死身の冬馬』の二つ名のとおり、勇猛果敢に戦かわれたが・・・討ち死になされた」
「ううう・・・あれほど不死身だ、俺は不死身だと言ってたのに・・・不死身なのに、なんで死んだの・・・ううう・・・」
春は泣き出した。
「俺の父も戦のために死んだ。気持ちは分かるが、これは武家の宿命だ」
夜も更けた。ゆっくりしている暇もない。元長は春の縄をほどいた。
春と馬に乗ってみたが、馬がふらついている。重さに耐えられないようだ。
やむなく、元長は春を背負った。
「重くはないのですか?」
「これはいい鍛錬になる!」
元長は喜びに顔を輝かせた。
元長は、春を背負って馬も引き、侍女に松明をもたせて、陣へ向かった。
陣には、祖父の三好之長、叔父の三好長光(ながみつ)と芥川長則(ながのり)、そして淡路島の武将の安宅秀興(あたぎ ひでおき)がいた。
安宅秀興は、全身に入れ墨を入れており、厳つい顔には立派な白いひげを蓄えている。時には海賊と恐れられる、この水軍の親玉は、之長の調略で、三好方についていた。
「安宅冬馬殿のご息女、春殿をお連れしました」
元長は、春を背負ったまま、先ほど口裏を合わせた嘘の顛末を話した。
「春、無事だったのか!屋敷に激しく火の手が上がっておったから、もう駄目かと思っていた。元長殿、恩に着るぞ。弟の冬馬も、草葉の陰でさぞ喜んでいるに違いない」
「秀興殿、お願いがござる。春殿を俺の嫁にいただきたい」
元長は唐突に申し出た。
「はあ?」
春を含め皆、呆気にとられている。
一人笑い声を上げたのは、之長である。
「わははは、元長、良い嫁を見つけたのう」
「いや、確かに、お前は常日頃から、でかい女が好きだ、でかい女はいないか、とは言っていたが、でかいにもほどがある。足が地面についているではないか」
叔父の三好長光が言った。三好長光は、わしのイメージでは石原裕次郎さんである。
元長の負担を少しでも減らそうと、春が足を地面につけていたのが、裏目に出たようだ。春は思わず足を浮かせた。
「春殿ほどのでかい女を、俺は見たことがない。しかも、このズシリと重いのも良い」
元長が言うと、春は、気恥ずかしさから、元長の頭をはたいた。
「わははは。大猪を仕留めたときの物言いじゃな、それは」
再び之長は笑った。
「体つきも尋常やないで。ホンマに女なんか?」
叔父の芥川長則が言った。芥川長則は、わしのイメージでは横山やすし師匠である。
祖父は孫に対しておおらかだが、父親代わりを自任する叔父たちは心配になっているのだ。
「それは間違いない。気絶している間に、入念に体を調べた」
春は、恥ずかしさのあまり、元長の頭を二度強くはたいた。
「元長殿、ご承知のとおり、春は脚が不自由だ。そのような女でも良いのか?」
安宅秀興が心配そうに尋ねた。
「俺は春殿に一目ぼれをしたのだ。春殿以外は考えられん。お願いいたす。春殿を俺の嫁にいただきたい」
春は元長を背後から抱きしめた。まるで筋肉に包み込まれたようになった元長は、気絶しそうになったが、耐えた。
之長は長光に耳打ちした。
「安宅と縁を結ぶには、良い機会ではないか」
四国の阿波に本拠を置く三好が、京に上るうえで、淡路島は非常に重要であった。
「しかし、脚が不自由では・・・」
「跡継ぎは、側室に産ませればよい。春殿を嫁にもらえば、秀興殿に恩が売れる」
長光は納得したようにうなずいた。
「秀興殿、わしからもお願いいたす。元長がこれほど懇願するのは初めてじゃ。春殿を元長の嫁にくれぬか」
之長は言って、頭を下げた。
「あい分かった。この秀興、感激いたしましたぞ・・・ただ、冬馬をはじめ、少なくない者らが亡くなっておる。その四十九日を待って、もし元長殿の気持ちが変わらぬのであれば、ぜひ春を嫁にもらってくれ。春、よいか?」
春は大きくうなずいた。
「元長、お前はすぐに阿波に戻れ。そして婚礼の支度を整えて、春殿を迎えにまいれ」
「分かりました。爺様、ありがとう」
之長と元長がやりとりをしている間も、秀興は、「感激じゃ、感激じゃ」と感涙にむせんで、白いひげを濡らしている。
「浮足立っておるが、わしの言いつけは忘れるな。言ってみろ」
「泥にまみれて民の声を聞け。そして鍛錬を怠るな」
「忘れず励め。お前は三好の次期当主なのだ」
・・・こうして、「秀興、感激」と言わしめ、春は俺の嫁になったのだと、元長は語った。
「お前の体が大きく丈夫なのも、春の血のお陰だ。ただ、俺が嘘を強いたために、春は脚の不自由を演じ続ける羽目になってしまった」
千熊丸は、謎が解けたような気がした。
「秘密は守ってくれよ・・・しかし困った。鍛錬の相手がいない」
「父上、私に稽古をつけてください」
「そうだな。そろそろいいだろう。その前に、心構えを教えてやろう」
「はい」
「実のところ、将たる者は、刀や槍を、それほど使わない」
「えっ?」
「もちろん、それらの扱いに熟達することも重要だ。しかし、もっと大事なことがある。無手でも相手を圧倒できる力だ」
「何故ですか?」
「自分よりも身分の高い者と会う時は、武器を持ち込むことができない。そうした心理的にも不利な状況で交渉する時、必要なものは胆力だ。胆力はどこから出てくる?自信だ。素手でも相手を容易く圧倒できる自信があれば、物おじすることはない。特に年若い時こそ、そういう自信が必要なのだ。だから千熊丸、身体を鍛えろ。技を磨け」
元長は立ち上がった。
「俺が先生から教わった柔術を、お前に教えてやろう。立ってみろ」
千熊丸は立ち上がった。
「まずは受け身だ。地面にたたきつけられると、痛みで動けなくなってしまう。それを防ぐのが受け身だ。うまく受け身をとれば痛みはない。まずは前回り受け身だ。こうして前に転がり、衝撃を、回転の力で逃がすと同時に、腕も使い接地面積を大きくして分散させるのだ。そしてすぐに起き上がれ。戦場で寝転がっていると死ぬぞ」
千熊丸は見よう見まねでやってみた。
「その調子だ。倒れても、すぐに起き上がれ。倒れても、起きる。倒れても、起きる。だ」
ひとしきり受け身の練習をした後、「よし、今日はいいだろう」と元長は千熊丸に声をかけた。
「父上、実は・・・」
「何だ?」
「昨日も一昨日も、母上に絞めつけられ、気を失ってしまったのです」
「まだ耐えられなかったか」
「首も絞められ、声を出すこともできません。どうすればよいでしょうか?」
「そういう場合は、トントンと、どこかを二回叩くのだ。それが技を緩める暗黙の了解となっている。俺の首を絞めてみろ」
千熊丸が元長の首を絞めると、その腕を元長が軽く二回叩いた。
「こうだ。これを手本とせよ」
「ありがとうございます」
元長は千熊丸を背負って帰宅した。
次の日の晩、元長は出かけて留守にしていた。すると、春が千熊丸の寝所にやってきた。
「柔術の稽古を始めたそうですね。技をかけてみなさい」
「いえ、まだ受け身しか・・・」
春はまた千熊丸をつかまえ、筋肉で包み込んだ。我が子を抱ける嬉しさで愛情が爆発し、力加減ができていない。
「さあ、母を投げてみなさい」
「・・・」
声の出せない千熊丸は、母の体をトントンと叩いてみた。しかし何の反応もない。
(・・・父上、手本のとおりになりません・・・)
千熊丸は、遠のく意識の中で思った。
元長は、昨晩のことを思い返していた。
「そういえば俺、春にトントンと叩いたことがなかったな。負けたことがないからなあ。まあ、大丈夫だろう」
■第2章 瓜爺さんと狐と河童
5月4日、元長と千熊丸は馬上にいる。数人の供を従えて、阿波(現在の徳島県)を西から東へ流れる吉野川(現在の旧吉野川)の北岸を東へ進んでいた。元長の主君である細川六郎(後の細川晴元)のいる勝瑞(しょうずい。所在は徳島県板野郡藍住町)へ向かっているのだ。「六郎様へ、端午の節句の祝いの品を届けるためだ」と、元長は千熊丸に事前に説明している。
吉野川を筏が流れている。
「父上、あれはどこへ行くのでしょうか?」
「河口の関所へと向かっているのだ。材木として、淡路島を経由して堺などへ運ばれるものもあれば、船の材料に使われるものもある。明日はその河口の様子も見せてやろう」
一行は途上の岩倉城に着いた。
「ここで休憩だ」
城門をくぐり、中へ進む。
中庭で、上半身裸で木刀を振っているのは三好康長(やすなが)だ。18歳である。わしが配役するなら、パンサーの尾形さんだな。
「ヤス、鍛錬しておるか?」
そう言いながら、元長は、康長の大胸筋を拳で叩いた。
「元兄(もとにい)、当たり前だよ」
康長も、元長の大胸筋を拳で叩き返した。康長は元長を「元兄(もとにい)」と呼ぶ。
「ほう、随分たくましくなったではないか」
元長は、康長の大胸筋を、少し強めた拳で叩き返した。
「鍛錬を欠かしてないからな」
康長も、元長の大胸筋を拳でさらに叩き返した。
互いに大胸筋を叩き合うのが、三好家中の挨拶らしい。
叩かれ過ぎた康長の大胸筋には、赤い蝶のような痣ができていた。それでも康長は嬉しそうに笑っている。元長を慕っているのだ。
「千熊丸、久しぶりだなあ。ヤス兄だ、覚えておるか?」
康長は千熊丸を抱き上げた。
「はい」
千熊丸は答えた。
「それにしても大きくなったな。しかも賢そうだ。さすが『阿波の神童』だな」
「ヤスよ、明日、端午の節句の祝いを六郎様に届けようと思ってな。少しここで馬を休憩させてくれ」
「それならわしも連れていけ。早採りのまくわ瓜を六郎様に献上したい」
そう声を上げたのは、畑で土いじりをしていた三好一秀(かずひで)である。岩倉城の城主だ。
一秀は康長の祖父である。一秀は、元長の祖父・之長の弟であり、元長と康長とは、はとこに当たる。
まくわ瓜とは、メロンのような甘い瓜で、日本で古くから親しまれてきた。
「だったら、できるだけ瓜を持っていってくれ。瓜はもう見飽きた」
康長がげんなりした顔で言った。
「瓜に失礼なことを言うな。瓜を笑う者は、瓜に泣くのじゃ」
「そんなことわざはない!城のあちこちを瓜畑にしやがって。この瓜ジジイが」
「瓜ジジイとはひどい。せめて瓜爺さんと呼べ」
元長の一行に、籠一杯の瓜を馬に積んだ瓜爺が加わった。
岩倉城からしばらく進むと、一艘の船が追い付いてきた。
「元長様!」
「おう、一忠・・・千熊丸よ、こやつは三谷城の城主の塩田一忠(しおた かずただ)だ。川港の惣持院(そうじいん)も任せている。文武両道の頼りになる奴だ」
「千熊丸様、塩田一忠でございます。神童とのお噂はかねがね伺っております」
一忠は、頭に巻いた藍染の手ぬぐいを取り、千熊丸に一礼した。
「一忠、藍のほうはどうだ?」
「例年通り。順調です」
川港の惣持院は、藍の集荷地となっている。三好家にとって最も重要な拠点の一つだ。
「鍛錬のほうはどうだ?」
「叔父の両刀術に勝つために、三刀流を研究しております」
一忠の腰には3本の刀がぶら下がっている。
供の者らがザワザワとし始めた。
「神道流にそのような術はなかったはずだが」
「三刀流?どうやるのだ?」
「口にでも咥えるのか?しかし、しゃべることができなくなるし、歯も折れるぞ」
瓜爺こと三好一秀が、船上の塩田一忠へ瓜を投げた。
「一忠、早採りのまくわ瓜じゃ、食え・・・しかし、剣客という人種は、普段は無口なのに、武芸のこととなると、途端に饒舌になるのう」
一忠は、まくわ瓜を腹巻に仕舞った。
「一忠、三刀流とはどのようなものだ?」
元長の供の塩田胤光(しおた たねみつ)が尋ねた。胤光は一忠の叔父である。男は黙って高倉健というタイプだが、さすがに黙っていられなかったようである。
「はははは、今は教えられません。手合わせの際にお見せいたします」
「一忠兄、私と手合わせ願いたい」
「私も」
胤光の次男・胤正(たねまさ)、三男・胤氏(たねうじ)も声を上げた。この剣客の親子は、元長の馬廻衆(護衛)と三好家の武術指南を兼ねている。なお、長男は胤貞(たねさだ)で、今日は城で留守番だ。
「そのうちな。それでは、元長様、私は一足先に、荷を勝瑞の屋敷へ届けてまいります。御免」
一忠は、船頭に指示をして、船を出させた。
「三刀流など、馬鹿なことを。魔法使いでもあるまいに。剣の道を見失っていなければよいのだが・・・」
胤光が嘆息した。
「魔法ということであれば、なくはない。なにせ、細川政元(まさもと)様もお使いになられていたのだからのう」
瓜爺が言った。
細川政元は、元長らの主君である細川六郎(後の晴元)の父・澄元の養父である。つまり、六郎からすれば養祖父に当たる。
詳しい経緯は省略するが、室町幕府の管領であった細川政元は、戦国時代のきっかけとなった応仁の乱の勝者である。意に添わぬ将軍を追放するなどして幕政を牛耳り、「半将軍」とまで称された。
余談だが、その半将軍・政元が使った魔法が、「飯綱の法」(いずなのほう)だ。
「飯綱の法」は、霊的な動物である「飯綱」を使うので、その魔法を使う者は「飯綱使い」と呼ばれた。
政元は「空中に立った」らしい。飯綱には、他にも、予言をしたり、相手を病気にしたりと、様々な能力のものがあることからすると、「ジョジョの奇妙な冒険」の「スタンド」と同じようなものと考えてよいだろう。
「政元邸で夜中に怪鳥が出現した」という目撃談からすれば、政元のスタンド、もとい飯綱は、人を持ち上げて飛ぶことができる大きな鳥型のものだったかもしれない。
政元は「飯綱の法」を得るため、女人禁制の戒めを守り、結婚しなかった。山伏のように、修験道の厳しい修行も度々行った。
30歳まで童貞だと魔法使いになれるという都市伝説があるが、政元がその噂の起源かもしれない。
この時代には、もう一人有名な飯綱使いがいて、後に千熊丸たちと出会うことになる。なので、読者の皆には、「飯綱使い」のことを覚えておいてほしい。
なお、政元は、飯綱使いの単なる変人ではなく、合理主義者であり、人事も実力主義で、そのために元長の祖父・之長も重用された。戦略が磨かれるからと囲碁を好み、龍安寺の枯山水の石庭も作った。応仁の乱の勝者は、伊達ではないのである。
「しかし、その多才な政元様が、後継者選びに失敗したことが、今の世の混乱につながっているのじゃ」
瓜爺が語り出した。
「飯綱使い」の修行のため、生涯独身で、実子のいなかった政元は、3人の男子を次々に養子にした。おとぎ話の「三匹の子豚」ならば、最終的に兄弟達は仲良く暮らすのだが、この3人の養子達は、細川家の宗家(京兆家)の当主の座を巡って、殺し合った。
一人目の養子の澄之(すみゆき)は、あろうことか養父の政元を暗殺した。二人目の養子の澄元(すみもと)と、三人目の養子の高国(たかくに)は、協力して、澄之を殺害。その後、家督を継いだ澄元を、高国が攻め、澄元は実家(阿波守護家)の阿波へ逃走し、元長の祖父・之長は捕らえられ、息子らと共に自害させられる。澄元は、嫡男・六郎と次男・彦九郎らを遺し、失意のうちに阿波で病死した。現在は、高国が幕府の実権を握っている。
つまり、細川高国は、六郎にとっても、元長にとっても、仇敵なのだ。高国さえ反旗を翻さなければ、今頃、六郎が細川京兆家の当主となっていたはずである。之長らも生きていたかもしれない。
「俺達は、六郎様と共に、必ず、仇を討ち、奪われたものを取り返す。そのための準備を着々と進めているのだ」
元長は硬い表情で言った。
「細川高国とは、どのような人物なのでしょうか?政元様のように飯綱を使うのでしょうか?」
千熊丸は尋ねた。
「飯綱使いとは聞いておらんな。容姿は、身体が大きいうえに、デブで、ハゲで、肌が浅黒い。京の童らは、妖怪の『ぬりかべ』のようだと噂しておったな」
瓜爺が答えた。
「いずれにせよ、油断ならぬ相手だ。準備を万全に整えたうえで、機を逃さず、討ち果たそうぞ」
元長が言った。
勝瑞に着いた一行は、元長の屋敷で一泊した。
勝瑞には、阿波国守護の守護所が置かれており、阿波の政治・経済・文化の中心地であった。その賑わいは、千熊丸のいる芝生城下とは比較にならない。
翌朝、元長一行は、細川六郎の館へ赴いた。
一行が通された広間には、鎧や兜など、端午の節句の飾りがされている。
「面を上げよ。よくぞ参った」
千熊丸が顔を上げると、上段の主座には、色白の少年が座っている。十三歳の細川六郎であった。「英雄三十六歌仙」で描かれているとおり、狐のような顔付きである。
「今日は祝いの品をお持ちしました。一忠、これへ」
元長がそう言うと、塩田一忠が、ズシリと銭の入った袋の載った三方(月見団子などを載せる木製の台)を差し出した。
「大儀じゃ」
六郎は、銭の重さに比して極めて軽く、労いの言葉を述べた。
「わしからは、早採りのまくわ瓜を・・・」
「もう、まくわ瓜が採れたのか!」
驚きの声を上げたのは、六郎の弟の細川彦九郎(ひこくろう。後の細川氏之(うじゆき))十一歳である。こちらも狐のような目鼻立ちであるが、色白の六郎とは違い、赤ら顔である。「白い狐と赤い狐の兄弟だ」と、千熊丸は心の中でつぶやいた。
彦九郎は、叔父の阿波国守護・細川之持(ほそかわ ゆきもち)の養子として、亡くなった之持の跡を継ぎ、阿波国守護となっている。
「左様でございます、彦九郎様。わしが長年、様々な瓜を掛け合わせておりましたら、早採りにもかかわらず、甘いものができました」
瓜爺こと一秀は自慢げに答えた。
「六郎様、せがれの千熊丸でございます」
「お初にお目にかかります。三好千熊丸でございます」
千熊丸は両手を前につき、丁寧に挨拶をした。
「おお千熊丸か。お主の神童ぶりは、この勝瑞にも聞こえておるぞ」
「お恥ずかしい限りでございます」
「今日は端午の節句じゃ。お主らにも、ちまきと菓子をふるまってやろう」
侍女らが菓子を膳に載せて運んできた。
「どうだ千熊丸、甘いだろう」
「こんなに甘い菓子、初めて食べました」
「そうだろう。芝生城では食べられまい」
六郎がマウントを取ってきた。
「私はまくわ瓜も好きですよ」
彦九郎がフォローした。
「この老いぼれが死ぬまでに、鎧兜を着けた六郎様と彦九郎様が、戦場で活躍される姿を見てみたいものですな」
瓜爺が、広間に飾られた鎧兜を見ながら言った。
「一秀、わしが戦場に立つ日は近いはずじゃ。その日のために、鍛錬を欠かしておらん。鍛錬の成果を見せてやろう。皆、馬場で待っておれ」
馬場とは、乗馬の訓練などをする場所である。
一行が馬場で待っていると、六郎が馬で駆けてきた。そして、馬上から弓で矢を放ち、見事に的に命中させた。
「どうじゃ」
「お見事でございます!」
元長が感嘆した。
余談だが、武家社会では、端午の節句で、こうした騎射を行うのが一般的だった。わしもよくやったが、うまく的に当てられたときが快感なのじゃ。
「元長よ、お主に言われるまでもなく、こうして日々鍛錬しておるのだ」
どうやら元長は、六郎にまで、鍛錬をとしつこく言っているようだ。
「千熊丸よ、お主も流鏑馬をやってみるか」
「やったことがありませんので・・・」
「阿波の神童ならできるのではないか?」
「滅相もございません。ご勘弁を」
千熊丸は、六郎の無茶ぶりを固辞し続けた。
いったい誰が六郎にまで「阿波の神童」などという噂を広めたのか。迷惑な話だと、千熊丸は思った。
「そうか。それでは仕方がない」
マウントを取れた六郎は満足そうだった。
「これから、足利義維(あしかが よしつな)様たちと連歌会をするのだが、元長、お主もどうじゃ」
「いや、俺は連歌というやつがどうも苦手で・・・」
「確かに、お主の句は、定句や輪廻ばかりでつまらんからのう。武芸ばかりではなく、連歌の腕も磨いたほうがよいぞ」
「・・・」
六郎は元長からも鮮やかにマウントを奪った。
「それでは、我々はこれにて失礼いたします」
「うむ」
元長一行は六郎に挨拶をして馬場を後にした。
「元長殿!」
館の門を出ようとすると、赤い狐の細川彦九郎が急ぎ足で追いかけてきた。
「今日もありがとうございました。兄が失礼なことばかり言って、申し訳ありません」
「いえ、六郎様の成長ぶりを見ることができて、嬉しい限りです」
「兄も毎日、学問に鍛錬にと、死に物狂いで励んでおります。ただ、連歌会というのは嘘なのです。元長殿を困らせるために、嘘をついたのです。何故、時々あのように嘘をつくのか・・・」
「良いではないですか。見栄を張りたいときもありましょう。六郎様は、いずれこの国の長となられるお方。その重圧の中で、日々努力されていることは重々承知しております」
「元長殿のお支えのお陰で、我々は守護所で安穏としておられるのです。感謝しております」
「滅相もありません。家臣として当然のことです」
「まくわ瓜も嬉しゅうございました。一秀殿、老いぼれなどと卑下なされず、長生きしてくだされ」
「なんと温かなお心遣い・・・この一秀、彦九郎様のために、老骨に鞭打って働きますぞ」
白い狐はいけ好かないが、赤い狐は良い主君だなと、千熊丸は思った。
六郎は決して暗愚ではない。むしろ優秀である。ただ性格にやや難があるようだった。
一行は、吉野川の河口を目指した。
広い河口にはたくさんの船が停泊している。その船の積み荷を、役人が検査し、税を徴収している。
河口を見下ろせる小高い場所で、風に髪をなびかせている一人の男がいた。元長は男に近づいていく。
「元長様!」
振り向いた男の顔は、どう見ても河童である。千熊丸は思わず「河童」と言いそうになったが、飲み込んだ。
余談だが、徳島県三好市山城町では、河童のことを「エンコ」と呼ぶ。
「千熊丸よ、撫養城の城主、撫養掃部助(むや かもんのすけ)だ」
「千熊丸様、撫養掃部助でございます」
元長が紹介すると、河童、もとい掃部助は、片膝をつき、深々と丁寧にお辞儀をした。
「多くの荷は、この河口から、淡路島の沿岸を通り、堺や兵庫へと向かうのだ。その関税の管理を一手に引き受けているのが、この撫養掃部助だ」
「左様でございます」
掃部助は、また千熊丸に向かって紳士的なお辞儀をした。
「掃部助、まくわ瓜を食べるか」
「もしあれば、きゅうりをいただきたい」
「あるぞ」
瓜爺はきゅうりを掃部助に手渡した。
「ありがたく頂戴いたします」
「掃部助は、之長の兄上の頃からの、三好家の執事じゃ。このように、冷静沈着で、礼儀もわきまえなければ、執事は務まらぬ」
瓜爺が言った。執事とは、当主の政務を補佐する役職の、この時代の呼び名である。
「もったいないお言葉でございます」
「どのような荷が多いのですか?」
千熊丸が尋ねた。
「まず材木でございます。応仁の乱以降、戦が増えたために、京周辺の樹木は伐りつくされているそうです。それから何といっても藍です。阿波でしか良質な藍が採れないので、阿波産の藍が市場を独占しています」
「阿波では米が穫れにくい。その分、藍には随分助けられているな」
元長が言った。
余談だが、京では木材が不足し過ぎて、他人の家を勝手に解体してすべて盗んでいく盗賊団も出現した。誰もそんな地域に住みたくはない。そのように治安が悪化すれば、民が死傷したり逃げ出したりするだけではなく、下手をすれば不満を募らせた民に一揆を起こされかねない。当時の領主には治安の維持も重要だった。
「之長様が吉野川の関所をすべて撤廃し、この河口に関所を集約してくださったお陰で、物流も円滑になりました。之長様のご慧眼の賜物です」
掃部助は丁寧な言葉遣いで説明した。
「さらには、船頭らによりますと、『秀興、感激!』と叫べば、淡路島近海の海賊らも、ニコニコ顔で通してくれるとか。元長様のお陰ですな」
「それは春のお陰だな・・・俺たちが京へ攻め上るためには、兵が要る、兵糧が要る、武具、馬、船も要る。そのためには銭を稼がねばならない。連歌など優雅にやっている暇はないのだ。掃部助、造船のほうは順調か」
「順調です。森甚五兵衛(もり じんごべえ)らが、モリモリと造っております」
「よし」
「元長様、僭越ながら、千熊丸様のことを『阿波の神童』などと触れ回るのは、あまり良くありませんぞ。千熊丸様は、まだ幼い。親バカも行き過ぎれば、子には過大な重荷になろうかと」
「そのくらいの重圧は、はねのけてもらわねば困る。いずれは三好家の当主になるのだからな」
犯人は父上だったのかと、千熊丸は元長を見つめた。
「おい、そこの船頭!何をしてる!その船を止めろ!」
突然、掃部助が大声で叫んだ。
「失礼、急用ができました。これにて御免」
掃部助は河口へ走り出した。
「秀興、感激!秀興、感激!」
役人の制止を振り切った船の船頭が叫んでいる。
「それはここでは通用せんのだ!おい止まれ!川に引きずり込んで殺すぞコラ~!」
撫養掃部助こそは、河口の関所の優秀な番人であった。
■第3章 先生と柚子と裏切り者の子
撫養から帰って2日後。
大善寺での手習いから帰宅した千熊丸は、自室で受け身の練習をしていた。まだ受け身しか教えてもらっていないので、やむなく受け身の練習を繰り返すしかないのだ。本当はカッコイイ技も覚えたいのだが・・・
「よ、阿波の神童!励んでおるな」
神童の噂を広めた犯人が、悪びれもなく、被害者の前に現れた。
「お前に柔術を教えたいが、俺も忙しい。そこで先生に柔術の指導をお願いすることにした」
「先生とは?」
「大善寺の住職だ。ついでに連歌も教えてもらえ。俺には和歌やらの才能はないが、お前は六郎様のお相手ができるようになってくれ。阿波の神童ならできるはずだ」
また神童とおだてたうえでの無茶ぶりである。
「それから、先生の素性を訊くな。名前も尋ねるな。いいな」
「何故ですか?」
「先生がいなくなってしまうからだ。少し、先生の話をしよう」
元長が語るには、ある日、鳴門海峡でおぼれていた先生を、たまたま船で通りかかった之長が助けたらしい。先生は、田舎の芝生城などには来てくれないような偉いお坊様なのだが、命を救われた恩義から、三好家を助けてくれているそうである。大善寺は先生のために建てたとのこと。すべて、元長が生まれる前のことで、元長も直接見知っているわけではない。
「先生は、一休さんのように自由でいたいそうだ。名前を知られると、寺に連れ戻され、ここに帰ってこられなくなるらしい。素性も名前も尋ねないことが、ここにいてくれる条件だから、絶対に訊くなと、俺は爺様から、きつく言われたのだ」
余談である。アニメの一休さんは、とんちが得意なかわいい小坊主だが、実際の一休は、自由にもほどがあるくらいに自由に生きた、とんでもない破戒僧であった。
二人は大善寺に着き、門をくぐった。
「元長」
後ろから声がして、振り向くと先生がいた。子らがヒソヒソと「ぬらりひょん」と呼ぶ、いつもの先生である。わしが配役するなら、ウッチャンナンチャンの内村さんだな。
「上へ行こう」
先生は山の上のほうを指さした。そこには練兵に使う広場がある。
3人は歩きながら話した。
「先生、千熊丸には連歌も教えてやってください」
「よかろう。基礎を教えてやろう。ただ、わしも名人とまではいえない。上を目指すなら、連歌師に習うことじゃ」
「連歌が上手くなるにはどうしたらよいのでしょうか?」
千熊丸が問うた。
「まず古典を覚えることじゃ。万葉集の第八巻を書き写すところから始めるのが良いじゃろう。それから、自分自身の感性を磨くこと。世界の果てまで行ってこいとは言わんが、様々なものを見て、触れて、感じることが大事じゃ。武芸や戦のことばかり考えておる人間には、向いてないのじゃろうな」
先生は元長のほうを見た。元長は苦笑いしている。
「見て感じ取ることが大事なのは、武芸も同じじゃ。今から元長を相手に手本を見せよう。元長よ、お主がどれほど強くなったか試してやる。ただし、わしは本気を出さん。千熊丸の手本にならんからな」
「久しぶりに先生と手合わせできるとは。これ以上の喜びはありません。奥の手をお見せいたしましょう」
「では、いつでもかかってこい」
「いざ」
元長は猛然と先生に襲い掛かった。その剛拳と迅さは人間離れしていた。
一方の先生は、さらにそれを上回る速さで元長の攻撃をかわしている。そして何よりも柔軟性である。先生の動きは、まるでタコのようだった。
達人同士の戦いに千熊丸は目を見張った。
拮抗した戦いが続いたが、いよいよ決着がつきそうである。先生が巧みに元長の背後に回り、送り襟締めを決めようとした。あれだけ春を送り襟締めにしてきた元長が、今度は送り襟締めにされようとしている。
「父上、がんばれ!」
思わず千熊丸が叫んだ。
しかし元長は、先生の動きを先読みしていたかのように、巧みに襟と先生の腕の間に自分の腕を入れて防御した。それだけではなく、先生の両腕をつかみ、すさまじい速さで体を回転させ、先生を振り回し始めた。まるでハンマー投げのようである。
「や、やめろ~、それだけはやめろ~」
先生は、トラウマでもえぐられたかのように泣き叫んだ。いかに先生でも、強い遠心力には逆らえないようだ。
元長は先生を空高く放り投げた。先生は屋根より高く飛んだ。
地上に落ちてきた先生は、巧みに転がって受け身をとり、すぐに起き上がった。
「元長よ、これが奥の手か」
「はい。先生が語ってくださった昔話、いや、おとぎ話を参考にしました。もし、先生が地面に落ちてきたところに、私が打撃技を入れれば、いかに先生でも防御できますまい」
「ぬかしよるな。そうなれば、わしも本気を出さざるをえなくなる。今日のところはわしの負けじゃ」
「すぐにでも本気の先生と戦いたいところですが、俺は六郎様と京に上らなければならない。その前に死ぬような危険は冒せないのです」
「父上、先ほどの技は何ですか?」
少年は必殺技に憧れるものである。
「名付けて『竜巻旋風投げ』だ。先生との対戦のために考案しただけで、実戦で使う場面はほとんどないだろう。実戦では、地味に、殴り殺すか、投げ殺すか、絞め殺すかしたほうがよい」
「こんな技は、余程の膂力がなければ使えん。千熊丸、お主はまず基礎からじゃ」
「では先生、千熊丸をよろしくお願いいたします。千熊丸、先生の指導が終わったら、練武場に来い。剣術の指導をしてもらう。よいな」
「はい」
元長は山を駆け下りていった。
「では千熊丸、受け身からじゃ。受け身をとったら、すぐに立ち上がれ。戦場で寝転がっていては死ぬぞ」
「・・・受け身、ですか・・・」
「なんじゃその不服そうな顔は。受け身の最終試験は、さっきわしが見せたように、寺の本堂の屋根から飛び降りての前受け身じゃ。それまでは基礎訓練を繰り返すぞ」
後に、千熊丸の受け身は、神技級になった。
万葉集の写本を抱えた千熊丸が練武場に着くと、塩田胤光、胤正、胤氏の親子がいた。
「千熊丸様、お待ちしておりました。元長様から、千熊丸様には両刀術を教えるようにと指示を受けております」
「両刀術ですか?」
「本当は三刀流を学ばせたかったそうですが、一忠も忙しい身でして」
「三刀流どころか、いきなり両刀術というのは難しいと、お止めしたのですが」
「六郎様への対抗心もあるようですね」
勝瑞館での出来事が、元長も多少悔しかったようである。
「まずは我が流派『香取神道流』について、簡単にご説明いたします」
香取神道流、略して神道流は、剣術だけではなく、薙刀術、槍術、棒術、柔術、手裏剣術、忍術、築城術、軍配法、さらには天文地理学も含む、総合的な兵法だ。
その剣術の中にも様々な術があり、両刀術には四か条の型がある。
「型はありますが、大事なことは、あたかも2人の人間が、1人に合体したかのように、左右の剣を別々に動かせるようになることです。そうでなければ、二刀を持ってもほとんど意味がありません。まずは手本を見せましょう」
胤光は2本の刀を構え、胤正と胤氏は、それぞれ少し離れた場所で弓を構えた。そして3本ずつ矢を連射したが、胤光は事も無げにすべて叩き落した。
「この技を完全に体得するまでに10年かかりました。千熊丸様が今から励めば、元服までには両刀術を会得できるかと」
そう言われると、やれそうな気がする。
胤正が2本の小さな木刀を差し出し、千熊丸はそれを受け取った。
「胤正と胤氏が、千熊丸様の左右から、お手玉を投げます。それを左右の木剣で叩き落してください。コツは、何事もそうですが、視野を広くもつことです」
千熊丸様は胤正と胤氏が投げるお手玉を木刀で叩き落した。
「さすがでございます」
どうやら千熊丸には両刀術の才能が有るらしい。
ひとしきり鍛錬した後、千熊丸は尋ねた。
「父はどれくらい強いのでしょうか?」
3人は顔を見合わせた。
「あの強さは人の域を超えていますな」
さっき見たと千熊丸は思った。
「素手でも虎に勝つのでは?」
「鬼くらい強いのでは?百人で殺そうとしても、元長様には負けると思います」
「そんな元長様の子だからこそ、私達は千熊丸様に期待しているのです。神童だとか、そんなことは、私達には関係ありません」
千熊丸の武術の腕は、めきめきと上達した。
「時が来たのかもしれんな」
その年の夏、元長はニヤリとしてつぶやいた。
河童、もとい撫養掃部助(むや かもんのすけ)が商人から得た情報によれば、ぬりかべ、もとい細川高国と家臣との間で、内紛が起きているようである。
丹波(現在の京都府亀岡市、福知山市、兵庫県丹波市など)に、それはそれは仲の良い3人の兄弟の武将がいた。この丹波三兄弟は、「だんご3兄弟」のように、長男は弟想いであり、三男は兄さん想いであった。
長男の名は、波多野元清(はたの もときよ)。次男は、香西家を継いだ元盛(もともり)。三男は、柳本家を継いだ賢治(かたはる)という。「三本の矢」の毛利元就が、次男と三男を他家へ養子として送り込み、毛利家の勢力を拡大したように、この二人も、細川高国の命令で、他家の養子となった。兄弟は3人とも、高国の重臣である。
まあ、わしがキャスティングするなら、長男・元清はチョコレートプラネットの長田さん、次男・元盛は錦鯉の長谷川さん、三男・賢治はチョコレートプラネットの松尾さんだな。
細川高国の側近で細川尹賢(ただかた)という者がいた。尹賢の顔は、邪悪な天邪鬼にそっくりらしい。この尹賢が、次男の香西元盛を陥れようと、この元盛と六郎(白い狐)とが内通しているとの嘘をでっち上げて、高国に吹き込んだ。そういった、他人をおとしいれるための嘘を「讒言(ざんげん)」というが、この讒言を信じた高国に、7月、次男・元盛は自害させられてしまった。次男・元盛は勇猛な武将であったが、字が読めなかったようで、偽書によって罠にはめられたとのことである。
「だんご3兄弟」の真ん中の次男だけが、えん罪で食べられてしまったようなものだ。長男・波多野元清と、三男・柳本賢治は、激怒した。
8月、元長は、主だった家臣を、芝生城に招集した。
「長い長い下り坂を、柚(ゆず)をいっぱい馬に積んで、降ってきたぞい」
瓜爺と瓜二つの顔をした老武将と、若い侍がやってきた。
「千熊丸、覚えておるか?瓜爺の双子の弟の家長(いえなが)じゃ。双子だけあって、柚とスダチくらい見分けがつかんじゃろう。わしのことは柚爺(ゆずじい)と呼べ。孫の加介(かすけ)と共に、山深い田尾城(たおじょう)からやって来たぞ」
「おお加介、鍛えておるか?」
「はい」
元長は、加介に近づき、軽く大胸筋を叩いた。わしがキャスティングするなら、加介は、俳優の板垣李光人さんじゃ。
「千熊丸、品種改良を重ねた柚じゃ。かじってみよ」
柚爺は柚を千熊丸に投げた。まくわ瓜のように甘いのかと思いきや・・・
「すっぱ!」
「品種改良を重ねた結果、異常な酸っぱさの柚ができたのじゃ。かかかか」
「何を子どもに食わせるのじゃ・・・千熊丸、まくわ瓜で口直しせえ」
瓜爺は怒った。
「人生とは、時に酸っぱいものじゃ。今日は、まず、酸っぱい昔話をさせてくれ」
柚爺は語りだした。
元長の祖父・之長は、4人兄弟である。三男は瓜爺こと一秀、四男は柚爺こと家長で、既に登場したとおりだ。
次男は長尚(ながなお。「ながひさ」ともされているが、天野忠幸先生の著書では「ながなお」とされている)という。わしが配役できるなら、俳優の木村拓哉さんだな。
「長尚兄は、それはそれは聡明で、気高く、色男で女にもてた。それが何故、我らを裏切ったのか。未だに分からん」
永正4年(1507年)、飯綱使いの半将軍・細川政元が、1人目の養子の細川澄之に暗殺された。三好之長ら4人の兄弟は、主君である細川澄元(政元の2人目の養子)と共に、澄之を討つべく各地を転戦。結局、細川高国(政元の3人目の養子)らが澄之一派にとどめを刺したのだが、こうして澄元が頂点に立ったのである。
その翌年の2月、阿波と讃岐で大規模な反乱が起きた。阿波国守護で、澄元の実の祖父である細川成之(しげゆき)から、之長に対して、反乱を鎮圧するよう命令が下った。
「そこでわしら兄弟は、長尚兄を京に残し、阿波へ帰ったのじゃ。するとその翌月の3月のことじゃ。長尚兄が、澄元様から離れ、高国についたと報せが入ったのは。そうしたら、高国の奴、4月に、澄元様を討つために挙兵しやがった。この時点で、長尚兄の裏切りが確定じゃ。之長兄は、反乱の鎮圧をわしら双子に任せて、之長兄の嫡男の長秀(ながひで)・・・長秀は元長の父じゃな・・・長秀や、そこに座っておる篠原長政(しのはら ながまさ)らと共に、急いで京へ戻った」
元長の父・三好長秀のわしのイメージは、歌手の尾崎豊さんである。
之長は、大山崎(現在の京都府大山崎町や大阪府島本町)の自治都市も味方につけ、6月、3千の軍勢で如意獄(にょいがたけ。京都市左京区)に陣取ったが、3万の高国軍を前にして、戦わずに敗走。三好長秀と篠原長政らは、伊勢で捕らえられた。
「そこの長政はな、長秀の命と引き換えに、助かったのじゃ。なあ、長政」
柚爺は、篠原長政を指さした。
「エ~ンエ~ン、長秀様~」
子どもらに「子泣き爺」と陰口されている長政が、子供のような泣き声で大粒の涙を流し始めた。
「泣くな、泣くな」
瓜爺が長政の肩を抱きしめた。
「柚爺、長政を責めるな」
元長が柚爺をたしなめた。
「高国の天下となったのは悔しかったが、わしらは、阿波に逃げ帰ってきた之長兄の指図に従い、阿波で力を蓄えることに専念した。澄元様の意に添わぬことをしてでもな。それから10年後、わしらは動き出した。元長の初陣ともなった淡路攻めじゃ。そしてその3年後には、ついに上洛を果たした」
永正17年(1520年)3月、之長は2万の兵で京に入る。三好勢の甲冑姿は「美麗驚目」と謳われた。如意獄の敗走時とは大違いである。
「その時じゃ、2人の少年を連れた1人の美しい若武者が訪ねてきたのは。長尚兄の嫡男の長久(ながひさ)じゃった。2人の少年は、長久の弟たちじゃ」
わしが配役するなら、三好長久は、イケメンの亀梨和也さんだな。イケメン親子としたい。
「長久は、三好の一員として、わしらと共に戦いたいと、頭を下げた。之長兄は喜んで迎え入れた。長久兄弟が参陣したのは、長尚兄が死んだからなのかと思ったが、長尚兄は生きていて、未だに高国方にいるということじゃった」
とはいえ、長尚は、高国に重用されたわけではなく、飼い殺しにされていたようである。
「ところが、我らが主君の澄元様が病に倒れてしまった。そのために、我らは士気が上がらず、高国方に寝返った者も多かった。その寝返りの原因を、長久が裏で動いているからだと噂する者もいた。まったく根も葉もないことなのだが、長尚兄が裏切ったままだったというのが、噂に尾ひれを付けたな」
澄元方は寝返りが続出する一方で、高国方は六角・朝倉・土岐の諸大名の兵も加わり、5万の大軍となった。
「そんな状況のまま、5月に、京の東山で、応仁の乱以来の大合戦となった。わしらは負けた。之長兄と、之長兄の次男の長光(ながみつ)と三男の長則(ながのり)、そしてわしらに加わったばかりの若い長久も、かわいそうに、捕らえられて、皆々、切腹させられた」
その後、病身の澄元は阿波に退いたが、6月10日に死去した。
「わしは、長久の弟2人を阿波へ連れ帰った。しかし、裏切り者の子と噂され、やむなく、山深い田尾城で育てていたのじゃ。実の息子同然にな」
柚爺は、ずいと、少し前に進み出た。
「今日は、元長にお願いがある」
「何でも言ってくれ」
「高国を討伐するための大戦(おおいくさ)を始めるのであれば、長尚兄の2人の子に先陣を切らせてやってくれ。兵はわしが出す。後見もする」
柚爺は、吉野川の南側の山岳武士らの頭領であった。山岳武士らは、修験者のような修行もしており、山中でも素早く移動できることから「烏天狗(からすてんぐ)」とも呼ばれる精強な者らであった。
「2人は元服して、名を、次男は長家(ながいえ)、三男は政長(まさなが)とした。今日、連れてきておる。烏天狗らと修行させてきたから、屈強な若武者に育っておるぞ」
「先陣を任せるかどうかは、2人の覚悟を聞いてからだな」
「分かった。加介、2人を呼んできてくれ」
加介が2人を呼んできた。
「長家でございます」
「政長でございます」
わしがキャスティングするなら、長家は俳優の山下智久さん、政長は「霜降り明星」の粗品さんだな。
「元長だ。何年ぶりかな?」
元長でさえ、会うのは久しぶりだった。
「お願いです。私たち兄弟に先陣を務めさせてください!裏切り者の子の汚名を返上したいのです!」
イケメンの長家は土下座した。
「どうかお願いいたします!」
イケメンとまでは言い難い政長も土下座した。
「柚爺、長尚の爺様は、もう亡くなっておるのか?」
「分からん。何も伝わってこんのう」
「高国方では、重臣の丹波3兄弟のうち、次男が、讒言を信じた高国に殺され、長男と三男が離反するようだ。それだけの重臣が離脱すれば、もしかすると、長尚の爺様も、戦に出てくるかもしれん。長家、政長よ。もし、お前たちの父が戦場に出てきても、斬れるのか?」
「斬ります!」
元長の問いかけに、2人は声をそろえて答えた。
「分かった。六郎様にも話を通しておこう。先陣は名誉ではあるが、危険でもある。2人はさらに鍛錬を積んでおけ」
「分かりました」
2人は答えた。
「それにしても、管領ともあろう方が、なぜ讒言などに騙されたのでしょうか?見抜けなかったのでしょうか?確かめなかったのでしょうか?アホなのでしょうか?」
政長が尋ねた。
「高国に讒言をしたのは、分家(典厩家)の当主であり、高国のいとこでもある細川尹賢(ただかた)だそうだ。身近な者からの讒言は、信じてしまいやすいのじゃろうな」
瓜爺が答えた。
「俺達も気を付けなければならんな・・・京に上るとなれば、まずは堺への上陸だ。俺は堺へ行き、会合衆と話をしようと思う。瓜爺、柚爺、ついてきてくれ」
元長が言った。
「よし分かった、堺へ一緒に行こう・・・今日は、酸っぱいことばかり言って、すまなかったな」
酸っぱくない結末に、感慨深げな柚爺こと家長であった。
★参考
長洲荘の代丹波山国荘の代官設置と三好長尚(馬部隆弘)
■第4章 桂川原の戦いと兄弟の絆
元長が堺から戻って間もない9月某日。丹波三兄弟の使者が、細川六郎の館へやってきた。丹波三兄弟の長男・波多野元清の嫡子である波多野秀忠(はたの ひでただ)であった。元長と同じくらいの年齢である。錦鯉の渡辺さんを役に当てたい。
秀忠は父・元清からの書状を、六郎の側近に手渡した。そして語り始めた。
「三兄弟は本当に仲が良くて・・・騙されて高国に自害させられた次男の元盛叔父さんは、字もろくに読めないような馬鹿な人でしたが、愛嬌が良くて、本当にいい人だったんです・・・私も悔しくて悔しくて・・・六郎様、どうかお願いです。高国を討伐するために、立ち上がっていただけないでしょうか。そして、高国に替わって、細川宗家の当主となり、管領にご就任いただけないでしょうか」
仮に、丹波三兄弟が高国を打倒できても、大義名分がなければ、幕府に対する単なる反逆行為になってしまう。高国に管領の座を奪い取られた澄元の遺児である六郎が旗頭となることは、丹波三兄弟にとっても、六郎らにとっても、都合が良いのだ。いわゆる、ウィンウィンの関係である。
「元長、どれほどの軍勢を出せるのじゃ?」
六郎が、書状を見ながら、元長に尋ねた。阿波の軍事も財政も、ほとんどを三好の当主である元長が統制しており、六郎には、実際のところ、どれだけの兵を動かせるのか分からない。
「はい。先日、六郎様にご提案させていただきましたとおり、堺への先発隊は、細川晴賢様、細川元常様、三好家長(柚爺)、三好長家、三好政長、三好加介がよろしいかと存じます。兵はまず5千。3千が波多野様方にご加勢し、残り2千は堺を警護しつつ、足利義維様と六郎様の御在所や諸施設の整備に当たるべきかと。畿内の大名らの助力が得られれば、もう少し加勢に回せます。会合衆との取次は、撫養と加地が担当いたします。波多野様方へのご加勢については、経験豊富な三好家長(柚爺)を後見とし、智勇に優れる長家と政長の兄弟を先陣とすればいかがかと存じます」
「そうか」
六郎には、そのような提案をされても、相場も分からなければ、実感もない。そのことが内心、少し腹立たしかったが、年も若く、経験もなく、三好之長の頃から続いている体制でもあり、どうにもならない。忠誠を尽くしてきた元長を、ただただ信用するのみである。
柚爺こと三好家長は、満足げに頷きを繰り返していた。長家と政長の先陣がほぼ確定したからだ。
「堺への渡海はいつ頃になるでしょうか?」
「年内には」
波多野秀忠の問いに、元長は答えた。
「それで、勝てそうなのか?わしは管領になれるのか?」
六郎は尋ねた。
「丹波三兄弟の三男・柳本賢治は、高国の馬廻(主君の護衛)をしておりました。高国方の戦力を熟知しております。その賢治が言うには、先ほどご提案の3千ほどのご加勢をいただければ、勝てるということでございました。六郎様が、高国討伐の御旗を掲げられれば、兵の士気も上がり、他の大名の支援も得られるのではないかということでございます」
「波多野や柳本が言うのなら、確かであろう」
「六郎、これは千載一遇の機会じゃ」
「諸侯、諸勢力を調略しつつ、堺から京を目指そうぞ」
六郎以外の細川家の者や、その側近らが色めき立った。
「では、その案を、阿波公方(あわくぼう)・足利義維(あしかが よしつな)様に奏上し、御裁可をいただく。秀忠殿はしばしこの勝瑞で待たれよ。元長、秀忠殿のお世話をせよ」
「ははあ。ありがたき幸せ」
六郎の言葉に、波多野秀忠は深く頭を下げた。
実際のところ、義維の裁可など不要なのだが、義維にへそを曲げられても困るので、一応話を通しておくのである。
「ただし、あくまでも仮だ。そちらが兵を挙げて、本気を見せてくれなければ、こちらも動かん。我らを動かしたいなら、本気を示してくれ」
元長は釘を刺した。
阿波公方と呼ばれた足利義維(よしつな)は、細川六郎より5歳年上で、当時18歳。わし(足利義栄)の父だ。その姓のとおり、足利将軍家の一族である。政争に敗れ阿波に逃れてきた第10代将軍・足利義稙(よしたね)の養子となっていた。将軍となる資格は十分に満たしている。
管領の地位を与えるのは、形式上は、その主君たる将軍だ。幕府では、細川宗家の当主が必要に応じて管領となり、実権を握っていたが、そのためには、自分の思い通りになる将軍が必要なのだ。
その「都合のいい女」ならぬ「都合のいい将軍」の候補が、六郎にとっては、阿波にいる、というか、阿波で囲って飼い慣らしている、足利義維というわけである。
つまり、言ってみれば「チーム阿波」は、将軍候補の足利義維と管領候補の細川六郎を旗頭とし、戦力の実態をほぼ三好元長の一門・家臣団とする編成といえる。
元長は、勝瑞の屋敷で、秀忠を接待した。
「俺には、『阿波の神童』と皆が噂する、千熊丸という5歳の嫡男がおりましてね」
「ほう、それはそれは。私にも5歳の娘がおりまして、『丹波の黒豆』と呼んでおります」
「黒豆?なぜ黒豆と?」
「眼の黒目の部分が大きくて、しかも真っ黒できれいなんです。かわいいですよ。将来、絶対に美人になります」
「それはお互い楽しみですなあ。わははは」
後に、この「丹波の黒豆」が、千熊丸の妻になるのであった。
数日後、足利義維の形ばかりの裁可が下り、秀忠は喜んで帰っていった。
10月。丹波三兄弟は、丹波で兵を挙げた。本気を示したのである。驚いた高国方も反撃を開始する。
12月初旬、阿波でも準備が整い、先発隊がいよいよ明日、出陣となった。勝瑞には、多くの武将や子弟が集まってきた。
元長の屋敷に、竹で編まれた笠をかぶった厳つい男が、2人の少年を連れて現れた。加地為利(かじ ためとし)である。
「為利、お前まだそのお遍路の笠をかぶってるのか?」
元長が笑った。
「之長様からいただいた物を、蔑ろにはできん」
之長は、「為利の顔はあまりにも恐い。これをかぶって隠しておけ」と、酒の席で冗談を言っただけである。
為利の顔には、大熊に爪でつけられた深い傷跡があった。大熊の4本の爪は、為利の顔を、斜めに大きくえぐり、左目の眼球も潰した。為利の顔は元々から怖かったのだが、その傷のせいでさらに恐ろしいものになったのである。
それ以来、為利は「一つ目の為利」と呼ばれるようになった。
なお、為利を襲った大熊は、為利に素手で倒され、熊鍋にして食べられた。
「しかも、なんで顔に入れ墨したんだ。ますます顔が怖くなってるじゃないか」
元長はさらに笑った。
「淡路島は修羅の島だ。ヤバい海賊だらけで、力のない奴はすぐに死ぬ。この入れ墨は、生き残るためだ。この顔でビビらせてやってんだよ」
ニヤリと笑った為利の顔は、笑顔でも怖かった。
為利は、之長が淡路島攻めで得た南淡路の地を任されていた。元々は、淡路国守護・細川尚春の領地である。
「今日は俺の息子たちを連れてきた。自己紹介しろ」
「俺は、加地又五郎。得意な武器は弓だ。関所破りをした船は、俺の火矢で燃やしてやるのさ。白ひげの安宅秀興が俺の憧れだ」
「俺は、加地六郎兵衛。得意な武器は槍だ。俺は槍を、目の錯覚を利用して、伸びるように見せられるんだぜ。海賊大名に、俺はなる!・・・おいお前、お前の得意なものは何だ?」
六郎兵衛が千熊丸に尋ねた。
「二刀流だ。いずれは三刀流もと考えている」
千熊丸は、見栄を張って答えた。
「すげー!ちょうど剣士の仲間がほしかったんだ。お前、俺の仲間になれ!」
「こら、どちらかと言うと、お前のほうが仲間になるんだぞ。弟が失礼なことを言って、すみません」
又五郎は六郎兵衛をたしなめた。
「元長、畿内は淡路島より、もっと修羅の地だ。しかも、ますます混沌としてきやがった。堺で聞いて、お前も知っていると思うが。気を引き締めていけよ」
「おう」
翌日、盛大な出陣式が行われた。わしの父・足利義維(よしつな)を大将として、鎧を着た武将らが大広間で「三献の儀式」を行った後、勝瑞館の門前で、整列した兵たちと共に「えい、えい、おー!」と鬨の声を上げた。
「では、行ってくるぞ」
「ご武運を・・・長家と政長、柚爺の指示に従え。無理をし過ぎるな」
「はい」
出陣する柚爺こと三好家長らを、元長らは見送った。
「掃部助(かもんのすけ)、堺の会合衆との交渉は頼んだぞ」
「お任せあれ・・・一秀様、きゅうりはありますかな?」
「あるぞ」
瓜爺は掃部助にきゅうりを渡した。もはや掃部助は瓜爺のきゅうりに餌付けされている。
「一忠と胤貞、三好方の拠点の設えを頼んだぞ」
「お任せください。全部ビシッと整えておきます」
塩田一忠は答えた。
「為利、水先案内を頼んだぞ」
「任せておけ。熊野の海賊どもは近づけさせねーよ。この顔でな」
為利は、笠の下からギラリと一つ目を光らせた。
「この六郎兵衛様にも任せとけ!」
「こら、俺たちは、左京之進の爺ちゃんと、南淡路で留守番だ」
又五郎は六郎兵衛をたしなめた。
12月14日、柚爺たち先発隊は、堺に到着した。六郎方は、調略に応じた大名らと連携し、高国方を牽制。近江(現在の滋賀県)の守護大名・六角定頼(ろっかく さだより)に六郎との縁談を申し入れるなどして、高国を孤立させていった。
柚爺と長家、政長、加介は、丹波三兄弟と連絡を取り合い、翌年の大永7年(1527年)2月11日に、山崎城(京都府乙訓郡大山崎町)で合流。そこから4kmほど北東の桂川で、翌日、ついに高国の軍勢と向き合った。
その夜、両軍は矢を射ち合ったが、大した被害は出なかった。
「戦って、こんなものですか?」
三好政長は尋ねた。
「ずっとにらみ合ったままで、最後は双方なんとなく撤退ということもよくあるな。お互い死ぬのは嫌だしな」
丹波三兄弟の長男・波多野元清が答えた。
「そんな・・・私は何としても武功を上げたいのです!」
「焦らない焦らない」
イケメン三好長家を、長男・元清の嫡男・秀忠は笑顔でなだめた。
「奴らは川沿いに南北一文字の陣を張り、その後方に高国の本陣を置いたようじゃ。本陣の正確な位置は分からん。物見(偵察)によると、一文字の陣の最北端付近の川勝寺では、若狭(現在の福井県)から来た武田元光(たけだ もとみつ)が陣を張っているが、後詰と油断しておるのか、緊張感がなかったらしい」
柚爺が、相手陣営の様子を伝えた。
「ではそこに、我らが奇襲をかけてはどうでしょうか?高国方は、この戦を、次男・元盛様の仇討ちと考えて、本陣にいる高国への攻撃を最も警戒しているはずです。我ら三好勢は、夜のうちに川勝寺の対岸に移動。丹後勢には、夜明け前に、今日と同じように矢を放って、高国の注意を引き付けておいていただきます。その間に我らは、烏天狗の速さを生かして川を渡り、寝ぼけ眼の武田軍を攻撃する、というのは」
政長が献策した。
「それはいい!」
三男・柳本賢治は驚嘆した。
「わしも、その作戦が、この戦のカギになると思う。うまく隠れながら、川勝寺の対岸まで行ってくれよ」
長男・波多野元清が同意した。
「よう言うた、政長!その川渡りこそ、栄光への架け橋じゃ!」
柚爺は喜んだ。
明朝、作戦を決行。政長の作戦が見事にはまり、武田軍は死者を80名も出して、近江へ敗走した。
高国は自ら、側近を従えて、武田軍の救援に向かったが、丹後勢も渡河して攻撃を開始。挟み撃ちをおそれて撤退した。
長家と政長は、高国軍を追撃した。
「兄上、あそこに、顔におしろいを塗った、変な奴がいるぞ」
「なんだあれ?兜もかぶらず烏帽子だけとは。あれが公家ってやつかなあ?」
「手下に指図してるし、偉い奴なのかも」
長家と政長が不思議そうに話し合っていると・・・
「退くでおじゃる!撤退でおじゃる!」
白塗りの男は叫んだ。
「『おじゃる』って言った!」
2人は顔を見合わせた。
「追うぞ!あいつの首を何としても獲れ!」
2人は、おじゃるを追いかけた。
しかし、おじゃるも必死で逃げる。しかも、おじゃるの手下が死に物狂いで妨害してくる。
「邪魔だ、どけ!」
政長の馬は、手下の妨害で脚を止めてしまった。
「兄上、深追いするな!」
政長の言葉を、長家は無視した。
「あと、もう少しだ・・・あともう少しで、おじゃるに槍が届く・・・」
長家の槍が、おじゃるの首を貫いた。おじゃるは馬と共に倒れた。
しかし、同時に、長家の脇腹にも、おじゃるの手下の槍が刺さった。
「兄上~!」
やっと追いついた政長が、おじゃるの手下を斬ったが、長家は気を失って落馬した。
長家が目を覚ますと、何故か皆が涙を流している。
「なぜ泣いているんだ」
長家が、政長の頬の涙を拭おうとしたが、腕が動かない。体にほとんど感覚がない。
長家にも、やっと自分の状況が分かった。
「・・・おじゃるは、どうなりましたか?」
弱々しい声を、やっとの思いで発して、長家は尋ねた。
「奴は、大納言・日野内光(ひの うちみつ)。高国の親戚だ。大金星だぞ!この戦も、三好勢のお陰で大勝利だ!」
三男・柳本賢治が、空元気で答えた。
「良かった・・・俺は、何としても、武功を上げたかったのです。俺たち兄弟は、父の長尚が三好を裏切ったために、『裏切り者の子』と言われて育ちました。だから、その汚名を晴らしたかったのです。皆さん、お願いです。俺の弟を、政長を、よろしくお願いします。俺と苦労を共にした、たった一人の弟なんです。何とぞ、何とぞ、よろしくお願いします!」
「任しておけ。兄弟の気持ちは、俺たちが一番良く分かっている。政長殿は、今日から俺たちの兄弟だ。なあ」
長男・波多野元清は、三男・柳本賢治に呼びかけながら、政長の右から、政長の肩を抱いた。
「そうだぜ。こいつの面倒は一生みてやる。安心しな」
三男・柳本賢治は、政長の左から肩を組んだ。
「良かった・・・政長をよろしくお願いします。政長、お前は、お二人を誠心誠意お支えしろ。それから、柚爺。俺たちを育ててくれて、ありがとう・・・」
長家は再び気を失った。
「人生とは・・・酸っぱいのう・・・」
柚爺は嗚咽した。
「畜生・・・これも本を正せば、すべて、あのクソ親父のせいだ!今頃どこで何をしてるんだ!」
政長は激怒した。
「三好長尚殿なら、ついこの間、高国から、摂津の長洲荘の代官に任じられたぞ。知らなかったのか?」
三男・柳本賢治が言った。
「えっ・・・生きていたのか!殺してやる!」
政長は馬に乗って飛び出していった。
「お~い、我らは山崎城に引き上げるからな」
秀忠は政長に向かって叫んだ。
「加介、政長について行ってくれ。わしは酸っぱい涙で前が見えんのだ」
瓜爺が加介の肩を叩いた。
「まったく・・・笑えねえなあ」
加介はつぶやくと、馬で政長の後を追った。
★参考
長洲荘の代丹波山国荘の代官設置と三好長尚(馬部隆弘)
■第5章 三好長尚と美女と茶器
政長は、摂津の長洲荘(兵庫県尼崎市付近)の代官所にたどり着いた。
「三好長尚の三男・神五郎(政長の幼名)だ。門を開けてくれ」
門番が中へ取り次ぐと、門が開き、三好長尚(ながなお)が出てきた。
わしが配役できるなら、三好長尚は、木村拓哉さんである。
「神五郎なのか?」
「死ね~~~!」
「ちょ待て!ちょ、待てよ!」
出てきた長尚を、抜刀した政長が斬ろうとしたが、後ろから羽交い絞めにされた。加介だった。
「止めるな、加介」
騒ぎを聞いて、3人の美女が飛び出してきた。政長の母と妹たちだった。
心配そうな眼差しを向ける母と妹たちを見て、政長の殺意は揺らいだ。特に、眉をひそめて政長を見つめる母の眼力がすさまじかった。
「政長兄、刀をしまえよ。親子の斬り合いなんて、まったく笑えねえぞ」
加介が言った。
「ちょ待てって。なんか誤解があるんじゃねーか?話し合おうぜ。な」
「・・・こんなジジイ、いつでも斬れるしな」
政長は刀を鞘に納めた。
「おい、お前たちの兄ちゃんの神五郎が帰ってきたぞ。覚えているか?」
長尚は娘たちに問いかけた。
「お兄ちゃん」
若い美女2人は、加介に走り寄った。
「いい匂い・・・」
加介は鼻の下を伸ばした。
「違う違う。そっちのかわいい顔のは、神五郎とは違う。じゃないほうだ」
「誰が『じゃないほう』やねん!」
政長がツッコミを入れると、長尚も母も妹たちも、大笑いした。
「いやあ、久しぶりに、神五郎のツッコミが聞けたなあ。やっぱり、神五郎のツッコミは、的確なうえに反応が早い、まさに神ツッコミだな」
政長の脳裏にも、幼い頃の家族との楽しい記憶がよみがえってきた。
「マジでお前、神五郎か。長久と一緒に、お前らも死んだと思ってたよ。彦次郎(長家の幼名)も元気か?」
「・・・兄上は・・・今、死にかけている・・・」
「そうか・・・どういうことなのか、話を聞かせてくれ。二人きりで話そう・・・静、しばらく、娘たちと、加介の相手をしてやっていてくれ」
「加介様、どうぞこちらへ。お茶でも飲みましょう」
「は~い!」
山育ちの加介には女性に対する免疫がなかった。
長尚は、狭い茶室に政長を通した。
「んで、何があったんだ」
政長は、これまでのことを話した。
「そうか。それは辛い思いをしたな。柚の奴には感謝しないとな」
「・・・」
「まあ、そもそもの話からするか。わしが裏切り者と呼ばれるのはしかたがないのかもしれん。実際、澄元様から高国様へ寝返ったのだからな。でも、寝返りなんて、よくあることじゃないか。お前たちが味方した丹波三兄弟だって、わしと同じ頃に、澄元様から高国様へ寝返ったのを、知らないのか?それが今度は、高国様から六郎様かよ。他の奴らだって、寝返りなんか、しょっちゅうだ。忠義だ何だと言ってるが、皆、自分が生き残ることだけしか考えてねえじゃねえか」
「・・・」
「結果として、どうだ。わしは生きている。之長の兄貴は死んだ。兄貴の息子たちも、みんな死んだ。わしの子は生きている。お前は生きている。わしと、之長兄と、どっちが正解だったんだ。もう答えは出てるんじゃないのか」
事実、4兄弟の中で、最後まで生き残ったのは、長尚である。
「あのさあ、之長の兄貴について、良いことしか聞いてないと思うけどさあ、とんでもないこともやらかしてたんだよ。兄貴は、一揆を煽るのが上手かった。京で戦おうと思っても、阿波から兵を連れてくるのは大変だ。お前もその大変さが、実際にやってみて分かったんじゃないか。だから、一揆を煽って、こっちの味方につけるわけだ。でも、京の人たちにとっては、とんでもなく迷惑な話だ」
一揆は、いわば、暴力的なモンスタークレーマーが大挙してなだれ込んでくるようなものである。
「わしは兄貴に何度も一揆の奴らの狼藉をやめさせるように言ったんだ。一揆の奴らだけじゃない。阿波から連れてきた奴らもひどかった。泥酔して全裸で大声出しながら暴れたり、乗馬が禁止されてる場所で馬に乗って役人の制止を振り切って走らせたり、若い女に対して、口に出して言えないようなひどい乱暴をしたり。その尻ぬぐいを、全部わしがやっていたんだ。そのために、9千貫くらいの銭は使ったんじゃないか。京の人々は、兄貴が死んだ時、大喜びだった。それほど恨まれていたんだ」
之長が斬首されたことについて、「之長らは非常に強い武将だったが、合戦に負け、まるで天罰のように処刑された。今の三好は、最悪・極悪の者らで、それが一時に滅亡したものだから、人々は皆、大いに喜んだ」といったことが「聾盲記」に記されている。
「まあ、兄貴には、端から、狼藉を抑えようという気持ちはなかったと思うよ。一揆なんて、ある意味、狼藉そのものだ。両方とも、根っこの部分にあるのは、破壊衝動だ。狼藉の禁止は、一揆の力を借りるという兄貴の戦法そのものを否定することにもつながる。もし禁止すれば、その怒りと暴力の矛先が、俺たちに向く可能性もあったからな。こんな危なっかしいやり方に、わしはいつもヒヤヒヤしていたよ」
「・・・」
「兄貴が連れてきた奴らのあまりの狼藉に、せっかく管領になった澄元様も呆れて、京を出ようとしたくらいだ。それを、将軍・足利義澄様が止めたんだぜ。将軍様まで巻き込むなよ。」
「・・・」
「そしたら、阿波と讃岐で反乱が起きた。兄貴と瓜と柚は、反乱を鎮圧するために、阿波へ戻った。わしは一人、京に残されたけど、こんな機会は二度とないと思って、寝返ったんだ。寝返ったといっても、兄貴たちと戦ったわけじゃない。兄貴のやり方についていけなくなっただけだ。裏切ったとは、正直、言わないでほしいね」
「そのせいで、俺には何もない」
「えっ?」
「そのせいで、俺には何もない・・・父上が寝返ったせいで、俺は何も持てなかった。兵は借り物だし、領地もなければ、城もない。家臣もいない。銭もない。一揆を煽る腕くらい、ほしいもんや」
「一揆はやめとけ。お前の性格からして、無理だ」
「なんでや?」
「之長の兄貴は、豪快で、腕っぷしも強くて、抜け目もなくて、それでいて、人懐っこくて、妙に優しかった。演説が上手くて、人を動かすのが得意で、この人と一緒に戦いたいと思わせるような、男がほれる男だった。兄貴の嫡男の長秀も、一緒に澄元様に仕えていたから良く知っているが、誰にも真似できない特殊な奴だった。そんな要素が、お前には、微塵もない。お前は、人に夢を見させるよりも、おかしなところにツッコんで、現実を突きつけるほうの人間だ」
「じゃあ、どうすればええねん!」
「主君に取り入れ。六郎様に、取り入ってみろ。いずれは三好の当主の座が、お前に転がり込んでくるかもしれんぞ」
「そんなこと、あるわけないやろ!」
「将軍様は誰が決める?朝廷だ。管領は誰が決める?将軍様だ。三好の当主は誰が決める?」
「六郎様・・・か」
「そうだ。主君の六郎様だ。もちろん、好き勝手には決められない。血筋や能力、一族の意見を考慮されるだろう。之長の兄貴の嫡男の長秀が死んで、今は、その嫡男の元長が当主か。元長が死んだら、その嫡男か。まだ幼いんじゃないか?」
「そうやけど」
「お前は、わしの息子だよ?瓜や柚より、優先順位が高いんだよ。元長が死んで、その嫡男が頼りないとなれば、お前にも当主の目は出てくる。そのためにも、お前に家督を譲っておこう。わしも年だしな。どの道、高国方のわしは許されないだろうから、お前に家督を譲って、隠居することで、勘弁してもらおう。後はお前に任せた」
「いきなりやな」
「もう一度言うが、六郎様に取り入れ。六郎様の信頼を勝ち取れ。そして、できるだけ、元長を六郎様から遠ざけろ。元長を、危ない戦場へ行かせろ。お前は六郎様の側近となり、できる限り戦場へ行くな。お前は、長家と二人で、大納言・日野内光の首を獲る武功を立てたんだ。元長に、それ以上の武功を上げてみろと、けしかけてみろ」
「いや、それは、卑怯すぎる・・・」
「わしはお前に死んでほしくないんだ。お前は六郎様の側近となりつつ、畿内に根を張れ。お前の人を笑わせるの才能で、仲間をつくれ。せっかく、丹波兄弟との関係ができたんだ。これを2人に贈ってみろ」
長尚は、刀と茶器を取り出した。
「この刀は、『左文字』の作だ。名刀だそ。茶器のほうは『新田肩衝』だ」
「俺には価値がよく分からん」
「丹波三兄弟の波多野元清は、教養のある武将だ。絶対に価値が分かる。差し出してみろ」
「まあ、試しにやってみるよ」
「阿波は遠い。淡路島という一筋縄ではいかない場所もある。お前は畿内にとどまれ。もう柚やら瓜やらは、食べ飽きただろう」
「柚といえば・・・父上に報告があります」
「なんだ、あらたまって」
「俺には息子がいます。もう5歳です」
「おいおい、お前、まだ二十歳だろ?」
「15歳の時に、山籠もりの修行から里に帰ってきたら、村娘が妙にきれいに見えて、手を付けてしまいました。後で気付いたら、俺より一回りも年の離れた女で、柚みたいな顔でした」
「はははは、山修行あるあるだな。わしの初孫じゃないか。名は何というんだ」
「柚太郎・・・柚爺が、強引に名付け親にさせろって・・・」
「はははは、柚太郎か。お前はいつも笑わせてくれるな。わしの孫だから、きっとかわいいはずだ」
「柚みたいに、ちょっと顔がデコボコしてるけど、かわいい奴です」
「会いたい。めちゃくちゃ会いたいよ。早く会わせてくれ・・・お前、嫁さんがどんなに年上でも、大切にしろよ・・・まあ、今日はこのあたりにしよう。わしも、長家の容体が気になる。しかし、ここを離れるわけにはいかん。六郎方に寝返ったとか、変な勘繰りをされて、引きずり降ろされるかもしれんしな。わしの代わりに、妹たちを連れていけ。供も何人かつけてやる」
長尚と政長は、茶室を出て、奥の間へ向かった。美女3人と、デレデレの加介が、楽しそうにおしゃべりしている。
「おい、お前たち二人は、今から、わしの代わりに、神五郎と共に山崎城へ行き、彦次郎の様子を見てきてくれ。出立の準備をしろ」
美女3人は準備のため奥へと去った。
「おい、誰かいるか?」
4人の家臣が現れた。
「すまんが、わしの次男が死にかけている。この三好政長、三好加介、それから娘2人と共に、山崎城へ供をしてくれ。そして、情勢を探ってまいれ。わしは三男の政長に家督を譲る。わしに万が一があれば、政長についていけ」
「御意」
半時後、全員準備を終え、門前にそろった。
長尚は加介の耳元でささやいた。
「加介、わしの娘たちを守ってやってくれ」
「分かりました!」
「頼んだぞ・・・では行ってまいれ。道中、気をつけてな」
政長たちは、山崎城に向けて出発した。
「政長よ、とにかく生き残ってくれ。生き残った奴が、結局は、勝ちなんだ」
妻と共に皆を見送った長尚は、門柱にもたれかかりながら、つぶやいた。
政長たちが山崎城に到着した。長家はかろうじて生きていたが、虫の息だった。
「お兄様・・・」
変わり果てた姿の兄を見て、妹たちはショックを受けたが、甲斐甲斐しく看病した。
「おい政長、すごい美人姉妹じゃん」
三男・柳本賢治が言うと、加介がその視線を遮るように仁王立ちした。
「なんだよ加介」
「長尚爺から、娘たちを守れと言われています」
「見るくらい、いいじゃんか」
「長尚兄はどうじゃった」
柚爺が尋ねた。
「相変わらず高国方だったけど、俺に家督を譲って、隠居すると」
「さすがは長尚兄じゃ。引き際を知っておる」
「それから、この刀と茶器を、お二人に差し上げろと」
政長は、刀と茶器を、長男・波多野元清に差し出した。
「どれどれ・・・こ、こ、これは、とんでもなく価値のあるものだぞ!値段なんかつけられないくらい、とんでもないものだ!」
長男・元清は腰を抜かした。元清は芸術品の違いが分かる男だった。
「兄貴たちにあげますよ」
「・・・いいんすか?」
「馬鹿野郎!こんな貴重な物、受け取れるか!兄弟っていうのはな、見返りを求めないものだ。こんなものは受け取れない」
「そ、そうだぜ、俺たちは兄弟なんだ。こんなもの、要らねーよ。家宝として大事にしまっときな」
政長と丹波兄弟との絆はますます深まったようだ。
「賢治様、大変です!」
京に進軍していた家臣からの伝令である。
「どうした?」
「幕府がもぬけの殻です」
賢治と政長は、急いで京へ行き、御所や問注所などを見て回ったが、将軍や高国ばかりか、評定衆や奉行人まで逃げ出していた。首相官邸どころか、省庁も国会も裁判所も警視庁も税務署も、すべて役人がいないような状態である。どれだけ京で戦があっても、幕府の役人まで全員いなくなるようなことは、これまでなかった。
「どんだけ人がいないんだよ、どんだけ~」
賢治の声が無人の御所に響いた。
■第6章 子泣き爺と遠い空
阿波の勝瑞館は、桂川原の戦いでの勝利の報告に沸き立っていた。しかもその一戦で、京を手中に収めたのだ。書状には、御所がもぬけの殻なので、早く足利義維と細川六郎に御所に入ってもらい、幕府の機能を回復させてほしいとも書かれている。
「政長の知略によって、高国勢を総崩れにさせ、長家の武勇によって、大納言・日野内光の首級を挙げたとな。その活躍はまさに、樊噲(はんかい)・張良(ちょうりょう)のごとしと、丹波兄弟も絶賛したそうじゃ」
足利義維は書状を手に興奮していた。樊噲と張良は、中国の漢の高祖・劉邦の天下統一に大きく貢献した功臣だ。最上級の賛辞である。
「阿波衆の結束力が実を結んだのじゃ。無論、論功行賞では、阿波衆に手厚く報いるつもりじゃ。これからも、阿波衆で力を合わせ、共に進もうぞ」
足利義維は、六郎らをはじめとする「家臣」らを鼓舞した。
(ただの傀儡のくせに、将軍の目が出てくると、わしの頭越しに、しゃしゃり出やがって)
六郎だけは、尻がムズムズしていた。とはいえ、自分も三好の傀儡のようなものである。管領になるチャンスが到来しているのではあるが、六郎は歯がゆかった。
さて、六郎の思いはともかく、そうなれば、一刻も早く京に入らなければならない。いよいよ阿波勢の本隊が、堺へ渡ることになった。
「私も一緒に連れていってください」
春は元長に懇願した。
「ダメだ。年末に千々世(ちぢよ。後の安宅冬康(あたぎ ふゆやす))が生まれたばかりだし、また、ややができたではないか」
春のお腹には、この時、孫六郎(まごろくろう。後の十河一存(そごう かずまさ))がいた。
「俺が、この世で一番大切なのは、春、お前なんだ。頼むから体を大切にしてくれ」
同じ思いだからこそ、どこまでも一緒にいたいのだが、子どもたちのことを考えれば、引き下がるしかない。
堺へは、元長だけではなく、一秀(瓜爺)や、その孫の康長(ヤス)、塩田親子など、主力といえる武将の大半が行くことになった。主君・六郎の天下のため、本腰を入れるのである。
「わしの留守中は、長政(子泣き爺)に何でも相談しろ」
元長は、そう言い残した。
芝生城での出陣式を終え、多くの兵が旅立とうとしていた。その中には、田植えの時に、元長から風呂敷を授けられた彦六の姿もあった。彦六は、あれ以来、「風呂敷の彦六」と呼ばれている。
余談だが、この頃の百姓は、戦になれば兵士として動員された。戦の主力は農民であり、それらを直接取りまとめていた地侍も百姓であったため、田植えや稲刈りなどの農繁期の動員はやりにくかった。兵農分離を初めて実施したのは織田信長であるが、阿波の三好は、材木と藍で儲かっていたため、農繁期でも兵の動員がしやすかった。
彦六は、篠原長政(子泣き爺)に駆け寄った。
「長政様、大変お世話になりました」
他の者も長政に駆け寄る。
「腹が減って死にそうな時に、米を分けてくれて、ありがとうございました」
「子どもが病気の時に、薬を届けてくれて、助かりました」
「長政様からいただいた衣は、俺の一生の宝物です」
「良い働き口を紹介してくださって、幸せです」
皆、口々に感謝の言葉を述べた。
「みんな、元長様の言うことをよく聞いて、がんばってくれ」
長政は声をかけた。
長政は、元長の家臣や領民が困っていると聞けば、すぐに駆けつけて相談に乗った。雨でも出かけられるように、蓑を手放さなかった。子どもが病気だと聞けば、薬を届け、でんでん太鼓であやした。だからいつも手にはでんでん太鼓をもっていた。着る物にも困っている者がいれば、すぐに自分の着ている物まで与えるので、いつも肌着しか身に着けていなかった。
兵たちが皆出ていき、寂しくなった芝生城で、長政は、空を見上げて立ち尽くしていた。
千熊丸が近づくと、政長は「長秀様」とつぶやいていた。
「千熊丸様、あなたのお爺様の長秀様は、それはそれは素晴らしい方だったのです」
長政は、問わず語りに三好長秀のことを話し始めた。
三好長秀は、わしのイメージでは、歌手の尾崎豊さんである。
「長秀様は、悪戯好きな人で、時々、高いところから飛び降りては、私たちを驚かせました。小さい私には、まるで長秀様が空から舞い降りてくるように見えました。長秀様は、どんなに高いところから飛び降りても平気な顔をしていました。あの物見櫓から飛び降りても、平然としていたのです」
きっと先生との修行の成果だと、千熊丸は思った。
「長秀様が亡くなるきっかけになった、如意ヶ嶽(にょいがたけ)の戦いは、私の初陣でした」
永正6年(1509年)6月、大山崎の自治都市から巧みに兵を借りた之長は、嫡男の長秀と共に、3千の兵で如意ヶ嶽に陣を構えた。だが、対する高国方の兵力は、その10倍の3万だった。
「これでは勝負にならん。撤退じゃ」
之長は、ちょうど降ってきた大雨にまぎれ、軍を撤退させた。
「3千の兵では足りん。わしはいったん大山崎へ戻る。澄元様は、かつて伊勢守護職であった。伊勢であれば兵を集められるかもしれん。お前は、兵を募るため、伊勢へ向かえ」
之長は、嫡男の三好長秀に命じた。
「親父と同じようにできるか分からないけど、伊勢まで仲間を探し続けてみるよ」
伊勢へ向け、坂道を上る長秀を、焼けつくような夕陽が照らしていた。長秀は、坂の上から之長に手を振った。暮れてゆく坂の下には、立ち尽くす之長の姿があった。
「長秀が、まるで空へ上っていくようだな」
之長は嫌な予感がした。
重い税を課せられているために、あくせくと働き、疲れ果て、家路につく。長秀は、そんな者たちに熱く語りかけた。
「おい、お前ら。お前らはそれで幸せなのか?不当に支配され、何一つ逆らいもせず、あがきもせず、腐ったまま死んでいくのか?この支配から自由になりたくないのか?お前たちが自由になるためには、お前たち自身が立ち上がるしかないんだ。そのために、傷つき、命を落としてしまうかもしれない。だが、新しい一歩を踏み出さなければ、何も変わりはしないっ!俺と一緒に戦って、自由を手に入れよう!・・・俺の話を、笑いたい奴は笑え。それでも俺は、自由な明日を夢見る。お前たちも夢を捨てないでくれ。もし俺を信じる者がいるのなら、俺についてこい!」
そうやって集まってきた者たちを、長秀は、部下に先導させて、大山崎へ送っていった。
長秀が、兵を募りながら各地を転々とし、伊勢に着いた頃には、供は篠原長政(子泣き爺)と赤沢次郎の2人だけになっていた。長政も次郎も、元服したばかりの15歳だった。
赤沢次郎は、わしが配役するなら、俳優の吉岡秀隆さんだな。
3人は、伊勢神宮の神職である山田御炊太夫(やまだ おおいたゆう)の屋敷に転がり込んだ。
「路銀を使い果たして手持ちが100文しかないんだ。これで何日か泊めてくれ。とりあえず熱い茶でももらえないか」
3人は、熱い湯のみを握りしめた。
「囲まれているな。お前らは隠れてろ」
長秀は一人、武器も持たずに屋敷を飛び出した。10人ほどの兵で囲まれている。
「おい何をしている。お前一人か?」
「俺はいつも孤独さ。でも、熱い気持ちが心の中で常に燃え上がっているんだぜ」
長秀は、おどけて言った。
「おかしな奴だ(笑)」
「変な薬でイカレてるのか?」
「澄元方の兵を集めている怪しい男がいると聞いて来たのだが、お前か?」
「そのとおりだ。お前ら、強そうだな。俺と一緒にこいよ。細川澄元様のために戦い、俺と命を共にしよう」
「わしは『伊勢の狼』と恐れられている伊勢国司・北畠材親(きたばたけ きちか)だ。わしの息子と、高国様の娘との縁談が進んでおる。つまり、わしは高国様側だ」
「転々としていたら、こんな場所にたどり着いてしまったか・・・」
「ひっ捕らえろ」
材親の部下が一斉にとびかかったが、長秀は、余裕の表情を浮かべながら、華麗な足さばきで、攻撃をすべてかわした。
「お前ら、まだまだだな。俺と一緒にくれば、鍛錬してやるぜ」
「10人がかりでも捕らえられないなんて」
「なんという迅さだ」
「足さばきがヤバすぎる」
「お前ら、下がれ。『伊勢の狼』北畠材親様が、直々に相手をしてやる。お前は誰だ?名を名乗れ」
「俺は、三好之長の嫡男・三好長秀だ」
「これは予想外の大物だ。お前の首を獲れば、高国様も大いに喜ばれるだろう」
材親は得意の槍で襲いかかったが、長秀は、これ見よがしに小さなステップでかわして挑発した。
「お前が狼?ドラ猫の間違いじゃないのか?これじゃあドラ猫と踊ってるようなもんだ」
「誰がドラ猫じゃ!」
「ごめん、ごめん。ドラ猫じゃなかった。イカした鎧を着てるから、小洒落たドラ猫だな」
長秀は悪戯な微笑みを浮かべた。
「シャーーー!殺してやる!」
その後も長秀は、時々おどけるような仕草をしながら、最小の見切りで攻撃をかわし続けた。
「あの人、むっちゃカッコイイ!」
「なんか、あの人についていきたくなっている俺がいる」
「俺、あの人についていってもいいっすか?」
材親の部下の心が揺らぎ始めた。
「おい、あそこに子どもみたいな奴がいるぞ」
長政(子泣き爺)と次郎は、長秀の様子が気になり、指示に背いて屋敷の外へ出てきてしまっていたのである。
「あいつの仲間かもしれん。こっそりと忍び寄って捕らえろ」
2人は捕らえられ、縄で縛られたうえに、首に刃物を突き付けられた。
「おい、こっちを見ろ。お前の仲間じゃないのか」
「長秀様、申し訳ありません・・・」
長秀は両手を挙げた。
「降参だ。俺の首をやるから、その2人は見逃してくれ」
「長秀様、駄目です!我らは見捨てて、長秀様だけお逃げください!」
「仲間のお前たちを見捨てたら、俺が俺でなくなってしまう」
「長秀様~」
長政(子泣き爺)と次郎は泣き出した。特に長政(子泣き爺)の泣き声は大きかった。
「ドラ猫だと?馬鹿にしやがって。3人とも殺してやる。その泣き声のうるさいほうをこっちに連れてこい。こいつの目の前で殺してやる」
材親の部下が長政(子泣き爺)を引っ張ろうとしたが、何故かまったく動かない。
「何をしておる」
材親は怒ったが、部下が5人がかりでも、泣いている長政(子泣き爺)は不思議と動かせない。
「俺はお前の部下を、殺そうと思えば、殺せた。俺は殺していないのに、お前は、俺の仲間を殺すのか。それも、年端もいかぬ若者をよお!それでも狼かよ!」
長秀が一喝した。
「材親様、カッコ悪い」
「もう二度と狼と名乗らないでほしい」
「俺、長秀様についていく」
材親の部下がザワザワとし始めた。
「わしは狼だ・・・分かった。お前の命と引き換えに、二人は助けてやろう」
空気を察した材親が答えた。
「ありがとう。二人に遺言を伝えてもいいか」
「ああ。最後の別れをするがよい」
長秀が、長政(子泣き爺)と次郎に近寄り、優しく肩を抱きしめて、言った。
「泣くな、二人共。長政、次郎、お前たちは阿波に帰り、次の世代を育ててくれ。元長が独りぼっちにならないように、仲間をつくってやってくれ」
長秀は空を見上げた。
「芝生城の上の、あの吸い込まれてゆきそうな青い空が、懐かしいなあ・・・俺は、空の上から、お前たちを見守っているぞ」
長秀は、長政と次郎の肩を抱く手に力を込めた。
「愛こそが生きる意味であり、真実なんだ。たとえそのために命を落とすとしてもな・・・元長には、どれほどの裏切りに打ちのめされても、大きな愛で受け止められる人間になってくれと、伝えてくれ」
長秀は、材親の前で座禅を組んだ。
「さあ、やれ・・・」
長秀は、優しい笑顔を浮かべたまま、首を刎ねられた。
「長秀様~」
長政(子泣き爺)と次郎は絶叫した。材親の部下も全員絶叫した。
長秀の首と共に、次郎は京へ送られた。長政(子泣き爺)は、動かせないので、捨て置かれた。
真夜中まで泣き続けた15歳の長政(子泣き爺)は、盗んだ馬で走り出した。夜の闇の中へ。
「長秀様は、身をもって、私たちに、本当の愛を教えてくださったのです」
長政(子泣き爺)は空を見上げた。
「長秀様は、空が好きでした。空を見上げると、長秀様がいるような気がして、心が安らぎ、自然と涙が止まるのです・・・私は、長秀様のように、カッコよくはできないけれど、私なりの愛で、がんばっているんだって、空の上にいる長秀様に、毎日お伝えしているんです」
千熊丸も空を見上げた。空は遠かったが、千熊丸たちを優しく包み込んでいるような気がした。
※参考にした尾崎豊さんのアルバム「十七歳の地図」、「回帰線」、「壊れた扉から」、「街路樹」、「誕生」、「放熱への証」、「LAST TEENAGE APPEARANCE」
余談だが、尾崎豊さんの歌を聴いたことがない人は、この機会に聴いてみてくれ。
■第7章 松竹梅と砂と俺たちの基地
元長ら多くの者が、芝生城から堺へと出陣していったが、千熊丸の鍛錬の日々は続く。
先生から柔術や連歌を学ぶことはできたが、困ったのは両刀術のほうだ。塩田親子も全員、堺へ行ったのだ。
千熊丸は、篠原長政(子泣き爺)に相談した。
「2人から矢を放ってもらったり、物を投げてもらったりすればいいのですね。では、弓は孫四郎様にお手伝いいただき、何か物を投げるのは、私の妻の絢に手伝わせるというのはいかがでしょうか。妻の絢も、下の子が2歳になりましたので、短い時間ならお手伝いできると思います」
三好孫四郎(まごしろう。後の三好長逸(ながやす))は、之長の三男・三好長光の子だ。長光は之長と同時期に切腹させられ、既にこの世にいなかった。
千熊丸は、屋外にある射場へ向かった。射場とは、弓を射る練習をする場所である。
射場では、孫四郎が、弓の練習をしていた。
千熊丸は、孫四郎に事情を説明した。
「なるほど、お前に向かって、この蟇目(ひきめ)の矢を放てばよいのだな?」
孫四郎は12歳だったが、早くも声変わりしており、俳優の渡哲也さんのような渋い声で、千熊丸に答えた。
蟇目(ひきめ)の矢というのは、犬など、動くものに当てる練習をするための矢で、先が丸く、矢尻はついていない。しかし当然、当たれば痛い。
「ところで、お前の両刀術の腕は、松竹梅でいえば、どの程度なんだ?」
孫四郎は何故か「松竹梅」の3段階で物事を評価したがる。
「まだまだ梅といったところかな」
「そうか。俺の弓の腕も、やっと竹に至ったというところだ。俺は、何かに狙いを定めて、撃つというのが、性に合っているようだ。長政の妻はまだ来ていないが、試しにやってみるか」
千熊丸は両手に木刀をもち、射場の的の前で、孫四郎に対して半身に構えた。
孫四郎は3本の矢を次々に放ったが、千熊丸はすべて打ち落とした。
「上手いではないか」
「これを、2人の人間が合体したかのように、左右の刀で別々にやらなければならないんだ」
篠原長政(子泣き爺)が、妻の絢(あや)と共に現れた。
絢は、5年ほど前、酷い病気にかかり、顔はしわくちゃ、髪はすべて白髪と、老婆そのものになってしまった。それを気味悪がった家族に山へ捨てられたのだが、長政が助け、熱心に看病した結果、健康を取り戻したのである。相変わらず容姿は老婆のままだったが、長政は、素直に何でも言うことをきいてくれる絢の純粋な性格に惹かれ、嫁にした。
「妻の絢を連れてきました。半時ほどならお手伝いできます。では、私はこれで」
忙しい長政は射場から出ていった。
「絢、何でもいいから私に投げてくれ。孫四郎兄も頼む」
孫四郎は矢を放ったが、絢は戸惑っている。
「何でもいいんだ。投げろ」
「何でもいいんですね」
絢は、射場の砂をつかんで、猛烈な勢いで千熊丸に投げつけ続けた。見た目は老婆だが、実年齢は二十歳そこそこである。イモトアヤコさんくらい元気なのだ。
「ちょ待て!ちょ、待てよ!」
千熊丸は制止しようとしたが、口の中にも容赦なく砂が飛び込んでくるので、逃げることしかできない。
絢は、鍛錬の趣旨をまったく理解していなかった。
逃げ回る千熊丸を、絢は執拗に追いかけ、至近距離から猛烈な勢いで砂を投げつけ続けた。絢としては、千熊丸に命じられたことを素直に実行しているだけである。
「動く標的か。これは良い鍛錬になる」
孫四郎も、容赦なく千熊丸に矢を放ち続けた。おかげで孫四郎の弓の腕はめきめきと上達した。
千熊丸は、絢から逃げ回りながら、同じような状況が実戦でも起こりえるのだから、こうした鍛錬も必要ではないかと考え、投げられる砂の方向を予測して避けるなど、逃げ方を工夫した。後日の鍛錬では、絢に、お手玉を投げつけさせるだけではなく、先の丸い槍で打ちかからせたりもした。
数日後、「砂かけ婆」が出たと、子どもらが噂していた。おそらく、あの日の鍛錬の様子を誰かが覗き見ていたのだろう。
千熊丸は何も言わなかったが、「あれは『砂をかける』などといった生易しいものではなかった」と、噂を否定したい気持ちでいっぱいだった。
大永7年(1527年)3月22日、5千の兵を乗せた大船団が堺の港に到着した。一際大きな船に乗っているのは、足利義維、細川六郎、三好元長など、阿波勢のお偉方である。
六郎は盛大に船酔いしていた。白い狐のような顔が、さらに青白くなっている。
(もう船はコリゴリじゃ。二度と乗りたくない)
「大丈夫ですか、六郎様。堺に着きましたぞ」
元長が優しく声をかけた。
港では、先発隊の武将や、六郎方についた畿内の大名などが出迎えた。
「皆の者、足利義維様と細川六郎様の御成(おなり)だ」
元長が声を張り上げると、出迎えの者は、船から上陸する義維と六郎に対して、一斉に深く頭を垂れた。
その中にあって、会釈程度に軽く頭を下げる者がいる。畠山義堯(はたけやま よしたか)であった。
畠山義堯は、北河内と大和に勢力をもつ守護大名である。六郎の姉を正室としていた。つまり、六郎の義兄である。
畠山家も、細川家と同じく、同族同士で争って分裂・弱体化していた。とはいえ、将軍を補佐する管領に就けるのは、細川・畠山・斯波の三家だけである。畠山義堯は、畠山総州家の当主であり、管領になれる資格があった。血筋的に格が高い人物なのだ。
わしがキャスティングするなら、俳優の小泉孝太郎さんである。
元長が「仮面ライダーV3」とするなら、この畠山義堯は「ライダーマン」的な立ち位置で、共に戦ってくれることになる(「仮面ライダー電王」なら、「仮面ライダーゼロノス」である)。
「ようこそ、堺へ・・・おや、我が義弟は調子が悪そうだ」
「お義兄様、お久しゅうございます。お見苦しいところをお見せし、申し訳ありません」
「ここからは籠で参ります。ささ、どうぞ」
細川家の者の案内に従い、義維と六郎、義堯は籠に乗り込んだ。
籠が到着したのは「四条道場引接寺(しじょうどうじょう いんじょうじ)」という時宗の寺である。ここが将軍候補・義維の在所となるのだ。
寺の大広間で、義維と六郎の到着を祝う宴が開かれた。
「この寺は、わしの養父である第10代将軍・足利義稙(よしたね)も在所としておったのじゃ。そしてここから上洛し、将軍に再任された。つまり、この寺は、縁起の良い寺なのじゃ。この寺を在所とするのは、わしのたっての希望であった。それをかなえてくれたこと、感謝するぞ」
義維は上機嫌であった。この時代の人たちはこうした縁起担ぎ・験担ぎを大切にした。
「義維様、六郎様、堺の会合衆も目通りを願っております」
「左様か。すぐに通せ」
会合衆らが大広間に通された。堺は商人らの自治都市であり、豪商らが会合衆として、その運営を取り仕切っていた。
「此度は世話になったな。今後もよろしく頼むぞ」
「もちろんでございます。三好元長様には材木と藍の商いで大変お世話になっております。こちらこそ今後ともご贔屓にお願いいたします」
会合衆は、元長のほうばかりを見ていた。阿波の材木と藍で大儲けしている豪商らが多いので、会合衆にとっては、元長のほうがVIPなのである。
「元長が・・・ほう・・・元長!」
義維は元長に呼びかけた。
「ようやった!今後も良きに計らえ!」
「ははあ」
(偉そうに振舞うのは得意だが、すべて家臣に丸投げじゃないか。こいつはそれでいいのだろうが、わしはそうはいかない)
六郎は内心、義維の振る舞いを嘲笑いながらも、危機感を覚えていた。
「元長、わしは船酔いで頭が痛い。わしの屋敷はどこだ?」
宴の最中、六郎が小声で元長に尋ねた。
「ここでございます」
「えっ?」
「この縁起の良い引接寺にお部屋を用意してございます。六郎様からは特にご希望もありませんでしたし、意思決定上も義維様とご一緒のほうが、都合がよろしいかと。それに、義維様との連歌会も、思い立ったらすぐにできますぞ」
(義維と同じ場所に四六時中押し込まれるのか。息が詰まる。あの連歌会の話も嘘だったのに・・・)
六郎はますます頭が痛くなった。
「六郎、わしと毎日一緒にいることができて、嬉しいだろう。阿波では、わしは平島(現在の徳島県阿南市)の公方館で、寂しかったのじゃ。今後は堺で大いに親交を深めようぞ」
義維は、酒臭い息で六郎に話しかけた。
もちろん、義維が、勝瑞から離れた平島に住まわされたのは、政務に口出しをさせないためである。
義維としても自分の立場の弱さを分かっているからこそ、これからは、六郎と心情的にも近づきたいのだが、その行為は、義維を物言わぬ傀儡のままにしておきたい六郎の気持ちを逆なでするだけであった。
元長は、義維も六郎も、傀儡にするつもりは微塵もない。それぞれが将軍と管領になってほしいと願っているだけである。二人を引接寺に住まわせたのも、他意はなく、良かれと思ってのことであった。
しかし六郎は、これからのことを思うと、めまいがした。
「義維様、我が義弟は気分が優れない様子。今日はこのあたりでお開きということにされては」
畠山義堯が提案した。
「そうじゃな・・・皆の者、堺まで大儀であった。堺の衆と先発隊の皆も、よう設えてくれた。感謝するぞ。今後の皆の働きにも期待しておる。今日の宴はここまでとする。夜はゆっくり休んで、明日からに備えよ」
義維は宴の終わりを告げた。
義維と六郎は、細川家の者に案内され、自室へ移った。義堯ら客人も去った。
元長は、残った三好家中の者らに対し、事務連絡を行った。
「皆には事前に通達しているが、兵たちは、下船後、順次、海船政所(かいせんまんどころ)の兵舎に入っている。今日はまず、兵たちの点呼と健康状態の確認をせよ。武具や物資の確認も怠るな。それでは海船政所へ向けて出発する」
堺は、巨大な都市でありながら、商人らの財力で周囲を環濠と土塁で囲み、武士を雇って防衛させていた。
その環濠の北側に隣接する土地に、元長の祖父・之長は、1万人の兵が居住できる海船政所の建設を計画した。畿内における三好勢の拠点である。阿波から連れてきた兵たちを置くことで、一揆(戦力の現地調達)に頼らず、組織立った戦力を一定数保持し続けるためだ。弟・長尚の諫言や嫡男・長秀の死も影響したのかもしれない。
阿波から海を隔て、遠く離れた堺でも、兵や武器を蓄え、すぐに出陣できることからすれば、海船政所は、言い方は悪いが、日本における米軍基地のようなものだ。
織田信長は、安土城の城下に楽市を開かせたが、之長は逆に、堺という巨大な市の横に拠点を築き始めたのである。物資の調達も、隣接する堺の街で容易に行えるのだから、これほど利便性の良い場所はない。
それがやっと、元長の代で完成したのだ。
海船政所の中央には四層の高楼が建てられ、常に四方を監視していた。高楼とは、簡素な天守閣のようなものであり、海船政所の高楼も、ほとんどが板張りで、屋根に瓦はなく、檜の樹皮を貼り付けただけであった。周囲も土塁と柵だけで、環濠はなく、防御の点では、隣接する堺の環濠都市のほうが、はるかに優れていた。
それでも畿内に、これだけの規模の、しかも至便な拠点ができたことは、元長たちには大きかった。
「やっと来たか」
高楼の最上階から元長の一行を見つけた塩田一忠は、下へ降り、迎えに出た。
「すげえ!」
海船政所を初めて見た三好康長(ヤス)が、その規模に感嘆の声を上げた。ヤスはかなり酔っぱらっている。
「どうですか、完成した海船政所は。工兵、というか阿波で木こりをしていた兵ですが、そいつらだけじゃなく、銭に物を言わせて、堺の大工や職人たちもかなり動員しましたよ」
「わしが見たときは、半分も完成していなかったが・・・さすが一忠じゃ」
瓜爺が感心した。
「ところでわしの瓜畑はどこじゃ?」
「あそこに用意しておきましたよ」
「おいおい、ここも瓜だらけにする気かよ」
ヤスが言った。
「馬鹿者!畑いじりをすれば、戦で荒んだ心も和らぐのじゃ!それに、掃部助(河童)からも、きゅうりを所望されておる・・・さて、さっそく阿波からもってきたまくわ瓜の種をまいておくか。柚の苗木も植えておいてやろう」
「勝手にしろ」
ヤスは吐き捨てた。
「いい感じじゃないか。ここなら堺の衆に迷惑をかけることもない。練兵もできる」
元長は一忠の設えをほめた。
「阿波の粗末な我が家よりも、兵舎のほうが立派だと、皆、喜んでおりますよ」
「飯もたっぷり食わせてやってくれ。満ち足りていれば、悪さを考える者も出にくいはずだ。だが、堺の衆に安心してもらうために、喧嘩や盗みなどをした者は厳しく処罰すると、触れを出しておいてくれ」
一揆にも戦力を頼らざるをえなかった之長の時代から、新しい時代へと、確実に変わったのである。
「高楼に上らせてくれ」
元長らは、高楼の最上階に上った。
「之長の爺様がよく言っていた。『今、夢の基地を造ってるんだぜ』って。それが遂に完成したんだな」
元長は、今日初めての笑顔を見せた。
「おい、ヤス、西を見てみろ。港がこんなに近いぞ。南には堺の街並み。やっぱり栄えてるよなあ。東の山はなんだ?生駒山か?そして北には、俺たちが目指す京があるんだよな!」
元長は珍しくハイになっている。
「わはははは。ここは俺たちの夢の基地だ!ここから俺たち阿波衆は、六郎様と夢をかなえるんだ!わはははは」
元長は飛び降りた。
「おい!」
皆は慌てたが、元長は受け身をとって、平気だった。
元長は、高楼の上の空を見上げた。
(爺様、父上、見ているか?俺たちはここから、新しい一歩を踏み出すぜ)
「俺も飛び降りる!」
「お前はやめておけ!大怪我をするぞ!」
高楼の最上階では、飛び降りようとするヤスを、瓜爺や一忠が必死に止めていた。
★参考
【産経新聞】拠点どこ? 三好の居所か将軍の御座所か
【産経新聞】「海船政所」は三好軍勢のベースキャンプ?
■第8章 鬼の笑顔とオネエ奉行人
「私は、死ぬのだろうか・・・」
大永7年(1527年)5月、阿波の勝瑞館で、細川彦九郎(六郎の弟。赤い狐)は震えていた。
彦九郎は、叔父の阿波国守護・細川之持(ほそかわ ゆきもち)の養子として、亡くなった之持の跡を継ぎ、阿波国守護となっている。
「大丈夫です。死にはしません」
赤沢次郎(赤沢信濃守重経)が温かみのある声で言った。
元長の父・三好長秀の首と引き換えに、命を救われた次郎は、板西城(ばんざいじょう。所在は徳島県板野郡板野町)の城主となっていた。
赤沢次郎は、わしが配役できるなら、俳優の吉岡秀隆さんだな。
次郎は、堺へ出陣する元長から、勝瑞の留守も任されていた。
「でも、高国は、阿波の海部、土佐の一条、豊後の大友に、阿波への侵攻を命じたそうではないか」
「大したことはありません。海部なんて阿波の南の端っこの領主です。阿波の南部には強い家臣たちがたくさんいますし、もし勝瑞まで攻めてきても、私が育てた赤沢家十二人衆がお守りします」
「一条と大友が攻めてきたら?」
「阿波から遠すぎます。もし攻めてきても、阿波の西には、私の親友の篠原長政(子泣き爺)がいるから大丈夫です」
「皆、私を見放さないだろうか?」
「彦九郎様のことは、いつも、みんなで見守っていますよ。それを忘れないでください」
次郎の優しい言葉に、彦九郎も安心したようだった。
「次郎様、篠原長政様より書状が届いております」
家臣が書状を手渡した。
次郎が、書状を包んでいる封紙を開くと、少量の砂がこぼれた。長政の妻の絢が書状を包む時に、紛れ込んでしまったのだ。
次郎は書状を読んだ。
(次郎よ、万が一に備え、阿波の西側の防衛体制はしっかりと整えた。彦九郎様にご安心をとお伝えしてくれ。うちの下の息子も2歳になり、いろいろとおしゃべりをしてくれるようになったよ。お前の息子も元気か。まさかお互い、子まで持てるなんてな。これも長秀様のお陰だな。空の上の長秀様が笑顔でいてくださるように、お互いがんばろうな)
書状の端には、砂がこびり付いている。その砂を、次郎は指でなぞった。
(長政、お前、明るいふりをしているが、本当は、砂埃にまみれながら、毎日苦労しているんだな・・・)
次郎の両目から、とめどなく涙があふれ出した。
「・・・長政・・・長政・・・長政ああああ・・・」
「えっ、何?どうしたの?長政が死んだの?長政が裏切ったの?えっ?」
彦九郎は不安で死にそうになった。
この程度の侵攻なら阿波は大丈夫だが、追随する大名が出てくれば、堺から兵を戻さなければならない。兵を戻せば、義維や六郎を守れない可能性もある。ならば、共に阿波へ戻るしかない。元長らは、堺を離れられないでいた。
少し時を遡る。山崎城では、三好長家が帰らぬ人となった。遺骨は2つに分骨し、1つは政長が持ち、もう1つは政長の妹らが長洲荘に持ち帰った。
余談だが、戦国時代は火葬と土葬が半々くらいだった。江戸時代には土葬が主流になる。
「これからどうするよ、おい」
丹波三兄弟の三男・柳本賢治が、山崎城の広間で問いかけた。
城の広間には、他に、丹波三兄弟の長男・波多野元清、元清の嫡男・秀忠、三好家長(柚爺)、政長、加介。そして、丹波三兄弟が山崎城を落城させた後に、次々と降伏した摂津の北東の諸城(芥川城、太田城、茨木城、安威城、福井城、三宅城)の城主らがいた。ただ、すべての城主がいたわけではなく、芥川城主の能勢国頼は、降伏・開城の後、姿を消している。
降伏したことからも分かるとおり、これら摂津国衆の個々の勢力は、丹波三兄弟のものとは比較にならないほど小さい。
なお、国衆とは、市町村くらいのレベルの地域を支配した武士のことを指す。国人とも呼ばれる。余談だが、この国衆から戦国大名になったのが徳川家康や毛利元就だ。
この国衆の中で、一番大きな勢力をもっている茨木長隆(いばらき ながたか)が口を開いた。
「ここにいる摂津国衆を代表して一言申し上げます。桂川原の戦いでは、我々摂津国衆も全身全霊でご助力させていただきました。これからは、高国に代わって、細川六郎様が、細川宗家の当主、そして管領となられ、天下に采配を振るわれることと存じます。我々といたしましては、六郎様にお目通りをさせていただき、本領を安堵していただきたく存じます」
本領の安堵とは、領地の支配権を引き続き認めてもらうことである。
「あのさあ、お前たちは自分のことだけかよ。今は、これから京をどう押さえ続けるのか、幕府をどう運営するのか、天下国家の話をしてるんだよ」
丹波三兄弟の長男・元清が苦言を呈した。
「とはいえ、足利義維様と細川六郎様のご意向をお聞きし、状況を確認せねば、我々だけで物事を論じられまい」
柚爺こと三好家長が発言した。
「まあ、今わしたちにできるのは、京の治安を維持することくらいだな。では堺へ、六郎様の御尊顔を拝しに伺うか」
長男・元清が言った。
「ちょっと待ってくれ」
政長が待ったをかけた。
「さっき発言した、茨木童子みたいな顔した人!」
政長は少し険しい顔で、茨木長隆に歩み寄った。
長隆は大柄で、下顎の犬歯が長く、口の外へ飛び出しており、常にしかめっ面をしていた。「鬼」と指差されたことは数え切れない。ロシア人の血でも混じっているのか、髪は生まれつき金色である。
政長は、座っている長隆の背後に回り、両肩に手を置いた。
「力み過ぎや。そんな顔では、六郎様も怖がるで。それでは六郎様に会わされへん。笑ってみいや」
長隆は、戸惑いながらも笑顔をつくってみた。
「かわいいやないか。その笑顔やったら合格や」
一同は、案外かわいい長隆の笑顔を見て笑った。
笑っていた長男・元清が咳き込んだ。かと思えば、血を吐いた。
「兄貴、どうした!」
「無理がたたったようだ。わしは八上城(やかみじょう)に戻る。後は任せたぞ」
その後、病に臥せった長男・元清が回復することはなかった。幕府の評定衆にも列せられ、波多野家を丹波有数の勢力へと発展させたこの名将は、惜しくも3年後に亡くなるのである。
山崎城には、元清の嫡男・波多野秀忠と、三好家長(柚爺)が残り、京の治安維持を指揮することになった。元清は療養のため丹波へ戻り、他の者らは堺へ向かった。
堺の引接寺の広間では、三男・柳本賢治らが来ると聞き、足利義維、細川六郎、三好元長が、その一門・側近らと共に到着を待っていた。
「柳本賢治様たちがお越しになられました」
三男・賢治らは、楽しそうにワイワイガヤガヤとしながら広間に入ってきた。道中を共にする中で、すっかり親交を深めたようである。
「義維様と六郎様の御前であるぞ。礼儀をわきまえよ」
元長が厳かに注意した。
「ははあ。これは失礼いたしました」
三男・賢治らは平伏した。
「そのほうが柳本賢治か。桂川原の戦いでの勝利は見事であった。褒めてつわかすぞ」
「もったいないお言葉です。あの勝利は、ここにいる三好長政の策があってのもの。長政の策がなければ、膠着状態が続いていたかもしれません」
「政長よ。長家は残念であったな」
「兄は勇敢でした。兄の槍が、大納言・日野内光の首を獲ったのです。これが兄の遺骨です。どこかに葬ってやれないものでしょうか」
「この引接寺に墓を建ててもらうがよい。僧にも経を上げてもらい、あらためて丁重に弔らおうぞ」
「ありがとうございます」
義維の提案に、政長は礼を述べた。
「この機会に、今日は今後について話し合いたいのだが」
元長が言った。
「兄の波多野元清も、これから京をどう押さえ続けるのか、幕府をどう運営するのか、義維様と六郎様のお考えをおききせよと申しておりました」
「私も京の様子をこの目で見てきましたが、幕府はもぬけの殻でした。今は我らの軍勢で京の治安維持に当たっています」
三男・賢治の言葉に、政長が付け足した。
「幕府の運営については、幕府奉行人がよく知っているはずじゃ。そこの斎藤基速(さいとう もとはや)は、わしの養父である10代将軍・足利義稙が阿波に連れてきた幕府の奉行衆の中でも、一番優秀な奉行人じゃ。基速、お主の考えを聞かせよ」
義維が側近の基速を指名した。
幕府奉行人とは、幕府で上位者の命令を受けて政務を担当・執行する官僚である。今でいえば国家公務員だ。大きな違いは世襲制か否かである。
「恐れながら、奉行人は、上役の指示に従って職務に専念するだけの小役人でございます。幕府の運営にご意見を申し上げるなど、分を超えております」
「お主が一番詳しいのじゃ。わしの命令である。忌憚のない意見を申せ」
「何を申し上げても処罰なさいませんか?」
「処罰せぬから、遠慮せず、お主の考えを言え」
基速は、目を閉じ、深呼吸をした。そして目を開いて語り出した。
「義維様のご命令だから、本音で話すわよ」
オネエ言葉になった。
「ズバリ言うわよ。柳本賢治、特にあんたには幕府の運営は無理!」
基速は、三男・賢治を指差した。
「俺?えっ?」
「あんた、部下の役人に暴言吐くわ、暴力振るうわ、商人にワイロを要求するわ・・・ワイロを渡さない商人の店を『火つけて燃やしてこい』とかまで言ってたらしいわね」
「お前が何でそんなこと知ってんだよ!」
「奉行人の情報網をなめないでよね。だからあんたは馬廻(主君の護衛)だけで、代官すら任されなかったのよ」
「年功序列じゃなかったのか・・・」
「あんたは武勇には優れているけど、次男の元盛と同じくらいバカ。元盛はお人好しだったけど、あんたは強欲。役人や御用商人もいじめるし最悪」
「お前、本当のことばかり言い過ぎなんだよ!誰に向かって口きいてんだ、この奉行人ふぜいが!」
「おだまり!何でもお見通しよ!幕府のお仕事はねえ、私たち役人がやってるのよ。あんた、役人をいじめ過ぎたのよ。だからみんな、逃げ出したんじゃないの。幕府がもぬけの殻なのは、あんたが京に進軍してきたせいなのよ!」
「俺のせいだったのか?」
実際にはそうとまではいえないのだが、基速は、今後のために釘を刺したのである。
「役人なめんなよっ!私たちはね、子どものころから奉行人としての英才教育を受けてきてるのよ。あんたに法律が分かるの?訴訟をちゃんと裁いて、判決文を書けるの?税の仕組み、分かってんの?幕府の莫大な財政を計算して帳簿につけられるの?朝廷や外国と交渉できるの?儀式の作法は知ってるの?人事を公平にできるの?」
「・・・何一つ、無理だ・・・俺が幕府の財政を担当したら、絶対、俺、幕府のお金を盗むと思う・・・」
三男・賢治はガックリとうなだれた。
「そんな知識があるのは、私たち奉行衆か、同じように英才教育を受けてきた六郎様くらいなものよ」
「六郎様、すげえ」
政長は六郎をほめる声を発した。
(見ている者は、見ているんだな)
六郎は自尊心がくすぐられ、内心非常に喜んだ。自然と少し背筋が伸びた。
「あんたたちは出来なくてもいいのよ。役人の私たちがやるから。でも、私たちだって、理想の上司の下で働きたいわ。その点でいえば、元長様が一番よ。鍛錬バカで、ちょっと教養が足りないけど、器が大きくて、愛があって、しっかりしてて、いつも先頭に立って、人を動かすのが上手で、家臣に慕われてて、公明正大。人事評価も、ちゃんと公正に査定してくれそう。男前だし・・・こういう上役の下で仕事したいのよ、私たちは」
元長も自然と少し背筋が伸びた。ただ、「男前」という言葉に、若干の警戒感を覚えた。元長が愛しているのは、妻の春だけなのである。
「役人の仕事はね、ワイロとか、えこひいきとか、利益誘導とかはダメなの。だから、本領安堵とか自分の利益しか考えない国衆には任せられないわけ」
茨木長隆のしかめっ面が、引きつった。
「さて、これからの話だけど、まず質問です。今、幕府はどこにあるでしょうか?」
「京じゃねえのかよ」
三男・賢治が答えた。
「そうとも言い切れないのよ。質問を変えるわね。過去に、京以外で、幕府が開かれた例はあるでしょうか?」
「鎌倉幕府だ」
六郎が即答した。
「さすが六郎様。良くお勉強してるわね。では何故、京から離れた場所に、幕府が開けたのでしょうか?」
「源頼朝公が、平氏を滅ぼして全国を支配し、朝廷からも全国の支配権を獲得して、征夷大将軍に任じられたからだ。要するに、実権のある将軍が鎌倉にいたからだ」
「六郎様、またまた正解です。つまり、将軍がいるところが、幕府になっちゃう可能性があるのよ。さて、将軍は、今どこに?」
「12代将軍・足利義晴様は、高国と共に、近江へ逃げた・・・」
政長が答えた。
「じゃあ近江幕府か?」
三男・賢治が半笑いで答えた。
「一時的に逃げてるだけなら、そうとも言い切れないのよ。ただ、一緒に、奉行人たちも逃げてるでしょ。これは案外マズいわよ。幕府の仕事ができちゃうんだから」
「じゃあどうすればいいんだよ」
「一番いいのは、義晴様と高国と一緒に捕まえて、将軍職と細川宗家の当主の座を譲らせること。それができないなら、義維様を将軍に任じてもらうように、朝廷に働きかけるしかないわね」
「両方を同時に進めるしかないな」
元長が答えた。
「朝廷には、私が働きかけるわ。それには、現将軍の義晴様や高国よりも実力があることを示しつつ、京の治安を維持して、天子様や公家を安心させて、ワイロをいっぱい贈る必要があるわ」
「さっきワイロはダメって言ったじゃんかよ」
「朝廷は別。朝廷は女と一緒。安心感とお金を与える必要があるの」
「確かにお前にはその気持ちが分かりそうだな」
賢治が笑った。
「まあ、そういうことよ。最後にもう一つ。京と山崎周辺を押さえたんだから、そこは三好の当主の元長様に治めてほしいわ。之長様のせいで、三好の印象は最悪だけれど、人徳のある元長様ならそれを変えられるわ。三好に対する公家の印象を変えないと、義維様の将軍叙任にも影響があるわよ・・・私からは以上です。処罰しないでくださいね、義維様」
「・・・う、うむ、武士に二言はない。六郎、基速の意見はこのとおりだが、お主はどうだ?」
「基速の言うことに間違いはないでしょう。当面は、元長に差配させましょう。元長、お主に一任する。基速らと打ち合わせしながら、万事進めてくれ」
「ありがたきお言葉。御意にございます」
「私からも少し意見を述べさせていただいても、よろしいでしょうか」
政長が声を上げた。
「述べてみよ」
「確かに、賢治の兄貴には問題があったかもしれません。しかし、桂川原の戦いで勝利できたのは、賢治の兄貴たちの武力があってこそです。摂津国衆も合戦で大いに活躍しました。そこはご高配賜りたい。この茨木長隆は、道中いろいろ話をしましたが、そこそこ教養もあります・・・おい、お前、顔こわいねん」
政長は長隆の頭をはたいた。長隆は笑顔をつくった。
案外かわいい長隆の笑顔に、六郎はクスリと笑った。
「このように、頭をたたけば笑顔にもなれます。国衆だからと偏見を持たずに、こいつらの教養のほども、あらためて試してやってください。それでも教養が足りなければ、六郎様の爪の垢を煎じて飲ませてやってください。お願いいたします」
「分かった。基速に試験をしてもらおう。それにしても政長、よくそこまで摂津国衆をまとめたな」
元長は政長の才能に感心した。
■第9章 飯盛城の天狗と「堺幕府」
「この子は助かりません。残念ですが」
産婆が言った。
大永7年(1527年)4月、阿波の芝生城で、春は4人目の男児を産んだ。
しかし、元長のことを日々心配し過ぎたためか、早産であった。産まれた嬰児は未熟児で、一般的な赤ん坊の半分の大きさもない。泣き声もか弱い。
春は、せめて、この赤子の命が尽きるまで、乳を吸わせてやろうと、自分の胸の上に置かせた。すると赤子は、春の乳房に、懸命に吸い付いてきた。
事情を聞いた篠原長政(子泣き爺)は、毎日空へ向け、でんでん太鼓を打ち鳴らし、赤子の無事を祈った。
赤子は奇跡的に生き延びた。名は孫六郎。後に「鬼十河」と呼ばれる十河一存(そごう かずまさ)である。
堺の引接寺の本堂では、三好長家の葬儀があらためて行われ、義維も六郎も参列し、僧らが読経した。
長家の墓の前で、義維は毎日のように合掌した。暇なのもあったが、義維にとっては英霊の墓であり、パワースポット的な感じでもあった。験担ぎが好きなのだ。
ただ、その後ろ姿に、三好家中の者は感謝した。
三好元長は、堺の顕本寺に居を構えていた。法華宗の寺である。
六郎から差配を一任された元長は、三男・柳本賢治や斎藤基速(オネエ奉行人)、自身の側近の他、畠山義堯も呼び寄せた。
「義堯様、お呼び立てして申し訳ございません」
「なんのなんの。我が義弟のためならば、どこへでも伺いますよ。こちらは私の家臣で、飯盛城の城主の木沢長政(きざわ ながまさ)です」
義堯は家臣の木沢長政を紹介した。
「おい、あんた、失礼だろ」
三好康長(ヤス)が木沢長政に向かって言った。
「なんじゃ?」
「その天狗の面をとれよ」
「生まれつきこういう顔じゃ!それを言うなら、お前のところのあいつは笠をかぶったままじゃねえか」
「あ~ん、俺のことかあ?」
笠で顔を隠していた加地為利が、片眼の恐ろしい顔と傷跡と入れ墨を見せて、長政(天狗)を睨んだ。
「・・・申し訳なかった。そのまま笠をかぶっていてくれ・・・」
長政(天狗)は為利に詫びた。
「ヤス!無礼であろう!お前が悪い。謝れ」
元長がヤスを叱った。
「悪かった。謝る。あんたも顔で苦労してるんだな・・・」
「苦労しとらんわ!この顔でモテモテじゃ!」
「・・・さて、これからの方針についてだ。先日、基速が提案したとおり、京と山崎を含む山城の国の半分は、俺が担当する」
「ちょっと待ってくれ。そこは、高国に殺された俺の兄貴の香西元盛の領地じゃねえか。元盛の兄貴は山城半国の守護代だったんだぞ。兄貴が死んだ今、当然、俺のものだろう」
三男・賢治が異を唱えた。
守護代というのは、守護の下に置かれた役職であり、守護の代行として任国の政務を司った代官である。守護や守護代の下には、郡ごとに郡代が置かれることもあった。
「おだまり!あんたの兵が公家の屋敷にまで強盗に入ってるって、京から苦情が殺到してるわよ!あんたがやらせてんじゃないの?」
「ギクッ・・・なんで知ってるんだ」
「すべてお見通しよ!公家の印象を悪くしてどうすんのよ!義維様を将軍にしたくないの?」
「丹波の兵は京から退いたほうが良いな。といって、三好の兵も未だ印象が悪い。義堯様の兵をお貸しいただけないでしょうか?」
元長が言った。
「ははははは。畠山家の者は、無礼なお主らと違って、義堯お坊ちゃまから一兵卒に至るまで、品行方正なのだ。京へは、人格高潔な、このわしが行くぞ」
長政(天狗)が高笑いした。
「いや、わしが行く。これでも畠山の当主だ。公家に多少の伝手もある。長政(天狗)、お前には北河内の留守を頼む。それから『お坊ちゃま』はいい加減やめろ」
「義堯様、よろしいのですか?」
「なあに。我が義弟のためだ。一番適任のわしが行くほうがよかろう」
「京を含む愛宕郡の担当には、こちらの塩田胤光(たねみつ)を当てます。武勇に優れ、礼儀もわきまえた者です。いざというときは、お頼りください。京の治安維持に必要な銭も胤光から支払わせます」
胤光が黙したまま一礼した。
「分かった」
「山崎城のある乙訓郡の担当には、そのまま三好家長(柚爺)を当てます。他の郡にも、三好の家臣を置き、基速の提案どおり、三好の印象の改善にも努めます」
「俺はどうしたらいい?」
三男・賢治が尋ねた。
「京以外の山城の治安維持のために、兵の一部をお貸しください。当然、その分の銭はお支払いします。賢治殿は、一度丹波に戻られて、体勢を立て直されてはいかがでしょうか?兵も連戦で疲れているでしょう。丹波から、京や摂津へ睨みを利かせて、高国方の反攻に備えていてください」
「分かった。兄貴の容体も気になるしな。銭のほうは、たんまり弾んでくれよ」
「近江の六角には、六郎様から縁談を申し入れているし・・・大和の状況はどうだ?」
「国衆同士で小競り合いをしているが、共通の敵と見れば、一致団結するような者らだ。今は刺激しないほうがいい」
義堯が答えた。
「あとは、摂津だ。摂津の状況はどうなんだ?」
「池田城の池田信正(のぶまさ)は、六郎様のお父上の澄元様にもお味方した猛将ですが、現在は態度を決めかねているようです。こちらにつく可能性は十分にあります。芥川城を捨てた能勢国頼は、能勢の丸山城に逃げたと思われますが、大した脅威にはなりません。当面無視していただいて結構かと。吹田城主の吹田美童(16歳の美しい少年であったため、このように呼ばれている)は、賢治様たちが挙兵された後、我々と同様、共に戦いましたが、高国方の伊丹城主・伊丹元扶(もとすけ)に討ち取られました。元扶は智謀の将で、伊丹城は、今年1月に丹波勢から攻撃を受けても落ちませんでした。現在も高国方です。丹波勢は摂津武庫郡の越水城(所在は兵庫県西宮市)まで攻め、城主・瓦林春綱は逃げました。現状、伊丹が一番問題かと」
茨木長隆が答えた。
「池田と伊丹だな。政長、摂津国衆と共に、対策を考えよ」
「分かりました」
「とにかく最優先は、京を確保し、治安を維持し続けることだ。そして、朝廷へのワイロなんだよな、基速」
「そうよ。私も京に留まって、朝廷に工作し続けるわ。そのための銭をちょうだい」
「分かった。必要なだけ言ってくれ」
「さすが、お金持ちの男前ね」
「・・・それで、摂津国衆の教養のほうは、どうであった?」
「茨木長隆殿以外は落第ね」
「厳しいものだな。長隆殿は奉行人の候補に入れておこう」
長隆は笑顔になった。
「以上だ。皆ご苦労であった。各々準備を進めてくれ」
「おい、政長殿」
顕本寺から去ろうとする三好政長に、木沢長政(天狗)が声をかけた。
「お主の妹は、それはそれは美しいらしいな」
「どこからそんなことを・・・」
「柳本賢治殿が触れ回っているぞ。お主の妹を、わしの嫁にくれぬか。さっきはモテモテだと見栄を張ったが、この顔のせいか、実は、まったくモテないのだ。頼む!嫁にくれ!」
「急に言われてもなあ・・・これからの付き合い次第やな」
「もし嫁にくれるなら、絶対に損はさせん。頼んだぞ!」
木沢長政(天狗)は、一本歯下駄の足跡を残して去っていった。
元長は顕本寺の住職を訪ねた。
「ご住職、お願いがあるのだが」
「何でしょうか?」
「境内に、私の妻子用の屋敷を新たに建てたいのだ」
「今ある建物ではダメなのですか?」
「実は、妻は脚が不自由で、屋敷の中を這って移動しているのだ。段差のない、新たな屋敷を建てたい」
「そのような事情がおありでしたか。どうぞお建てください」
「かたじけない」
(春よ、千熊丸よ、時機が来れば呼び寄せるからな)
6月5日、老学者の三条西実隆(さんじょうにし さねたか)が、京の都大路を歩いていると、見覚えのある武士に出会った。
「お主は、斎藤基速ではないか」
「お久しゅうございます」
「こんなに大勢の者に、たくさんの荷物を持たせて、どこへ行くのじゃ」
「足利義維様の使者として、朝廷へ挨拶に参ったのです」
「今、どこに住んでおるのじゃ?」
「近江へ逃げた奉行人の飯尾貞運殿のお屋敷を、少しお借りしております」
「借りてるって、勝手に住んでるだけじゃろ」
「何よ!人聞きの悪い!高国方のものだから、没収してもよかったのよ!それを、ちょっとの間、借りるだけで勘弁してあげてるのよ!」
「お主、変わったのう。しゃべり方が・・・」
「失礼ね。行くわよ」
基速の朝廷へのワイロ工作が実を結び、6月17日に、朝廷に対して、義維を従五位下・左馬頭へ叙任するよう請願することができた。左馬頭は、将軍に叙任されるために必要な官職である。もちろん、請願にあたっては十分な根回しをしている。叙任されることが確実だからこその請願なのだ。
7月13日、朝廷は、義維を、従五位下・左馬頭に叙任した。これによって、義維は、将軍になる資格を得たのである。
ただし、将軍の職名を名乗るためには、これとは別に、朝廷による「征夷大将軍宣下」の儀式を受ける必要があった。ところが、この将軍宣下については、これまで京に在住した者にしか行われなかったと朝廷が拒否したため、堺を離れられない義維は受けることができなかった。
余談ですけど、わし(足利義栄)は、朝廷の方に出張してもらって、摂津富田で将軍宣下を受けました。三好三人衆のお陰ですな。
しかし、義維が従五位下・左馬頭という官職を朝廷から得たことにより、合法的に、実質的な「堺幕府」を設置・運営することができたのである。義維は、将軍の敬称である「公方」や「大樹」を用いて、「堺公方」や「堺大樹」と呼ばれた。
斎藤基速ら奉行人も幕府としての仕事をバリバリと行った。
ただ、12代将軍・義晴が健在なため、全国的には義晴と高国のほうを正統なものと見る大名が多かった。やはり、義晴と高国をどうにかする必要があるのだ。
8月、元長は、茨木長隆や家臣と共に、芥川城にいた。摂津攻略の下見のためである。
「よほど慌てて逃げたのだろうな。囲碁も対局の途中で放り出しておる」
元長は、建物の中を覗き込み、碁盤の碁石を指差した。
「しかし、これは良い城だ。三方が芥川の急崖で囲まれ、守りが堅い。山城にも丹波にも近い。山城との境はどのあたりだ?」
「あそこに見える高い山が、通称『ポンポン山』といいまして、山城との境になっております」
長隆が説明した。
「なぜ『ポンポン山』というのだ?」
「山頂を足で踏むと『ポンポン』と鼓のように鳴るのです」
「ほう」
元長は、その場で相撲の四股を踏んでみた。
「ここでは鳴らんな・・・そうだ長隆、わしと相撲をとってみんか?お前の強さを試してやろう」
「私は力比べで負けたことがありません。お命にかかわりますぞ」
「構わん。殺す気でかかってこい」
長隆は、悪い笑顔をした。
元長は手を後ろに組んだままである。
長隆がつかみかかったが、何故か空中に投げられていた。
「お前、弱いな。そんなに弱くては、俺の家臣の誰にも勝てんぞ。お前は、戦に出るより、事務方に専念したほうが良いな。お前は京へ行き、塩田胤光の下で、高国方の土地の没収と、寺社領の安堵の文書を発給する仕事をせよ」
元長は、後ろに手を組んだまま命じた。
一方、政長は、加介と摂津国衆を伴って、池田城へ赴き、池田信正に面会した。
「おお、久しぶりだな。ちょうど、冷麦を作っているところだ。お前たちも食ってくれ。そして感想を聞かせてくれ」
信正は、政長らに冷麦を振る舞った。
「うまいか?」
「見ただけで分かる。美味いやつやん!」
「うわー、うまーいっ!」
「うまいまだ!」
「うまいなだ!」
「おお、そうかそうか。それは良かった。俺は無類の麵好きでなあ、自分でも趣味で作っているのだ。ゆくゆくは池田の特産品にできないかと考えておる」
「信正殿、既に存じておられると思うが、細川六郎様が京を支配され、足利義維様が従五位下・左馬頭に叙任された。これからはわしらの天下じゃ。わしらの味方になってはくれぬか」
「しかしなあ、まだ義晴様も高国様もご健在だろ?うちの隣の伊丹も、とんでもない知略家だ。堀から兵が飛び出してきたりするんだぜ。知略というより奇略だな、ありゃ。それで強いのなんの。どうしたものか・・・」
「どうしたら味方になってくれるんじゃ」
「そうだなあ。俺は無類の麺好きのせいか、女のほうも面食いなんだ。美人の嫁さんを世話してくれたら、味方になってやるぞ」
「お前も嫁かい!」
政長は、冷麦を吹き出しながら、ツッコんだ。
配役は・・・池田信正は、麺ということで、狩野英孝さんだろうか。
★参考
芥川城跡からの戦国時代の囲碁の碁石を発掘
インスタントラーメン発祥の地いけだ – 池田市観光協会
戦国期畿内研究の再構成と「細川両家記」
■第10章 朝倉宗滴と伊丹元扶
「笑えねえ・・・まったく笑えねえなあ」
三好加介はため息をついた。
三好政長の妹を、木沢長政(天狗)が嫁にほしいと言うので、政長の父・三好長尚の意見を聞くために、政長と共に、池田から長洲荘へと足を延ばしたのである。
すると、笑い上戸の姉のほうは、夫が天狗の顔なら毎日笑えそうだと言い、育ち盛りの妹は、毎日麺が食べられるなら幸せだと言うのだ。
「俺も、天狗の顔の麺づくりの達人に生まれたかった・・・」
加介は落ち込んだ。
「長尚爺、嫁にやって、いいんですか?」
「娘が前向きなら、俺は何も言わん。後は家督を継いだ政長が判断しろ」
「娘に、『ちょ待てよ』って言ってくれないんですか?」
「黙れ」
後日、美人姉妹は、長政(天狗)と信正(麺)に嫁入りすることになる。
10月初めの夕暮れ、三好康長(ヤス)の兵が、伊丹城を包囲していた。高国方の伊丹城主・伊丹元扶(もとすけ)が態度を変えないので、実力行使に出たのである。
余談ではあるが、伊丹城は、後に有岡城と名を改められる。黒田官兵衛が幽閉された城なので、有岡城の名をご存じの方のほうが多いだろう。日本最初の天守が築かれたのもこの城である(諸説ある)。
「まったく1か月も手間とらせやがってよう・・・おい!お前がどれだけ知略に富んだ智謀の将でもなあ、これだけの兵に囲まれたら勝てねえぞ!素直に降参しろ!」
康長(ヤス)は大声で呼びかけた。
すると城門が開き、死装束に身を包んだ老将が、提灯をもって現れた。
「元扶様、おやめください!」
周りの者らは必死に止めたが、その手を老将は振り払い、康長のほうへゆっくりと歩いてきた。
「あれは伊丹元扶か?」
「はい。でも以前と比べて、随分と様子が変わったような・・・」
康長の質問に、摂津国衆の1人が答えた。
「おい、伊丹元扶か?」
康長が尋ねた。
「オチャオチャオチャオチャ・・・」
「えっ、何?」
元扶は訳の分からない言葉をしゃべっている。
「トボトボトボトボ・・・」
「ちょっと何言ってるか分からない」
元扶が近づいてくると、その顔の右目から頭部にかけて、大きく赤黒い腫瘍ができていた。
「うわあ、なんだありゃ。病気か?」
「セングリセングリセングリ・・・」
「かわいそうに。あの腫物は、頭の中にまで達しているに違いない」
「おいたわしや。あれだけ賢かった元扶殿が、病気のせいで頭がおかしくなったようだ」
元扶は、康長の前でバタリと倒れた。
康長は思わず駆け寄り、元扶を抱きかかえた。
「おい、じいさん、大丈夫か?」
「・・・な・・・め・・・て・・・」
元扶は、苦しそうに小刻みに震えながら、自分の顔の腫物を指差した。
「・・・な・・・め・・・て・・・」
他の者は後ずさりしている。
「・・・な・・・め・・・て・・・」
「・・・な、なめたら楽になるのか・・・ええい、やってやる!」
康長は腫物をなめた。
「なんだこりゃ!異常に魚臭いし、辛くてピリピリする。舌が痛い」
「・・・もっと・・・な・・・め・・・て・・・」
「えっ、もっと?・・・こうなりゃ、全部なめとってやるよ!」
康長は腫物を懸命になめた。
「合格です」
「えっ?」
元扶はゆっくりと立ち上がった。
「あなたを試しました。舌の痛みに耐えて、よくぞこの試練の壁を乗り越えましたね。名付けて『有岡のナメ』の試練です。この戦乱の世で、人々は自分のことばかり。ところがあなたは見ず知らずの私を楽にしようと、腫物をなめてくださった。感動しました。この伊丹元扶、命をかけて、あなたのお味方をさせていただきます」
「舌がヒリヒリして痛いんだけど、大丈夫かなあ?」
「大丈夫です。赤味噌に、生魚の血と大量の唐辛子を混ぜて固めただけのものなので。まあ、毒も混ぜていたら、あなたは死んでいましたが」
「あっ・・・」
何はともあれ、康長は、伊丹元扶を従わせたのであった。
康長は、二度と知らないものは、なめないと誓った。
伊丹元扶の役を、有吉弘行さんがやってくれたらなあ・・・
★参考
【兵庫県】伊丹城(有岡城)の歴史 日本最古の天守を備えた城だった?
妖怪「油返し」
片目魚
「すまぬ。突然で防ぎ切れなかった・・・」
山崎城で、畠山義堯は謝罪した。
「仕方がありません。京は守りにくい」
「我らが摂津を攻めている隙を狙ってきたのでしょうな」
三好元長と三好一秀(瓜爺)が慰めた。
9月末、現在の将軍である足利義晴を保護している近江の守護大名・六角定頼が、1万の兵を引き連れて、京へ入ってきたのだ。
それだけではない。それと同時に、越前(現在の福井県嶺北地方等)の守護大名・朝倉孝景の1万の軍も、京へ侵入した。
わしがキャスティングするなら・・・六角定頼役は、六角精児さんをおいて他におられまい。
京は、東海道や西国街道など、大きな街道の始発点が集中している開けた場所で、非常に守りにくい。そんなところへ、2方向から同時に1万ずつの大軍がやってきたら、とても防ぎきれないのだ。
余談であるが、よく出てくる山崎は、天王山と淀川に挟まれていて、守りやすい場所である。
六角勢と朝倉勢は、洛南(京都御所の南側の地域)にある東寺を中心に陣取った。
義堯は、畠山勢を取りまとめ、西七条の川勝寺口付近まで後退させた。
「丹波の柳本賢治殿にもご出陣願おう。政長、賢治殿にお伝えしてくれ」
「分かりました」
政長は丹波へ馬を走らせた。
10月13日には、将軍・義晴が、高国と共に上洛し、東寺に陣を張る。畠山義堯と敵対する畠山稙長(はたけやま たねなが)が、1万5千の軍勢を引き連れてくるなど、高国方の兵は5万にも達していた。なお、義堯は畠山総州家の当主、稙長は畠山尾州家の当主であり、六郎対高国と同様、バチバチに争い続けている。
高国の陣中には、丹波三兄弟の次男・香西元盛を讒言で死に追いやった細川尹賢(ただかた)もいた。
余談だが、東寺は五重塔で有名である。五重塔の屋根の下の四隅には天邪鬼(あまのじゃく)の像が、まるで五重塔を支えるように設置されている。これは、何にでも反対のことをする天邪鬼は、五重塔が倒れそうになっても、倒すまいと踏ん張るからだそうである。噓つきの妖怪も、使いようなのだ。
細川尹賢の顔は、この天邪鬼に似ていた。
「これからどうするよ、おい」
丹波三兄弟の三男・柳本賢治が問いかけた。
「京の防衛の責任者は私であった。その責任をとって、先陣を切りたい」
畠山義堯が名乗りを上げた。
「義堯お坊ちゃまの宿敵の畠山稙長もおりますしね。我々で蹴散らしてやりましょう」
北河内から軍勢を引き連れてきた木沢長政(天狗)が言った。
「そういうわけではない。ただ、我が義弟のためにも、責任を果たしたいだけだ。それから『お坊ちゃま』はいい加減やめろ」
「では義堯様に先陣をお任せします。賢治殿は北から、我々三好は西から、東寺の敵方を波状に攻撃いたしましょう。後詰は摂津国衆とし、万一に備えてもらいます。柚爺、摂津国衆を指揮し、不利と見れば、山崎までの退路を確保してくれ」
「心得た」
「兵力差がないので、膠着状態になっても焦らないことです。それから、敵方の退路は断たないように。敵兵が死兵となる可能性があります。もしも、東寺まで攻め込めた場合には、高国は殺しても構いませんが、足利義晴様は生け捕りにしてください。将軍殺しの汚名を着せられれば、後々面倒なことにもなりかねません。では、明朝に出陣とします」
「おう」
10月19日早朝、東寺の北西から、義堯と長政(天狗)の畠山勢が、東寺へ向け攻撃を開始した。
「なんじゃ、弱い奴らじゃ。もう東寺に着くぞ。お坊ちゃま、このまま攻め込みましょう」
「よし、突撃だ!」
しかし左右の建物の影から伏兵が出現し、畠山勢は散り散りとなった。
義堯は、矢の間をすり抜けるようにして、うまく逃げおおせた。
「ちっ、義堯め、死ななかったか」
突撃の命令を無視した長政(天狗)が舌打ちした。
「畠山勢、総崩れです」
「出陣だ!」
伝令の報に、元長は出陣を急いだ。
元長の兜には、般若の面の前立てが付けられている。春との思い出の面だ。
三好軍は、畠山勢を後方に逃がしながら、追撃してくる敵方の兵を倒し続けた。
その敵方の中で、これまで以上に必死に抵抗する一隊があった。どうやら殿(しんがり。軍の退却時に敵の追い討ちを最後方で防ぐ隊)のようである。それらをなぎ倒し、しばらく進むと、馬に乗った一人の武将がいた。
「止まれ」
元長は警戒し、軍を止めた。
「何用かな?一騎討ちをご所望かな?それとも降伏なされるのか」
元長が尋ねた。
「いや、どのような剛の者たちか、この目で見ておこうと思うてのう」
「はははは、俺たちの強さに驚いたか。ここにいるのは三好の当主、三好元長様だぜ。一騎討ちなら、お前ごとき、瞬殺だ」
康長(ヤス)が自慢した。
「ほう、元長殿か。わしは朝倉宗滴という者じゃ」
「朝倉宗滴じゃと!」
瓜爺が驚いた。
わしがキャスティングするなら・・・朝倉宗滴は渋すぎる。草刈正雄さんくらいしか思い浮かばん。
「朝倉宗滴といえば、九頭竜川の戦いで、30万の一向一揆を、わずか1万1千の兵で破ったという強者じゃ」
「よう知っておるのう。九頭竜川では何とか勝てたが、その後も一向一揆にはほとほと手を焼いておってのう。細川宗家は本願寺と強いつながりがあるのでな、今回は、高国殿に恩を売ろうと、越前から出張ってきたのじゃ。お主らも一向一揆には気を付けえよ」
「ご忠告、痛み入る。そうであれば、我が主の六郎様につけばどうか。六郎様の下にも本願寺の者らが駆けつけておるぞ。細川宗家の当主は、今や実質的に六郎様なのだからな」
「お主らの強さが、そうさせたのであろうなあ・・・考えておこう。ただ、将軍が足利義晴様である以上、その要請も無下にはできん。こちらにもいろいろと事情があるのじゃ。ではな」
朝倉宗滴は去っていった。
「待て、この野郎!」
「ヤス、追うな。あれが朝倉宗滴であれば、伏兵を仕込んでいるかもしれん。政長、烏天狗を物見(偵察)に出せ。敵の様子を探りながら進むぞ」
「分かりました」
「ここらの建物は邪魔だ。元兄、燃やしちまおうぜ」
「駄目だ。応仁の乱で焼け出された民たちが、せっかく復興してきておるのだ。絶対に燃やすな」
三好勢は、地雷原を行くように、慎重に進むよりほかはなかった。
柳本賢治の軍も押し勝った。賢治はバカで強欲だが、戦ではとても頼りになるのだ。
畠山勢は千人もの兵を失ったが、元長らにより、朝倉勢も200以上の兵が討たれた。
この日以降も小規模な戦闘が続いたが、六郎方が優勢であった。
ただ、義堯の陣営では、不思議なことが立て続けに起こっていた。
「守護代の遊佐堯家(ゆざ たかいえ)に続いて、その嫡男の信家も暗殺されるとは・・・」
義堯が嘆いた。
「信家は、死に際に、クセの強いしゃべり方の山伏に刺されたと言っていました」
「クセの強いしゃべり方の山伏か・・・」
■第11章 六角定頼と天邪鬼と双子
阿波・芝生城での千熊丸の鍛錬の日々は続く。
千熊丸は、芝生城裏門から大善寺までの毎朝の徒競走では常に1着であったが、物足りなさを感じていた。
いつものように千熊丸の組が全員そろった。
「年少組、出陣!」
篠原長政(子泣き爺)が甲高い声で合図した。
「おう」
他の子らは走り出したが、千熊丸は長政(子泣き爺)に話しかけた。
「父上は母上を背負って、山道を走る鍛錬をしていたのです。今日は長政を背負って大善寺まで走ってよいですか?」
「いいですとも、いいですとも」
千熊丸は、長政(子泣き爺)を背負って軽快に走り出した。
(あの時死にそうになった私が、まさか長秀様のお孫様に背負われる日が来ようとは・・・)
長政(子泣き爺)は嬉し泣きの涙を流し始めた。
「おや、今日は千熊丸の姿が見えんのう」
先生が山道を降っていくと、泣いている長政(子泣き爺)の下で、地面にめり込んだ千熊丸がいた。
泣き上戸の子泣き爺ほど、やっかいなものはない。
「このままでは、じり貧だ」
東寺で、六角定頼は焦っていた。
「戦況はそんなに悪いのか?」
将軍・足利義晴が尋ねた。
「我々のほうが劣勢です。日に日に押し込まれています」
六角定頼が答えた。
「いずれこの東寺まで押し寄せてくるだろう。あの三好元長とやら、あれは異常な強さだ。この目で見たが、毘沙門天かと思うたぞ。あやつのせいで、わしの虎の子の200騎の精鋭が、あっという間にあの世へ行ってもうた。しかも、わしの兵を紙屑のように破っておきながら、あそこでわしを追って来んとは。武勇だけではなく、戦術眼もあるぞ、あの男は」
朝倉宗滴が唸った。
「和睦に持ち込むしかないな。それで良いか、高国様」
高国は目をつむり、頷いた。頷いたように見えたが、実際には、こっくりこっくりと、居眠りをしていただけである。
「高国もそう思うか。わしも同意じゃ」
将軍・義晴が言った。
「和睦の交渉の席には私も同席させてくだされ。策がござる。くけけけけけけ」
天邪鬼のような顔をした細川尹賢が、不気味な笑い声を上げた。
「わしも出よう。将軍自らが出れば、相手への威圧になるはずじゃ」
「おい、高国様、それでいいのか?」
高国は目をつむり、頷いた。実際には居眠りをしていただけである。
「では、和睦を申し入れるぞ」
「皆に集まってもらったのは、高国方から和睦の申し入れが来たからだ」
元長が皆に告げた。
「どれどれ。来年1月4日に、双方5名ずつ出席し、和睦について交渉したい。断れば、六郎が六角に対して申し入れている縁談を破談にする、か・・・」
畠山義堯が書状を読んで、賢治にも分かりやすいように伝えた。
「これからどうするよ、おい」
丹波三兄弟の三男・柳本賢治が問いかけた。
「応じてもよいのではないか。戦況は有利じゃが、このままでは、いたずらに兵と時間をすり潰すだけじゃ。戦況が有利なのじゃから、交渉も有利に進められるじゃろう」
瓜爺が意見を述べた。
「私も賛成だ」
義堯が同意した。
「和睦の項目と条件をどうするかだが、我々の目的からすれば、①義晴様から義維様への将軍職の譲位、②高国の身柄の引き渡し、③京から兵を退き今後は京へ攻め入らぬこと、あと、④幕府奉行人などの役人らの引き渡しを入れてもよいな」
「わしらが優位じゃ。まずは高い要求を突きつけ、押していけ。そして相手の出方を見て、譲歩を検討すればよい。まあ、①か②か③の1つでも飲ませれば、御の字じゃろう」
元長の案に、瓜爺が助言した。
「ちょっと待ってくれ。⑤細川尹賢の身柄の引き渡しも入れてくれ。高国に讒言した尹賢だけは許せねえ!あいつは、字が読めなかった元盛の兄貴を、偽の文書で罠にはめたんだ!この手で殺してやる!」
三男・賢治が肩を怒らせた。
「恨みを晴らしたい気持ちは分かるが、幕府の運営には直接関係がないことだ。それに、讒言に騙された奴のほうがアホだという意見もある。政長、どうだ?」
「・・・確かに以前、讒言に騙された奴のほうがアホだと申し上げましたが、賢治の兄貴は、仇討ちのためにこれまでがんばってきたのです。その条件も加えていただけないでしょうか?」
「では、それも加えてよいか、皆の衆」
皆からは同意する声が上がり、反対の声は出なかった。
「ありがとう!恩に着るぜ」
「あとは、誰が交渉の場に出るかだが、畠山義堯様、柳本賢治殿、三好一秀(瓜爺)、塩田胤光、そして俺でよいか?」
「わしの代わりに政長を出してやれ。有利な交渉じゃ、経験を積ませてやろう。これも幹部教育の一環じゃ」
「では政長、出席せよ。よいか?」
「分かりました」
「それから、この機会に、賢治殿に言っておきたいことがある。高国方の兵の捜索や、残党狩りのために、邸宅内に立ち入らざるをえない場合もあるだろう。しかし、丹波の兵が、公家の屋敷や商店に闖入(ちんにゅう)して、物を掠め盗るとの苦情が殺到しておる。それは直ちにやめていただきたい。我々は治安の維持をしている側なのだぞ」
「ちっ、代官にもなれず、何のうまみもねえのに、なぜ我慢しなけりゃならねえんだ・・・分かったよ、我慢するよ。ただし、尹賢の件は、頼むぜ」
第1回目の和睦交渉の日。
最も上座の席を大きく1つ空け、六角定頼(管領代・近江守護)、細川尹賢(細川家の分家の典厩家の当主)、畠山稙長(畠山尾州家の当主)、朝倉宗滴(朝倉家の軍奉行)が座っている。
「お待たせしたようだな」
その向かいに、三好元長、畠山義堯、柳本賢治、三好政長、塩田胤光が座った。
賢治は正面の尹賢を睨みつけた。
(空いている席は、高国か?)
元長らは思った。
「将軍・足利義晴様の御成(おなり)である。頭が高い。控えおろう!」
六角定頼が声を張り上げた。
「は、ははあ~」
皆、ひれ伏した。
しかし、元長だけは、まったく頭を下げなかった。
義晴が着座した。
「元長殿、無礼であろう。頭を下げよ!」
六角定頼が怒鳴った。
「俺は堺公方・足利義維様の名代として来ている。それに、戦の和睦交渉の場で、身分の高い低いはなかろう」
元長は平然と答えた。
(いざとなれば、相手が将軍であろうが、竜巻旋風投げにしてやる)
元長は最初から覚悟を決めている。
「では、こちらの条件を述べる」
元長は、事前に決めた5項目について、それぞれの条件を述べた。
「すべて飲めぬ」
六角定頼が即答した。
「なんだと~!そこの尹賢だけでもすぐに渡しやがれ!」
賢治が激怒した。
「何故だ?」
六角定頼が冷めた声で尋ねた。
「そいつの讒言で、元盛の兄貴は濡れ衣を着せられ、殺されたからだ!」
「そうなのか、尹賢殿?」
六角定頼が、とぼけるような声で細川尹賢に尋ねた。
「そのようなこともありましたが、それにはちゃんとした理由があります。私も、高国様の養父の細川政元様と同じく、『飯綱使い』なのです。私の飯綱は、その人間の過去も未来も見えるのです・・・あの頃、私の飯綱は見たのです。丹波三兄弟が六郎と通じて謀反を起こす未来を。そのため、その予言を書いた文書を高国様にお渡ししたところ、高国様の尋問に対し、次男・香西元盛もそれを認めたので、切腹を申しつけられたのです」
「嘘だ!そんなことあるか!」
「現に、お前たち兄弟は謀反を起こしているではないか。私の飯綱が見たとおりの未来になっておるではないか!」
「違う!俺にも、兄貴たちにも、まったくそんな気はなかった!」
「高国様を裏切っておいて、そんな言い訳が通用するか!そんなにわしの飯綱が信用できないのであれば、今から別の者の未来を見てやろう・・・ここにも近い将来、寝返る者がいるぞ・・・三好元長殿、お主じゃ。お主は寝返り、六郎を裏切る。その結果、義晴様と高国様が勝利する未来が見える」
「そのようなことがあるか!皆、このような者の戯言を信じるな!」
元長は激怒し、畳を叩いた。
「まあ、我々の回答は先ほどのとおりだ。すべて飲めぬ。今日はこれで交渉を打ち切ったほうがいいんじゃないか?天下の豪傑・柳本賢治殿が、震えておられるぜ」
六角定頼が賢治を嘲笑った。
賢治は、両耳を塞ぎ、青ざめ、震えている。政長も慰めようがなかった。
「和睦の条件は、しっかりと考え直してくれよ。お主らは、わしらと違って、堺の六郎殿に話を通す時間が必要だろう。次回の交渉は10日後にしよう」
「分かった。今日のところは引き上げよう」
「絶対に違う。けど、絶対に違うと思いながらも、どうしても、そうかもしれないと考えてしまう・・・俺、もう、あいつの言葉を聞きたくない。あいつに会うのが怖い。しかし憎い。ますますあいつを殺してやりたくなった。一刻も早くこの世から消し去ってやりたい・・・元長、お前、裏切らないよな。絶対に裏切らないよな!」
「裏切るものか!あいつの言っていることは、すべて嘘だ。心を強く持て、賢治殿!」
元長は励ましたが、賢治の震えは止まらなかった。
「やっかいな奴が出てきたのう」
三好一秀(瓜爺)が嘆息した。
「わしと家長(柚爺)が代わりに出る。康長(ヤス)、山崎城へ行って、家長の奴と、智謀の将と噂の伊丹元扶(もとすけ)殿を呼んできてくれ。お前は代わりに山崎城を守れ」
「がってんだ」
「もう変な物はなめるなよ」
「なめねーよ!」
第2回目の和睦交渉の日。
元長らは交渉の場へと出発した。
「元長と爺さんたち、何とかしてくれよ・・・」
賢治は祈った。
「政長様、前回の交渉はどうだったんですか?」
塩田胤光の下で働いている茨木長隆(茨木童子)が尋ねた。
「いやあ、いきなり将軍が出てきてビビったで。思わず土下座してもうた。もうそこからは、高国方の武将の威圧がすごいわ、飯綱使いが予言するわ、賢治の兄貴が震え出すわで、ヤバかった・・・まあでも、いい経験になったよ。お前のほうは、どうや」
「最近は、塩田様に信頼されて、京のことを全般的に任されています」
「随分と出世したやないか」
「しかし、京は都だけあって、すごいですね。うちの摂津茨木とは比較になりません。今は、元長様の命令で、地子銭(じしせん。宅地にかかる税金)を免除して税の負担を減らしたり、軍勢の催促も最低限にしたりしていますが、これを元に戻すだけでも、莫大な収入になりますよ。山城5郡全体なら、兵もかなり引っ張れるはずです」
「そうか。やっぱり都は違うなあ」
「おい、俺の嫁の話はどうなった?」
木沢長政(天狗)が声をかけてきた。
「うちの妹も、前向きですわ。もう少し落ち着いたら、ゆっくり話し合いましょう」
「頼むぞ!美人の嫁をもらって、自慢したいんじゃ」
「ますます鼻高々というわけですね」
長隆が言った。
「上手いこと言うな!(笑)」
政長は、笑いながら長隆の頭を叩いた。
第2回目の和睦交渉の場。
前回と同じく、最も上座を空け、六角定頼、細川尹賢、畠山稙長、朝倉宗滴が座っている。
「お待たせしましたな」
その向かいに、三好元長、畠山義堯、三好家長、三好一秀、塩田胤光が座った。
「将軍・足利義晴様の御成(おなり)である。頭が高い。控えおろう!」
六角定頼が前回と同じく声を張り上げた。
「は、ははあ~」
高国方の武将らはひれ伏したが、元長らは全員頭を下げなかった。将軍の威光の効果は1回で切れたのだった。
義晴が着座した。
「和睦の条件は、考え直してくれたか」
六角定頼が口火を切った。
「その前に、こちらの出席者が替わったので紹介しておこう」
「おや、柳本賢治殿は体調でも悪いのかな?」
六角定頼は嘲笑した。
「わしら双子のことを覚えておるか。之長の兄上と共に、細川政元様にもお仕えしておった、三好の双子じゃ」
「お、おう・・・」
六角定頼は若干うろたえた。六角定頼は、之長を死に追いやった一人なのである。
「ところで、尹賢様も、飯綱をお使いになられるそうな」
「初耳じゃな」
双子が言った。
「目の前の人間の過去と未来が見える飯綱ならば、わしら双子のうち、どちらが兄の一秀か、すぐに分かるのであろうな」
「・・・もちろんじゃ」
少し考えて、尹賢は答えた。
「真ん中の席が一秀殿じゃ」
席次から考えれば、兄のほうが上席だと考えたのである。
「残念。わしは弟の家長じゃ」
「政元様は、『飯綱の法』を修めるため、それはそれは厳しい修行をされた。尹賢様は、どこで、どのような修行をされたのかな?」
「・・・」
「政元様は、『飯綱使い』となるために、女人禁制の戒めを厳守し、妻を娶らなかった。一方で、尹賢様は、山城守護であった伊勢貞陸殿のご息女を娶られ、既にお二人のご子息がおられると聞く。ご子息の父は、尹賢様ではないのかな?」
「奥方が不貞を働かれたのか?」
「わしの子じゃ!二人共、正真正銘わしの子じゃ!妻を愚弄するな!」
尹賢は思わず怒鳴った。いかに大噓吐きの尹賢でも、妻子にそのような疑いがかかれば、今後まともに世間で生きていけない。それは即座に否定せざるをえない疑いなのだ。
「もうやめい。恥ずかしい」
朝倉宗滴が吐き捨てた。
「将軍様、誠実に行うべき和睦交渉において、このような怪しき言動をして、いたずらに惑わせる者を、出席させてよいのでしょうか?私は畠山の当主として情けない」
義堯が苦言を呈した。
「前回言われたとおりに、和睦の条件を考え直したのだが、1つ追加したいものがある。この双子の兄で、私の祖父である之長は、六角定頼殿のために自害させられた。よって、⑥定頼殿のお命もいただきたい」
「それは何年も前の、しかも戦でのことだろう。この場で持ち出すべき話ではない」
「そもそも、澄元様が正統な後継者であったのに、お前たちが不当にその座を奪ったのじゃ」
「この戦はその延長上にあるのじゃ!六郎様は、澄元様の遺児じゃぞ!」
「わしら双子は、お主への恨みを、一日たりとも忘れたことはない!」
「死んでも許さんぞ!」
「やめよ、やめよ」
双子の発言を、将軍・義晴が制した。
「尹賢のことはすまなかった。和睦の条件案については、こちらで引き取り、前向きに検討させていただく」
将軍・義晴は言った。
「分かり申した。高国殿、尹賢殿、そして定頼殿のお命がかかっています。誠実な対案をお願いいたします。ご検討にお時間も必要でしょう。次回の交渉は10日後にいたしましょう」
「・・・分かった」
元長の提案に、六角定頼が答えた。
元長たちは意気揚々と帰ってきた。
「どうだった?」
「ははははは、わしら双子で尹賢をギャフンと言わせてやったぞい」
双子は互いの肩を組んだ。
「あれは痛快でしたね」
義堯が言った。
「伊丹元扶殿と入念に対策を考えたからのう」
「お役に立てたようで、何よりです」
元扶も微笑んだ。
「さすがに、高国と定頼の命は無理じゃが、尹賢の身柄は、こちらに引き渡してくるのではないか」
「まあ、あれだけの失態をして、将軍に恥をかかせたのじゃからのう」
双子は見立てを述べた。
「やったあ!尹賢は俺に殺させてくれ。丹波に連行して、元清の兄貴と一緒にたっぷりと恨みを晴らしてやるよ」
「おお、恐ろしい(笑)」
義堯は扇で口元を隠しながら笑った。
「尹賢殿、貴殿のせいで、わしの命まで和睦交渉の俎上に載せられてしまった。どうしてくれるのだ」
六角定頼は低い声で言った。
「わしは最初からお主のやり方が気に食わなかったのだ。必ず成功するというから見ておったが、失敗した上に醜態をさらす始末ではないか。わしも大恥をかかされたわ。お主は犬畜生以下のクソ蛆虫じゃ。和睦交渉の場で詐欺まじない師の真似事とは、武士の風上にも置けん。わしの家臣なら、すぐに東尋坊からけり落としておるわ・・・わしは二度と交渉の場には出ん。兵をまとめて越前へ帰る」
朝倉宗滴が激怒した。
「ちょっと待ってくれ。宗滴殿がいなくなったら、あっという間に元長に攻め滅ぼされてしまう。もう少しだけとどまってくれ」
六角定頼が懇願した。
「仕方がないのう。雪が解けたら帰るからな。それまでわしも兵も何もせんぞ」
「あの双子、そもそもの話をしていたが、そもそも、貴殿が高国様に讒言しなければ、丹波三兄弟も寝返らず、このような争いも起きなかったのだ。すべての元凶は、貴殿なのだ・・・尹賢殿を引き渡すだけで元長らは満足しないだろうが、次回の交渉で、尹賢殿を引き渡せば、それ相応の譲歩も引き出せるのではないか。高国様、それでよいか?」
高国は目をつむり頷いた。実際は、こっくりこっくりと、居眠りをしているだけである。
「高国もそう思うか。わしも宗滴殿と同じ気持ちじゃった。定頼の意見に、わしも賛成じゃ。残念じゃが、仕方あるまい・・・尹賢、お主も武士なら、潔く覚悟を決めい」
将軍・義晴は深いため息をついた。
「私も武士です。もう覚悟はできております。潔く、賢治の手にかかりましょう。10日後には私を交渉の場でお引き渡しください。逃げも隠れもいたしませぬ」
尹賢はきっぱりと言い切った。
■第12章 征夷大将軍
「なんだこれは?」
「男は黙って高倉健」を地で行く無口な塩田胤光が、思わず声を上げた。2回目の交渉の翌日、高国方から届いた書状の内容に驚いたのである。
元長が皆を招集した。
「どれどれ・・・細川尹賢が逃亡した。懸命に捜索しているが、見つからない場合は、5番目の項目について、果たそうにも果たせなくなったことを、取り急ぎお伝えする、か・・・」
畠山義堯が書状を読んで、賢治にも分かりやすいように伝えた。
「おい、どういうことだよ、おい!」
丹波三兄弟の三男・柳本賢治が激怒した。
「わしらが尹賢の引き渡しを条件としている以上、尹賢の身柄を確保しておく義務が、当然、相手方にはある。にもかかわらず逃亡を許すとは。この失態の責任は次回の交渉で厳しく問わせてもらうぞ」
三好一秀(瓜爺)が言った。
「そんなことはどうでもいい!尹賢はどこに逃げたんだ!書状には書いていないのか?」
「どこにも書いておらんなあ」
三男・賢治の問いに、畠山義堯が答えた。
「高国方の奴ら、あいつを隠してるんじゃないのか?逃亡したことにして、何か企んでんじゃねえのか!」
「そんなことをしても、高国方には何の利もない。やはり逃げたのじゃろう」
三好家長(柚爺)が答えた。
「お前ら、尹賢が逃げないように、念を押さなかったのかよ!」
「あの場でそこまでは普通、言う必要はないじゃろう」
「先日の交渉がうまく行ったからこそ、逃げ出さざるをえなくなったのだ」
「逃げるとは・・・それでも武士かよ、あいつは!・・・あいつが生きていると思うと、不安で夜も眠れないんだ。逃亡したと嘘を吐いて、身を隠しながら、また飯綱で何かをするんじゃないのか?元長が裏切るように、呪いをかけるとかよお・・・」
「俺は裏切らんし、あいつは飯綱使いではない!ただのインチキ野郎だ!」
「これを交渉の材料として有効活用しようではないか」
「だからそんなことはどうでもいいんだ!俺の軍だけで東寺に攻め込んで、尹賢を見つけ出してやる!」
「よせ、軍は動かすな!せっかく有利に進めている交渉が決裂してしまう」
「最初に言ったとおり、我らの幕府の運営には直接関係のない項目だ。本筋ではない」
「気持ちは分かるが、大局を見よ、賢治殿」
「材料だあ?本筋だあ?・・・俺たちは武士だ。戦で死ねるなら本望だ。でも兄貴は違う。信じて忠誠を尽くしてきた主君に、濡れ衣を着せられて、殺されたんだ!この気持ちが分かるか!この悔しさが分かるか!俺にとっては、これが本筋だ!俺の本筋を、単なる材料にするな!馬鹿野郎!東寺に攻め込んでやる!」
賢治は出ていった。
「政長、すまんが追ってくれ」
「分かりました」
柚爺の頼みを聞き、政長が出ていった。
「賢治殿の気持ちは痛いほど分かるが・・・」
元長がつぶやくと、皆、うなだれた。
「気持ちは痛いほど分かるが、和睦交渉を決裂させるわけにはいかない。丹波勢から東寺を守る。軍勢の配備を急がせろ!出陣だ!」
その後、賢治が率いる丹波勢と、三好勢・畠山勢の小競り合いがあったが、双方ほとんど被害はなかった。
2日後、政長が、元長の陣を訪ねてきて。
「賢治の兄貴が、話をしたいと言っています」
話し合いの場が設けられた。
「考えを改めてくれたのか?」
「いや、考えは改めないが、東寺への襲撃はやめておく。そして、しばらく俺は留守にする。そのことを告げにきた」
「どこへ行くのだ?」
「教えられん。ではな」
賢治は出ていった。
「政長、またすまんが追ってくれ」
「分かりました」
柚爺の頼みを聞き、政長が出ていった。
「わしも追います。賢治殿の動き次第では戦況が大きく変わってしまう。何とか説得したい」
「頼む」
木沢長政(天狗)も、義堯の了承を得て、出ていった。
「やっぱりお前はついてきてくれると思ったぜ、政長」
馬を休ませながら、賢治は言った。
「政長、俺たちは兄弟だよな?」
「あの日から兄弟じゃないですか。これからも手と手を取り合って行きましょう」
「じゃあ、手手兄弟だな。手手兄弟として、お前の面倒は一生みてやるよ」
「・・・」
「わしも兄弟に加えてくだされ」
追いついてきた木沢長政(天狗)が言った。
「じゃあ、手手天狗兄弟だな」
「わはははははは」
長政(天狗)だけが笑った。「ラ・ラ・ランド」のような語感がツボに入ったらしい。
「お前たち、俺の兄弟なんだから、姓を『柳本』にするか」
余談だが、賢治は、多くの家臣の姓を「柳本」に変えさせている。国衆出身の家臣の家格を上昇させるためである。とはいえ、やりすぎなくらい柳本姓を与えまくっていた。
「そうなると、柳本政長と柳本長政になって、ややこしい」
「ややこしいので、俺はやめておきます。それに、父から家督を継いだので」
「わしも、義堯お坊ちゃまに裏切ったと思われたくない」
「そうか、それなら仕方がない」
「政長、お前は『讒言を信じる奴のほうがアホだ』と言っていたんだってな」
「まあ少なくとも、高国はアホでしょう。自分を追い込むことになったのだし」
「賢治殿、細川尹賢の讒言について、考え方を改められるのか?」
「いや、考えを変えるつもりはない。ただ、やり方は変えようと思ってな。もう、ダルい和睦交渉なんて、やめちまおうぜ。隠れてる尹賢もろとも全員ぶっ倒そう。武士なら、戦でケリを着けようぜ・・・政長、こっそりと、六郎様とだけ会えないか。六郎様と話がしたい。絶対にあの奉行人は抜きだぞ」
「えっ?・・・」
「俺たち、兄弟だよな?」
「・・・」
その頃、東寺へ向かって歩く一人の男がいた。武器は何も持っていない。
「参拝者の方ですか?門の中まで入ってきちゃって・・・こんなところまで入ってきちゃダメですよ。ここからは関係者以外立ち入り禁止なんで。帰ってもらっていいですか?」
警護を担当する門尾守(もんお まもる)は男に言った。
「六角定頼殿はどこだ?」
「あっちにいますけど、事前にご予約いただいていますか?」
「いや、突然来たんだが」
「じゃあ、会わせられないですね。出直してください」
「では押し通る」
伝令が東寺の広間に飛び込んできた。
「大変です。変な男が押し入ってきて、定頼様に会わせろと言いながら、兵を殴り倒し、投げ倒し、グルグル回しています」
「何人だ?」
「一人です。武器も何ももっていません」
「殴り倒し、投げ倒し、は分かるが、グルグル回す、とは何だ?」
「ちょっと説明が難しいので、直接ご覧いただければと」
定頼は外に出て、遠目に様子を見た。
「三好元長ではないか!確かに兵がグルグルと振り回されておる」
定頼を見つけた元長は、起き上がってきた兵を捕まえて、竜巻旋風投げで、定頼のほうへ投げつけた。
「書状一つで、誰も説明にも来んので、こちらから出向いたぞ。尹賢は本当にいないのか?・・・おい、尹賢、出てこい!・・・東寺の中をすべて調べさせてもらうぞ!」
「総大将が、徒手空拳で、しかも単身でやってくるとは。バカかあいつは。討ち取れ!」
「お客様一人に、随分手荒な歓迎だな」
元長に襲い掛かった兵たちが、なぎ倒されていく。
「たった一人だぞ!なぜ止められぬ!早く討ち取れ!」
騒ぎを聞いて、朝倉宗滴も出てきた。
「毘沙門天が来よったか・・・毘沙門天より強い神にでも祈ったほうが良いぞ」
宗滴は笑った。
「やめよ!総大将がたった一人で乗り込んできたのじゃ。それに非はこちらにある。それを、多勢を頼みに討ち取っては、武士の名折れじゃ!」
将軍・義晴は、兵を制止すると、元長の前まで歩いてきた。
「おやおや将軍様。多勢を頼まないということは、一騎打ちをご所望かな?将軍様もグルグル回しましょうか?」
義晴は、ひざまずいた。
「すまなかった。非はこちらにある。たった一人で乗り込んでくるとは、お主こそ武士の鑑じゃ」
「なんのなんの。大したことではこざいませんよ」
「和睦の条件のことだが、⑤細川尹賢は本当に逃げたのだ。これについてはわしらに非があるのは明らかだ。わしの責任において、尹賢を必ず探し出し、お主のところへ必ず連れていく。もしできなければ、それ相応の詫びをさせていただく」
「それは、賢治殿のために、是非とも頼むぜ」
「そして、①将軍の座を譲ろう。その代わりに、②高国と⑥定頼のことは勘弁してやってくれ。高国は、あれでも、わしの父親同然なのだ。④奉行人らも家族同然だ。ただし、お主らの誘いに応じるというのであれば、無理には引き止めぬ。③朝倉勢は、雪が解ければ引き揚げると申しておる。六角勢など他の軍勢は、和睦が整えば引き揚げさせる」
「それですべてだな」
「言えた義理ではないのかもしれないが、わしからも一つ願いがある。⑦民から地子銭は徴収しないでくれ。応仁の乱以降、民は疲弊しておる。民を助けてやってくれ」
「それはもちろんだ。今も徴収していないし、今後も当面、徴収するつもりはない」
「それは良かった」
「それらのことを紙に書いて、次回の交渉の場にもってきてくれ。俺はそれでいいと思うが、最終的には六郎様のご判断だ。堺に送ってご判断を仰ぐ」
「分かった。文書を作らせよう」
「将軍様が土下座など、恥をかかせてしまったな。今日のことはお互い秘密にしようぜ」
「かたじけない」
元長が寺の門から出ると、おぼつかない足取りの、汚い身なりの老人が、目の前で倒れた。
元長は駆け寄った。
「ご老人、大丈夫か?」
「・・・な・・・め・・・て・・・」
「伊丹元扶(もとすけ)殿ではないか」
「・・・な・・・め・・・て・・・」
「よしなされ。ばれておるぞ」
元扶はゆっくりと立ち上がった。
「あなたのことが心配になり、気の触れた老人のふりをして、様子を見にきたのです。こんな変装と演技は、私しかできませんしね。しかし、感動しました。賢治殿のために、一人で敵の本陣にかち込むとは。軍を動かせば、和睦交渉が決裂するから、一人で殴り込んだのですよね。無茶のしすぎですよ」
「これくらいでは死にはしない。化け物みたいな方に鍛えられたからな・・・それに、賢治殿は、もう俺の戦友なんだ。命をかけてでも、その思いに応えたかったんだ。今日のことは秘密だぜ・・・元扶殿も、ここまで来てくれたんだ。もう俺の戦友だな。さあ帰ろうぜ」
「六郎~。六郎はおらぬか~。一緒に双六をせんか~」
堺の引接寺で、堺公方・足利義維が、細川六郎を探し回っている。
「勘弁してくれ。暇な義維様と違って、わしは忙しいのだ」
物陰で息をひそめながら、六郎はつぶやいた。
六郎はがんばっていた。幕府の仕事は初めてのことだらけであったが、細川家の者や奉行人らから実務を教えてもらい、吸収していった。先代が急死したために急遽会社に入った、二代目の経営者のようなものである。
にもかかわらず、暇な義維が、時を構わず、連歌や茶会などに誘ってくるのである。誘われれば、立場上、断るのも難しい。
「面倒な人だ。自由な時間を謳歌してくださるのはよいが、わしの仕事の重要さと忙しさを察するくらいの能力もないのか」
六郎は義維の存在をますます疎ましく思うようになっていた。
「六郎様、こんなところで何をされているのですか?」
政長が偶然、六郎を発見した。
「し~!政長、大きな声で話しかけるな!義維様に見つかるではないか」
「それでは、三好の控室にお越しくださればいかがでしょうか?」
「それは助かる。しばらく隠れさせてくれ」
二人は忍び足で、三好家の控室へ移動した。
「さすがは名軍師・三好政長様だ!六郎様を連れ出してきてくれるとは」
柳本賢治は喜んだ。
「賢治殿ではないか。皆、京にいたのではないのか?」
「六郎様にお伝えしたいことがあって、急いで京から戻ってまいりました。元長が裏切りそうですぜ」
「はあ?本当か?」
「・・・」
「政長、何とか言ってくれ!兄弟だろ!」
賢治は、無茶ぶりをしてきた。打ち合わせも何もしていない。いきなりである。
事前に打ち合わせをすれば、政長が断る可能性があったので、賢治はあえて何も言わなかったのだ。
「・・・た、確かに、あの朝倉宗滴と遭遇したときに、長家の兄上がいたら、大納言・日野内光を討ったときのように、命がけで宗滴を追って、首を獲ったかもしれません。元長兄が、あそこで朝倉宗滴の首を獲っていたら、それで戦の勝利はほぼ確定していたはずです」
嘘は言っていない。
「そうなんですよ。俺からすれば、消極的過ぎます。高国方の武将も、元長は裏切って、高国が勝利すると、俺たちに面と向かって言ってましたぜ」
「にわかには信じがたい」
「元長より、政長に指揮を任せたほうがいいんじゃないですか?政長は、桂川原の戦いで勝利したとおり、優秀ですぜ。和睦なんかやめて、政長に戦わせればいい。俺たち丹波勢も全力で協力しますぜ」
「和睦交渉は有利に進んでいるとの報告を受けているが・・・」
「私からもよろしいでしょうか?」
木沢長政(天狗)が手を挙げた。
「六郎様、お初にお目にかかります、義堯お坊ちゃまの家臣の木沢長政と申します。ご報告を受けていると思いますが、我ら畠山勢は、緒戦で1000もの被害を出してしまいました。ここだけの話にしていただきたいのですが、お坊ちゃまが伏兵にも気を付けず、突撃命令を出してしまったのが原因なのです。お坊ちゃまの命令をお止めできなかった私も責任を感じておるのですが、あれではいくら兵があっても足りません。六郎様から、暗に、私に指揮を替わるようにご助言していただけないでしょうか。私が指揮をとりましたら、賢治様、政長様と共に、高国方を京から追い払ってご覧にいれます」
「お義兄様に対して、私の口から、そんな失礼なことが言えるはずがない」
「血縁・地縁にこだわり過ぎれば、身を滅ぼされますぞ。乱世では、有能な者をお取り立てなさいませ。それともう一つ。元長様お一人に軍事を頼っていてよいのですか?私は一本歯下駄を愛用しておりますが、支えが1本では不安定ですぞ。2本、3本と、支えを増やしていきなされ。摂津の国衆にも、茨木長隆殿など有能の者がおります。そうした者もおそばに置かれてはいかがか。私も六郎様をお支えしますぞ」
「俺たち丹波勢も、当然、六郎様をお支えしますぜ」
「まあ、頭の中に入れてはおこう」
長政(天狗)や賢治の言葉を、六郎は、一応は受け止めた。
襖がガラリと開けられた。細川家の者である。
「六郎、こんなところにいたのか。早くこっちへ来い。すごい奴が帰ってきたぞ!」
六郎らは、細川家の者の後に従って、回廊を歩いた。
部屋の中から、喜びに沸き立つような声が聞こえてくる。
「尹賢、わしにもお前の武勇伝を聞かせてくれ」
「わしは、六郎のために、わざと高国に嘘を吹き込んだのじゃ。すると見ろ。わしの計略どおり、次男・元盛の死をきっかけに、丹波兄弟が高国から寝返り、六郎の味方をしたのじゃ」
「お主こそ、此度の一番の功労者じゃ!」
「よくやった!」
六郎が入室する。
「六郎!お前に至急伝えなくてはならぬことがあって来たのじゃ。元長はお前を裏切るぞ。元長だけではない。一秀と家長の双子や畠山義堯もお前を裏切ろうとしておる」
尹賢(天邪鬼)が六郎に歩み寄って言った。
「先ほど柳本賢治殿や三好政長から、同じようなことを聞きました」
聞き耳を立てていた賢治も、さすがに黙っていられなくなった。
「おい!」
「わしは長旅で疲れた。奥で休ませてもらえんか」
賢治に気づいた尹賢が、賢治の目をまじまじと見つめながら、不気味な笑顔をつくって言った。
「そうか。さぞ疲れたであろう。奥へ案内しよう」
「おい、待てよ!」
「賢治殿、今は細川家の身内で話をしているのだ。部外者はご遠慮いただこう」
「おい!」
賢治は呼びかけたが、細川家の者に、襖をピシャっと閉められてしまった。
「くけけけけけけ・・・」
尹賢(天邪鬼)の高笑いが遠くなっていく。
「ええ~・・・俺はちょっとチクっただけのつもりだったのに・・・ヤバいぞヤバいぞ・・・どうするよ、おい・・・」
「今さら『嘘でした』なんて言おうものなら、主君をだましたかどで、切腹させられるでしょうな。単に主君をだましたのではなく、三好の当主を陥れようとしたのですから。仮に切腹を免れても、三好の一門や家臣から恨みを買いますぞ。わしも義堯お坊ちゃまから厳しく処罰されることになるでしょうな」
長政(天狗)が言った。
余談だが、現代の日本で同じように嘘で相手を陥れると「虚偽告訴罪」という犯罪になる可能性がある。警察などへ虚偽の告訴や告発をして、相手にえん罪を被せ、刑事罰等を受けさせてやろうとした場合、最悪、懲役10年じゃ。虚偽告訴罪でなくとも、名誉毀損罪や侮辱罪になる可能性もある。こんなことは絶対にやめよう。
「やっちまった~・・・最悪だ~・・・」
「我ら3人は、もはや共犯。一蓮托生というわけですな」
長政(天狗)が、意気消沈する賢治や政長を横目に、ニヤリと笑った。
■第13章 安宅秀興の死と元長への疑念
「尹賢様、我々家臣を置いていくなんて、ひどいですよ~」
東寺で警護を担当していた門尾守(もんお まもる)は、細川尹賢(天邪鬼)に言った。
門尾守は、治療を受けていた時に、尹賢がどうやら堺へ逃げたようだと聞き、東寺をこっそりと抜け出して、尹賢を追いかけてきたのだ。
「東寺に三好元長が乗り込んできて、大変だったんですよ。私が最初にグルグル振り回されまして、起き上がったら、またグルグルやられて、気を失っていたんですが、気が付くと、私の横で、将軍様が土下座していたんです」
「何故だ?」
「気を失っていたのでよく分かりませんが、元長に、将軍は譲るとか約束していました」
「詳しく話せ」
「ヤバいぞ・・・どうするよ、おい!」
三男・柳本賢治は、引接寺の三好家の控室で、焦っていた。
「次の交渉の期日まで、もう少し時間があります。ギリギリまで、堺に留まり様子を見ましょう」
「そうだな。隙あらば、尹賢を拉致して殺そう」
「ダメじゃ。あの様子では、完全に英雄扱いじゃ。それを殺そうものなら、ただでは済まされんぞ。それに、わしらを警戒して、外には出て来ぬはずじゃ」
「打つ手がねえじゃねえか。あいつ、絶対に、また何か企んでくるぞ」
「わしと政長殿は、交渉の期日までに京に戻らねばならん。賢治殿も軍勢を置いたままにしておくわけにはいかんだろう。何とかせねば・・・」
「政長、何かいい策はないのかよ~」
「・・・」
「白ひげの旦那、死ぬにはまだ早いぜ・・・」
加地又五郎は涙をこぼした。
淡路島のドン・安宅秀興(あたぎ ひでおき)が亡くなった。「秀興、感激」で元長に春を嫁にくれた、あの海賊の親玉である。病死であった。
元長らが京で和睦交渉をしていた頃、秀興の葬儀が、淡路島の泰雲寺でしめやかに営まれた。泰雲寺は万歳山のふもとにあり、万歳山の頂上には、秀興の居城・炬口城(たけのくちじょう)がある。
淡路島に割拠する海賊衆の武将らの多くも参列した。親族を連れて参列した者も少なくない。
「一つ目の為利」の嫡男・加地又五郎は、祖父の左京之進、弟の六郎兵衛と共に参列していた。
喪主の嫡男・安宅駿河守吉安(あたぎ するがのかみ よしやす)が焼香をした。そして、その弟の安宅次郎三郎秀益(あたぎ じろさぶろう ひでます)が焼香台の前に進んだ。秀益は、黒いひげを伸ばし放題にしている。
「親父、やっと死んでくれたか!俺を、あんな北の端の俎板山城(まないたやまじょう)に行かせやがって!」
そう怒鳴ると、秀益は焼香台を蹴り飛ばした。辺りの物がグラグラと揺れた。
「何をするんじゃ!」
吉安は怒鳴った。
「手下ども、出てきやがれ!」
秀益が叫ぶと、武装した集団が現れた。
「今からお前たちを人質に取らしてもらうぜ。殺しはしないから安心しな。その代わり、俺の言うことを聞かない奴の人質は、容赦なく殺すぜ」
「やめろ!」
吉安が秀益に組み付いた。
「逃げろ!」
参列者は散り散りに逃げたが、何人かは捕らえられた。
「じいちゃん、六郎兵衛、逃げろ!」
又五郎は襲い掛かってくる秀益の部下に組み付き、叫んだ。
「六郎兵衛、逃げるぞ!」
「兄ちゃ~ん」
左京之進は六郎兵衛を連れてなんとか脱出したが、又五郎は捕らえられた。
柳本賢治ら3人は、翌日も、引接寺の三好家の控室で相談したが、良い策は浮かばなかった。
「三好政長殿、おられるかな?」
「はい」
政長が襖を開けると、大柄な男が立っていた。
「松井宗信(まつい むねのぶ)じゃねーか。京で道案内してくれて以来だな」
賢治が言った。
「ちょうどよかった。お三方を六郎様がお呼びだ。ついて参れ」
松井は、六郎のいる部屋へ3人を案内した。
「六郎様、お三方をお連れしました」
3人が着座すると、六郎が語り始めた。
「実は、細川尹賢がどうしてもというので、先ほど話を聞いたのだが、尹賢が言うには、既に、元長と将軍・義晴様との間で、秘密裏に、和睦の条件が決定しているというのだ」
「いや、ありえませんぜ。まだ交渉の途中ですし、元長の奴はいつも皆と相談しながら進めているんだ。そんなはずはないですよ」
賢治が反論した。
「わしも、尹賢は胡散臭い奴だと思っているのだが、自分を信用できないなら、その秘密裏に決定しているという和睦の条件を、次回の交渉のときに、確認してみろというのだ」
「その条件というのは?」
政長が尋ねた。
「⑤細川尹賢は引き渡す。①義晴様は義維様へ将軍職を譲る。その代わりに②細川高国と⑥六角定頼の身柄は引き渡さない。③朝倉勢は雪が解ければ引き揚げ、六角勢なども和睦が整えば引き揚げる。④奉行人らが自ら堺行きを望めば無理に引き止めない。⑦京で地子銭は徴収しない、ということだ」
六郎は書き付けを見ながら言った。
「まさか・・・そこまで具体的なことは、何も決まっておりませぬぞ。特に、地子銭のことなど、まったく話題にもなっていない」
長政(天狗)が言った。
「そして、こうも言うのだ。①義晴様は義維様へ将軍職を譲る、というのは罠である。将軍宣下が京の朝廷でしか行えないことを理由に、義維様を京へおびき出し、その命を奪う計画だと」
「そんな馬鹿な・・・」
「賢治殿らも、元長は裏切ると言っておったではないか。そういうことではないのか?」
「いや、まあ、戦い方が消極的なので、裏切りそうだなあ、と」
「それから、⑤細川尹賢は引き渡す、については、真実を知った尹賢を亡き者にしようとしてのことだと」
「いや、むしろ、あいつだけは殺しといたほうがいいと思いますよ」
「はあ?まあ『飯綱使い』を詐称して、賢治殿を青ざめさせたと聞いているので、賢治殿のお気持ちは分かるが、さすがに細川家の身内を殺すわけにはいかない」
「そうっすよね・・・」
「細川家の中でも信用できそうな者と相談したのだが、元長が何かを企んでいる可能性があるのであれば、次の交渉では、元長を外し、客観的に判断できる者を入れてみるべきではないかと。そこでこの松井宗信だ。細川晴賢の先々代から仕える家臣で、あらゆることに精通しておる。桂川原の戦いでは、目付(戦場での監視役)として同行したから知っておろう」
「ああ、よく存じておりますとも。その後、京の道案内もしてくれましたからね。松井が、怪獣みたいに京をのし歩きながら俺たちを見張るので、悪さもしにくかったですよ」
「この松井は、海外の事情にも詳しく、外交も任せられるそうだ。交渉の成功率も3割を超えるらしい」
「3割って少なくないですか?」
政長がツッコんだ。
「不利な状況の中での3割だ。かなり高いらしいぞ。元長の疑いが晴れるまで、元長を交渉の場に出さず、この松井を出したいのだ」
「松井と交代というわけですね」
「元長殿は総大将として、交渉を取り仕切ってきたのですぞ。いきなり替われと言っても、無理でしょう」
長政(天狗)が言った。
「何かいい方法はないものか・・・」
しばらくすると、襖の前に駆け込んでくる者の気配がする。
「六郎様!六郎様!」
「何事か?」
松井宗信が襖を開けた。
「緊急事態です。淡路島で反乱が起きました!」
「何?」
「加地為利殿が、至急ご説明したいというので、お連れしました」
「早う通せ」
「堅苦しい挨拶抜きで説明するぜ。安宅秀興の次男の安宅次郎三郎秀益が謀反を起こした。そいつだけなら大したことはねえんだが、秀興の葬儀に参列した奴らを人質にしやがった。俺の嫡男の又五郎も捕らえられた。言うことを聞かない奴の人質は容赦なく殺すというので、俺も動きにくい。まあ最悪、又五郎の命は諦めるつもりだが。やっかいなのが、俺と同じく人質をとられた安宅九郎左衛門冬清(あたぎ くろうざえもん ふゆきよ)だ。長ったらしい名前で、安宅姓の奴らも多いし、名前に「冬」のつく奴も多いから、俺たちは略して「クザ」と呼んでるぜ。クザは溺愛する一人息子を人質にとられた。絶対に秀益には逆らえねえ。俺たちを攻撃してくるはずだ。クザは、淡路島の中央の白巣山のてっぺんにある白巣城を居城にしている。ここは要害無比だ。おまけに堀は深いし、坂には竹の皮が敷きつめてあって、ツルツルして登れねえ。そのうえ、クザは、楠木正成みたいに、背筋も凍るような、嫌な攻撃をしてくるんだ。しかしここを取らなきゃ、炬口城を攻めてる途中で背後を突かれる。そこで、山攻めに強い烏天狗を借りたい。こっちの兵も足りねえから、阿波から兵を引っ張ってくる必要もある。柚のジジイか政長の手を借りたいんだ。頼む」
「これは大変な事態だ。政長、すぐに阿波へ行ってくれ」
六郎が命じた。
「いや・・・経験の乏しい私には手に余ります。元長兄に行ってもらったほうがいいのでは?」
「うちの大将が行く必要まではないんだぜ。大将も京で忙しいらしいじゃねえか。経験がねえなら、柚のジジイでも構わねえよ」
「いや、そうだなあ・・・淡路島は重要だ。元長に行ってもらおう」
六郎が言った。心の中で、政長の機転を褒めながら。
「どう考えても、京のほうが重要だろう。交渉はいいのか?」
「お前の息子の命もかかってるじゃねえか。そういうのは、元長も黙ってらんねえんじゃねえか」
賢治が親子の情に訴えた。
「ちょうどここにおられる松井宗信殿は、交渉の専門家じゃ。松井殿のほうが、交渉をうまくできるはずじゃ」
長政(天狗)が松井の有能さをアピールした。
「わしは元長を信用しておる。ゆえに、此度の淡路島の件も、元長に任せたい」
六郎が主君の立場を利用して言った。
「六郎様が、そうまでおっしゃってくれるのなら・・・大将に来てもらうか」
「元長には、わしの命令だと伝えてくれ」
「分かった。早速、京に行ってくるぜ」
「俺たちも行こう」
賢治らは立ち上がった。
「安宅次郎三郎秀益は、あんな奴でしたか?」
淡路・炬口城の座敷牢で、加地又五郎は、先日病死した安宅秀興の長男・吉安に尋ねた。
「そうではなかった。弟は、真面目な奴だった。ところが10年前だ。わしらの叔父『不死身の冬馬』が戦の最中に亡くなったのだが、蟇浦城の城主・蟇浦藤次常利(ひのきうら ふじつぐ つねとし)が、冬馬を殺したのは弟の秀益だと告発してきたのだ」
「虎のように強い『虎の藤次』ですね」
「そうだ。藤次の告発を信じられなかったが、藤次は義侠心の塊のような男だ。そこで親父とわしは、他の将兵に聞き取りをして調べた。しかし、何の証言も得られない。そうこうしているうちに、わしらが調べていることが、弟の耳にも入ってしまった。弟は、藤次こそが冬馬殺しの犯人だ、どちらの言うことを信用するのかと、わしらを問い詰めた。最終的に、親父は、肉親の情に負け、弟を選んだ。藤次は蟇浦城を去り、浪人になった。すると、そのしばらく後だ。弟は、突然わしに言ったのだ。自分の中には2人の人間がいる。次郎秀益と、三郎英益の2人がいて、三郎英益のほうが悪さをするのだ、冬馬も三郎英益のほうが殺したのだ、と。もしそうであれば、今後も何をしでかすか分からないと、親父は、愛人の子であるわしに家督を譲ることにし、湊城の城主であった秀益を、淡路島の北端の俎板山城に移したのだ。あの時、『虎の藤次』の言葉を信じていれば・・・」
「がはははは。そのとおりだ。俺が『不死身の冬馬』の叔父貴を殺してやったんだ」
秀益が座敷牢の前に現れた。
「なぜ殺したんだ!」
又五郎が尋ねた。
「本当に不死身かどうか、試したかっただけだ。興味本位だよ。俺は、戦場を単騎で縦横無尽に暴れ回った直後の冬馬の叔父貴を、背後から刺してやったんだ。1本刺しても死なねえから、何本も刺しまくってやったよ。それでも死なない。首を刎ね飛ばしてやったが、それでも向かってくる。心底ビビったぜ。しばらくしたら、やっと死にやがった。やっぱり不死身でもなんでもなかったじゃねえか」
又五郎は吐きそうになった。
「お前は何という馬鹿なことを!ぶっ殺してやる!」
吉安が怒鳴った。
「誰の種か分からねえ遊女の子が偉そうにすんじゃねえ!それにしても、又五郎、お前だよ。お前さえ暴れ回らなければ、もっと人質が取れたのによう。本当に火の玉みたいな若造だぜ。俺の手下になれよ」
「誰がなるか、馬鹿野郎!」
「親分、クザの野郎が来ましたぜ」
手下が座敷牢に来て、秀益に告げた。
「来たか。あいつにはたっぷり働いてもらおう。がはははは」
★参考
炬口城 | 観光スポット | 【公式】兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ
白巣城 | 観光スポット | 【公式】兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ
■第14章 松井宗信と門尾守
「大変だぜ、元長!」
京に戻った柳本賢治が、三好元長に言った。
「戻ってきてくれたのか、賢治殿!」
「淡路島で安宅が謀反を起こしやがったぜ」
「何?」
「今から加地為利が説明してくれるぜ」
賢治が妙に仕切っている。怒って京から飛び出したことをごまかしたい気持ちがあるのだ。
加地為利(一つ目の為利)が説明した。
「そうか。では柚爺(家長)か政長が適任だろう」
「それが、六郎様は、淡路島は重要だし、お前を信用しているので、お前に任せたいそうだ」
為利が言った。
「今は和睦交渉の最中だ。俺が京を離れるわけにはいかん」
「その補強のために、私が来た」
松井宗信が言った。
「松井は交渉の専門家だ。六郎様が、お前が淡路の鎮圧に専念できるように、代わりとして送ってくれたんだ。松井は海外でも通用するらしいぜ。お前より要求を強く打ち込んでくれるじゃねえか?」
賢治は言った。
「そうか・・・」
「阿波で軍勢の催促をするなら、ついでに、嫁と子どもに会ってきたらどうだ?お前、四男が生まれたばかりらしいじゃねえか。俺も息子の虎満丸に毎日でも会いたいぜ」
「それなら私の妻子も堺に呼び寄せていただけないでしょうか?」
賢治の言葉に、政長が便乗した。
「そんな暇はない。それに、多くの兵が、故郷を離れて戦っているのだ。ただ、向こうから来るなら別だ。政長の妻子は呼び寄せてやろう。加介、俺と阿波へ渡って、迎えに行ってやってくれ」
「ありがとうございます!」
政長が深々と頭を下げた。妻子に会いたかったのだ。
(将軍・義晴とは東寺で話がついているし、用意してくれている文書を受け取るだけだから、大丈夫だろう)
「よし、分かった。松井殿と交代しよう」
「それから、細川尹賢(天邪鬼)の件は、もういいぜ。あいつ、こっちに寝返って、今、堺にいるんだ。殺してやりてえが、細川家の身内扱いになってて、手が出せねえ。そのうち何とかしてくれ」
「そうだったのか。悪知恵が働く奴だ・・・しかし、安宅次郎三郎秀益が、俎板山城の城主だったのであれば、淡路島の北から摂津や播磨に逃げる可能性もあるんじゃないか。賢治殿、越水城を使わせてもらえないだろうか?」
「越水城か。お前にくれてやるよ。あそこは勢力圏の境界で守備にも力を入れなきゃならねえし、丹波育ちの俺たちには港のことは良く分からねえ。こないだの詫びに、気前良くお前にくれてやるから、早く淡路島を鎮圧に行けよ」
京から元長を早く立ち去らせたい賢治は言った。
「恩に着る。では、越水城は、篠原之良(ゆきよし)に守らせよう」
「わしも、烏天狗の中から、精鋭を選んでやろう。政長、わしの代わりに交渉の席に出ろ」
「分かりました」
元長、柚爺、為利、加介は準備に取り掛かった。
第3回目の和睦交渉の場。
将軍・足利義晴、細川高国、六角定頼、畠山稙長、前波景定(まえば かげさだ)が座っている。
「お待たせいたしました」
その向かいに、松井宗信、畠山義堯、三好一秀(瓜爺)、三好政長、塩田胤光が座った。
「見ろ、政長、あれが細川高国じゃ」
「聞いていたとおり、ハゲでデブで首がない。まさに妖怪『ぬりかべ』ですね。しかし、さすがの貫禄ですね」
瓜爺の耳打ちに、政長が小声で答えた。
六角定頼は、もう、「将軍様の御成(おなり)」とは言わなかった。
「義晴様、お久しゅうございます。松井宗信でございます。六郎様の名代として出席いたしました」
松井は丁寧に挨拶した。
「今日は、元長は来ないのか?」
義晴は尋ねた。
「はい。詳しいことは言えませんが、欠席です」
「そうか・・・」
(元長に会いたかったのだが・・・)
義晴は内心残念がった。
「今日は、朝倉宗滴殿は、お越しではないのか?」
瓜爺が尋ねた。
「代わりに朝倉家の重臣の私が来ておる。不服か?」
前波景定が言った。
「いや、そういうわけではないのじゃ・・・」
朝倉宗滴ファンの瓜爺は内心残念がった。
「今日は和睦の条件案を文書にして持参した」
六角定頼は、文書を松井に手渡した。
松井は文書を読んだ。
「・・・」
「・・・どうした松井殿。追い込まれたような顔をして」
六角定頼は不思議そうに言った。
(細川尹賢様が言っていたものと、同じではないか・・・)
松井は頭に何かをぶつけられたような衝撃を受けた。顔面蒼白である。
「どれどれ・・・誠実なご回答だと思うが。なぜ黙っているのだ、松井殿」
義堯は言った。
「・・・この、⑦当面の間は京で地子銭は徴収しない、とは何なのですか?初耳ですが」
松井は声を絞り出した。
「これは、こちらの要望である」
将軍・義晴が答えた。
「交渉の場以外で、どなたかとやり取りされたのですか?」
「・・・それはない」
また将軍・義晴が答えた。お互い秘密にしようと元長と約束したのだ。答えられるはずがない。
「そうですか・・・では、こちらでこの条件案を精査したうえで、六郎様のご判断を仰ぎます。次回の交渉の期日まで、30日間のご猶予をいただきたい」
松井は言った。
「30日とは、随分長いな。高国様、それでいいのか?」
高国は目をつむり頷いた。実際は、こっくりこっくりと、居眠りをしているだけである。
「では30日後だな。待つとしよう。できれば次回で決着といきたいものだ。延長は避けたい。頼むぞ、松井殿」
「期待に応えられるよう努力します。では本日はこれにて。ご免」
六角定頼の言葉に、松井は答え、立ち上がった。
「おい、政長、どうした。そんなに高国殿を睨みつけて。行くぞ」
瓜爺は政長を促した。
(お前、居眠りしてるだけやろ!)
政長は心の中でツッコんだ。
「おい、松井!どうだった、おい!」
松井は、賢治、木沢長政(天狗)、政長に、文書を広げて見せた。
「なんだこりゃあ!尹賢が言ってたのと、まったく同じじゃねえか!」
賢治は驚いた。
「交渉の場では、各項目の条件について、何か説明を受けられたのかな?」
長政(天狗)が尋ねた。
「⑦の地子銭の徴収について尋ねたところ、将軍・義晴様は、こちらの要望だと答えたのみであった。あとは訊く必要がない。将軍が譲位し、兵も退くなら、十分に成功だ。それ以外のことを訊けば、藪蛇になりかねん」
松井が答えた。
「やっぱり尹賢は『飯綱使い』だったのか・・・」
「いや、それはなかろう。『飯綱使い』であれば、2回目の交渉の場で、醜態をさらすこともなかったはずじゃ」
賢治の言葉を、長政(天狗)が否定した。
「尹賢は、事前に情報を得ていたのでしょう。しかし、元長兄は、秘密裏に、高国方と交渉するような素振りはありませんでした。本当に秘密裏に合意したのでしょうか。単に、一方的に、高国方が用意しただけかもしれません」
政長が意見を述べた。
「これを、このまま、六郎様に見せていいのか?ただ一方的に相手が作ってきた文書なら、秘密裏に合意したとはいえねえ。当然、裏切ったともいえねえ」
賢治が言った。
「元長殿が、どのような行動をしていたのか、調べてみてはいかがかな?」
長政(天狗)が提案した。
「では私が調べよう」
松井が言った。
「また怪獣みたいに京をのし歩いて、調べてみてくれ」
賢治が頼んだ。
「昨日まで3日間、東寺周辺の町民などからいろいろと聞いて来たぞ」
松井は、賢治、長政(天狗)、政長に、調査結果を伝えた。
「町人らの証言から分かったことは、賢治殿らが京を飛び出し堺へ向かった日に、元長殿は、武器も何ももたずに東寺へ入ったそうだ。東寺でかなりの騒動があったらしいが、寺の中の様子を直接知る者は見つけられなかった。門と塀があるので、高国方の者にでも聞かない限りは、知ることはできないだろう。ただ、門番の兵が飛んでいるのがチラッと見えたそうだ」
「門番が飛んだ?」
賢治が怪訝な顔をした。
「それは私も疑問に思ったが、聞いたままを報告させてもらう・・・その後、しばらくして、元長殿は、門を出てきた。そして、汚い身なりをした老人を助けていたということだ」
「元長は、東寺で、高国方の者と会っていたのか・・・武器も持たず単身で行くなんて、殺されにいくようなもんじゃねえか。なぜ無事に帰れたんだ?とっくに高国方とグルだったのか?」
余談だが、「グル」の語源は日本語である。「ぐるりと巻く」や「ぐるぐる巻き」の「ぐる」など諸説ある。
「それから、町医者によると、その日、尹賢様の家臣の門尾守という武士も診察したのだが、次の日に東寺へ行くと、門尾が逃げたと噂になっていたそうだ。尹賢様を追って、堺へ行ったらしい。門尾に訊けば、何か分かる可能性はある」
「元長は、東寺へ言ったなんて、一言も言ってねえよな」
「・・・はい」
「やっぱり、裏切ったんじゃないか?」
「ほぼ確定ですな」
賢治に長政(天狗)が同調した。
「俺には信じられません。門尾守に話を聞けないでしょうか?尹賢の下にいるのでは?」
政長が言った。
「では堺へ行くか。義維様のお命が危うい以上、あの和睦案には賛成できん。俺たちは、とにかく和睦案に反対しているとだけ伝えて、堺へ行こう」
賢治が立ち上がった。
賢治たちは堺に着いた。しかし、夕方だったために、六郎への謁見は翌日となった。その日は、冬の嵐が堺を襲い、冷たい雨と北風が家屋を殴りつけていた。
「尹賢様、このような人気のない場所に呼び出して、何の御用でしょうか?」
「門尾、お前はここで、わしのために死んでくれ」
尹賢(天邪鬼)は刀を抜いた。
「ひええ、お助けええ」
門尾は逃げた。すると、笠をかぶった武士に出会った。
「私は、門尾守という者です。鬼のような顔をした主君に殺されそうになって逃げているのです。助けてくださ・・・て、天狗!」
「そうか、お主が門尾守か。わしもお前を探していたんだ。死んでくれ」
長政(天狗)は刀を抜いた。
「ひええ、お助けええ」
門尾は逃げた。すると、また別の笠をかぶった武士に出会った。
「私は、門尾守という者です。鬼のような顔をした主君と、天狗のような顔をした武士に殺されそうになって逃げているのです。助けてくださ・・・か、河童!」
「誰が河童ですか、失礼な。もし、死にたくないのなら、海へ飛び込みなさい。助けてあげましょう」
「こんな真冬の荒れた海にですか?」
「信じるも信じないも、ご自由ですが」
「門尾、どこだ~」
「ひええ」
門尾は逃げた。しかし、2人に、古い桟橋の前へと追い詰められた。
「門尾、わしの家臣なら、わしのために死んでくれ」
「門尾守殿、お主なら極楽浄土へ行けるはずじゃ。素直に斬られるがよい」
「・・・河童さん、信じますよ・・・」
門尾は桟橋を駆け抜け、海へ飛び込んだ。そして高い波に飲まれていった。
「これでは助からんでしょう。良かったですな、細川尹賢殿」
「お主は誰じゃ?」
「も、元長が裏切ったのか?」
細川六郎はショックを隠し切れず、震えている。
「おい、松井!門尾守はどうしたんだ!」
「尹賢様によると、海に身を投げたそうだ」
「なぜ?」
「尹賢様にもよく分からないらしい」
「打つ手なしか・・・」
「元長・・・信じていたのに・・・元長ああああああああ!」
六郎が号泣した。号泣にもほどがあるほどの大号泣であった。
15歳の六郎の心は深く傷ついた。
賢治は、もらい泣きし、思わず六郎を抱きしめた。我が子・虎満丸の泣き顔が、ふと思い浮かんだ。
政長も、六郎を抱きしめた。我が子、柚太郎の泣く姿が心に浮かんだ。
二人とも、子を持つ親の顔であった。
六郎の長い号泣がやっと止んだ。
「とはいえ、元長殿の力は強大です。我々が裏切りの事実を把握したと知れば、直ちに高国方へ走り、義維様や六郎様のお命を狙うはずです。この裏切りの件は、我々だけの秘密にし、徐々に、元長殿の力を削いでいくべきです。和睦はのらりくらりと引き延ばしましょう」
六郎の号泣がやんだのを見計らって、長政(天狗)が言った。
「そうだな。あの野郎は許せねえが、奴は強い。今すぐどうこうできない以上、長政(天狗)の言うようにするしかねえな」
賢治は怒りと涙を押さえながら言った。
政長と松井は、裏切りはほぼ間違いないが、確定したわけではないと考えていた。しかし、この流れには逆らえなかった。
■第15章 淡路の鎮圧と「人つなぎの秘宝」
「六郎様は、貴殿とはお会いにならんとおっしゃっている。貴殿が今、専念すべきは、淡路の反乱の鎮圧ではないのか?」
堺に細川六郎を訪ねた三好元長に対して、可竹軒周聡(かちくけん しゅうそう)は冷たく言った。
周聡は僧侶である。細川家の一族であるが仏門に入った。周聡は、六郎を幼少の頃から補佐し、教育もしてきた、六郎の最側近である。
これまで書いてこなかったが、公式の場では常に六郎のそばにいた。
周聡をわしがキャスティングするなら、お笑いタレントのみなみかわさんだな。
余談だが、武士の出家はよくあることで、その理由は、①自身の高齢や親しい者の死等による自発的出家。生前に戒名を名乗ることは縁起が良いとされていたので、死と隣り合わせの武士が生前に出家し、戒名を名乗ることもよくあった。武田信玄や上杉謙信はその例である。②戦等の敗者を勝者が出家させる強制的出家。③助命嘆願・お詫びのための出家、などである。なお、出家しても、在家する者も多かったし、家の都合で僧から俗人に戻る「還俗」もよく行われた。
「和睦の条件案については、どうお考えなのですか?」
「私は反対だ。六郎様も難色を示しておる」
「何故ですか?」
「将軍宣下が京でしかできぬのに、京には敵方の軍勢がおる。将軍の譲位など、事実上不可能ではないか。少なくとも、敵方の軍勢が引き揚げぬ限りは、和睦はできぬ」
「軍勢が退けば、合意できるということですね。分かりました。松井の交渉力に期待しております。俺は淡路の鎮圧に専念します・・・ところで、そんな格好で寒くないのですか?」
「心頭滅却すれば火もまた涼し。無念無想の境地の私は、どのような苦痛にも耐えられるのだ」
薄着の周聡は、「フッ、フッ、フッ」と細かく息を吐く、独特な呼吸法を披露した。
元長らは、堺から船で出発し、淡路島の南西の福良(ふくら)の港から上陸して、鶴島城(つるしまじょう)へ入った。
鶴島城の城主は、福良飛騨守速推(ふくら ひだのかみ はやおし)。海賊らが呼ぶ略称は「福良飛」(ふくらひ)である。三国志の「張飛」は猛将で知られるが、「福良飛」は「淡路島最高の頭脳を持つ男」といわれる知将で、情報収集と分析の能力に長けていた。
鶴島城には、既に、加地為利(一つ目の為利)の父・左京之進と、次男・六郎兵衛が来ていた。
「福良飛、最近の情勢はどうだ?」
為利が尋ねた。
「黒ひげの安宅次郎三郎秀益は、兄の吉安を人質にして炬口城を開城させ、そこで籠城しています。他の人質も一緒です。高国方の熊野の海賊が援軍にくるのを待っているのかもしれません。そしてやはり、クザが戦の準備を始めています。黒ひげの秀益の手下が兵を集めて、白巣山に登り始めました。元長様たちからの攻撃に備えているのでしょう」
「こちらの味方は?」
「まともに動けるのは、栗原城主の島田遠江守時儀(しまだ とおとうみのかみ ときのり)くらいです」
「おお、『月光の時儀』か・・・時儀は、夜襲が得意で、『月光の時儀』と呼ばれている」
為利が元長らに解説した。
「もうすぐやってくる予定なので、月光が来たら作戦会議をしましょう」
「洲本城主の安宅神太郎治興(あたぎ しんたろう はるおき)は?」
「持病の腰痛のせいで、ほぼ寝たきりの状態だと聞きます」
「残念だ・・・あの『海神』の力があればな・・・」
「旅の僧から学んだという柔術を使うのですよね」
福良飛が言った。
安宅神太郎治興には、乙姫のような美しい妻がいたが、早くに亡くなったため、子がいなかった。治興は強い海賊で、「神太郎」の名をもじって「海神」と恐れられたが、腰痛のせいでまともに戦える状態ではなかった。
「で、お前のほうはどうなんだ?黒ひげの秀益から何か言ってきたか?」
「秀益からは、『お前は弱いから、動かないだけでいい』と言われました・・・なめやがって!妻を返せよおおおおお!」
福良飛は、畳を激しく連打して悔しがった。
「そ、そういえば、淡路が海賊の島なら、何かお宝はあるんですか?」
加介が訊いた。福良飛のような知識欲の強い人間は、何か知識をしゃべらせれば落ち着くのである。
「ありますよ。『古事記』の神話で最初に登場する『国生みの島・淡路』を甘く見ないでもらいたい。様々な情報が錯綜し、地図もないので正確なことは分からないのですが、それらを分析し、推理すると、『由良』(ゆら)という場所にある『謎の楽園』に、『人つなぎの秘宝』が存在すると考えられます」
「由良なら俺が詳しいぜ。なんせ地元だからな」
六郎兵衛が言った。
「知っているのか!場所を教えてくれ!」
加介が訊いた。
「具体的な場所までは知らねえ。俺はその秘宝を探すために仲間を集めてるんだ。お前の得意なものは何だ?」
六郎兵衛が加介に尋ねた。
「俺は足の速さが自慢だ。爺ちゃんにシゴかれて、毎日山を走り回っていたから、烏天狗よりも速く走れるぜ。人呼んで『快足の加介』だ」
「すげえ!お前の武器は脚か!俺の仲間になれよ!」
「いいぜ、一緒に秘宝を探そう!俺は、秘宝を売っ払って銭を手に入れたら、全国から麺づくりの名人を呼び寄せるんだ。そして麺づくりを習って、誰にも負けない最高に美味い麺をつくってやる!」
「お前、料理人じゃねえか!すげえ!」
六郎兵衛は喜んだ。
「そんな秘宝が本当にあるのか?」
左京之進が疑問を呈した。
「あるぜ。秘宝は確かにある。俺と元長と仲間たちは、見つけたんだ。持って帰ろうと言う奴もいたが、俺たちが手にするにはあまりにも巨大すぎたから、子孫のために、全てをそこに置いてきた。もう少し大人になったら探してみろ」
為利は言い放った。
「いや、俺は待てない。もう時間がないんだ。俺は大人なんだから、探してもいいだろ?」
加介は訊いた。
「何を焦っているのか知らんが、そんな秘宝は探さなくてもいいと思うぞ。探したいのなら、止めはしないが、いずれにせよ、この反乱を鎮圧してからだ」
「元長兄は、大金持ちだから、俺の気持ちが分からないんだ。こんな戦、とっとと終わらせて、絶対に見つけ出してやる!」
加介は固く決意した。
「島田遠江守時儀様がお越しになられました」
福良飛の家臣が告げた。
「おお、『月光の時儀』。よく来てくれた」
「『虎の藤次』・蟇浦藤次常利も連れてきたぞ」
「これは頼もしい!」
福良飛は喜んだ。
月光の時儀は、頭がツルツルの大男であった。眼の病気なのか、眼球が濁り、黒目も明後日のほうを向いている。
虎の藤次は浪人生活が長かったせいか、頭もひげもボサボサである。ネコ科の猛獣のような、強さとしなやかさを持った男であった。
「月光の時儀殿、目がお悪いのか?」
元長が尋ねた。
「この時儀、生来目が見えん。しかし、音や気配で、健常の者より周りの様子がよく分かるのだ。例えば・・・そこに、1張の弓があるな」
月光の時儀が指差したほうには、確かに弓があった。
「これは、又五郎兄ちゃんが愛用していた弓だ。これで火矢を放って、関所破りをした船を燃やしていたんだ。これを使ってもらえないかと思って、もってきたんだ」
六郎兵衛が答えた。
「拙者は『虎の藤次』だ。義によって助太刀いたす。やはり、黒ひげの秀益が悪事を働いたか。虎口の突破は拙者に任されよ」
「虎口」(こぐち)とは、城などの出入り口のことで、敵の侵入を防ぐため狭くつくられ、矢や鉄砲を射かけられる危険な場所である。なお、この頃まだ日本に鉄砲はない。
「福良飛、策はあるのか?」
為利が訊いた。
福良飛の策の前に、炬口城について解説しておこう。炬口城の地形は、東西から見ると、「凹」のような形をしており、南北が小高く、中央が平らである。この南北を比べると、やや北のほうが高く、その高さを活かして物見櫓と3階建ての高楼が建てられていた。南側には2階建ての櫓(二重櫓)が、中央には番所や馬屋、土蔵などがあり、これらを土塁と土塀、堀が囲んでいる。中央部の東が大手門(表門)、西が搦手門(裏口)である。
「優先したいのは、人質の救出です。炬口城は比較的小さい山城で、力押しでも落とせるでしょう。しかしそれでは人質が殺される可能性が高い。なので奇襲をかけます。月光の時儀には、夜陰に紛れ、虎の藤次を、炬口城の西側の搦手門(裏口)の近くまで送り届けてもらいます。夜明け前ぎりぎりの時間に、虎の藤次には、虎口を破り、城内から搦手門を開けてもらいます。そして、そこから、月光の時儀の軍が突入します。夜明けと同時に、城の東側の大手門(表門)を、元長様たちに攻撃してもらいます」
「人質は?」
「先に城に入った虎の藤次に確保してもらいます」
「人質はどこにいる?」
「分かりません。一般的には、地下牢や、土蔵ではないかと」
「ということは、中央部分か」
「その可能性が高いと考えられます」
「心得た」
虎の藤次が答えた。
「私の最大の任務は、虎の藤次を、搦手門(裏口)近くへ、夜明け前までに、送り届けるということか」
月光の時儀は言った。
「そのとおりだ・・・これでうまく行けばいいですが、虎の藤次が失敗したり、黒ひげの秀益が予想以上に強かったりで、攻城が長引けば、白巣城からクザの軍がやってきて、挟み撃ちに逢ってしまいます。やはり白巣城を先に落とさなければ・・・」
「白巣城はどうやって落とすんだ?」
「私の頭脳をもってしても、攻略は不可能です。兵糧攻めにするしかありません」
「それじゃあ何日かかるんだ」
「下手をすれば年単位です」
「人質のことを考えれば、そんなに時間はかけられないぜ」
為利が言った。
「俺たち烏天狗が、あっという間に落としてやるよ」
加介が胸を叩いた。
「現地も見ずに、無責任なことを言うな。俺と加介は、これから阿波に行かねばならない。烏天狗の大西元高(おおにし もとたか)らに、攻城について調査をさせるから、現地のことをいろいろと教えてやってくれ」
元長は言った。
大西元高は、阿波の白地城の城主である。白地城は、柚爺や加介のいる田尾城の近くにあった。
元長と加介は、淡路島に為利と烏天狗らを残し、阿波へ船出した。
「俺はこれから勝瑞へ行き、彦九郎様(阿波守護)に兵を出す許可をもらってくる。その間に、お前は政長の妻子を連れてきてくれ。間に合わなければ、商船にでも乗せてもら・・・」
撫養に着いた元長が言うや否や、加介は走り出した。秘宝を手に入れるためには、遅れるわけにはいかない。加介は快足を飛ばし、その日のうちに田尾城に着いた。
「おい、政長兄が、堺へ来いと言っているぞ。早く支度しろ」
「急に支度しろと言われても、いろいろと準備もあります」
「いいから早くしろ。船が出てしまうぞ」
加介は政長の妻子を急かして準備させた。翌日には、数人の供に引っ越しの僅かな荷物を持たせて、全員で馬に乗り、3日後には撫養に戻ってきた。
元長は、勝瑞館へ出向き、阿波守護の細川彦九郎の許可を得た。そして、赤沢次郎が手配してくれた兵を乗船させていた。
「間に合った・・・」
「早かったではないか。もうすぐ出航しようとしていたところだ・・・お前が柚太郎か!もうすぐ父上に会えるぞ!」
元長は柚太郎を抱き上げた。
「駄目です。どこから攻めても、かなりの被害が出ます」
大西元高が加介に報告した。
加介は、元長に頼み込んで、半ば強引に、烏天狗らを率いて、白巣城を攻めていた。
「ここの坂にも竹の皮が敷き詰められていて、滑って思うように登れない。他の場所はどうなんだ?」
「塀を登ろうとすると、熱した油を浴びせてきたり、坂を登っていくと大岩を転がしてきたり、思わぬ場所から伏兵が飛び出してきたり・・・本当に背筋が凍ります。特に、熱した油の攻撃がすさまじい。雨のように降らしてくるんです」
余談だが、一般的な食用油の沸点は200度以上である。油はねがやけに痛いのはそのためだ。戦国時代の後期に天下の大泥棒・石川五右衛門が豊臣秀吉によって釜茹での刑にされたが、釜に入っていたのは熱湯ではなく、植物油だった。どれほど残酷な刑だったかお分かりいただけるだろう。
「ちくしょう!俺は一刻も早く秘宝を探さなければならないのに!・・・兵糧攻めしかないのか・・・最後に、又五郎の弓で火矢でも放ってやるか。これがまぐれで、クザに当たらないかなあ」
加介は矢に火をつけ、弓を引き絞った。
しかし、又五郎の不在で手入れされていなかったせいか、弓の弦が切れてしまった。火矢は加介の足元に落下した。
「アチアチアチ・・・」
加介は燃える足の火をなんとか消したが、火は、敷き詰められた竹の皮へ燃え移り、乾いた空気と、海からの風で、どんどん広がっていった。
「逃げろ!烏天狗らに撤退の合図を出せ!」
加介と烏天狗らは急いで山から下りた。
火は勢いを増し、山頂の白巣城にまで届いた。白巣城は炎炎と燃え盛った。
「なんだありゃ?白巣山が噴火したのか?」
「白巣山って、火山だっけ?」
「いや、あそこには白巣城があるはずだ。白巣城が燃えてるんじゃねえのか?」
炬口城の海賊らは口々に喚いた。
鎮火した白巣城に為利が登ると、大やけどを負ったクザが倒れていた。
「一つ目か・・・まさか、俺が、炎にやられるとは・・・」
「油をまいたのは、失敗だったのかもしれねえな」
「一つ目、頼みがある・・・俺はこのとおり、死ぬまで戦ったんだ。黒ひげの秀益に、俺は約束を果たしたんだから、お前も約束を守って、俺の息子を解放しろと伝えてくれ。頼む・・・」
「分かった」
「ありがとう・・・」
クザは息絶えた。
その夜、炬口城攻略の作戦が決行された。
「ここまでだ。これ以上近づけばバレる」
虎の藤次は、炬口城の近くの茂みで、月光の時儀に言った。
「もうすぐ夜明けだ。野郎ども、行くぞ。拙者を援護しろ」
「武運を」
時儀は、藤次に見送りの言葉をかけた。
藤次たちは、松明の灯る搦手門(裏口)に、まるで獲物を狙う虎のように、音もなく忍び寄った。
そして藤次が飛び込むと同時に、手下が門番に矢を放った。矢の当たらなかった門番は、藤次が斬り伏せた。
藤次は土塀に向かって飛び、その壁を蹴ってさらに上へ飛んで、狭間(さま)に手をかけた。まるでピューマのようなジャンプ力で。
狭間とは、矢などを放つための小さな窓のことで、矢のための狭間は、縦長の長方形をしている。
狭間に手をかけた藤次は、ジャガーのようによじ登り、狭間から刀を突き立てて兵を殺したかと思うと、猫のような柔軟さで、狭間から中へと入り、次々と兵を斬り殺した。
藤次の手下もそれに続き、城内へ入って、門の閂(かんぬき)を外した。
「よし、開いたな。突撃だ」
城門が開いた気配を感じた時儀は、家臣らに命じた。
「どこだ・・・人質はどこだ?」
藤次と手下が探し回ったが、見当たらない。
夜明けになり、大手門(表門)から元長らが攻撃を開始した。秀益方の兵が、搦手門(裏口)からの攻撃に気をとられていたこともあり、比較的早く門を破ることができた。
「人質は見つかったか?」
元長が藤次に訊いたが、藤次は首を横に振った。
「人質はここだ!」
上から声がした。
元長らが見上げると、北側の高楼の3階の露台(バルコニー)に、人質が並べられている。
余談だが、小田原城の天守や、安土城の天主には、美しい欄干が取り付けられたバルコニー状のものがあったらしい。
「人質がどうなってもいいのか!」
黒ひげの秀益は、兄の吉安に刀を突き付けながら叫んだ。
「おい、秀益!」
為利が叫んだ。
「なんだ、一つ目じゃねえか」
「クザは、お前との約束どおり、死ぬまで戦ったぞ。お前も約束を守って、クザの息子だけは解放してやれ!」
「クザが死んだなら、人質の意味がねえだろ。お前の息子共々、殺してやるよ。人質の命が惜しい奴は、とっとと城から出ていけ!」
「次郎三郎よ、昔よく、海岸へ釣りに行ったよなあ」
兄の吉安が、唐突に話し始めた。
「黙れ」
「釣りに夢中になっていると、お前はいつの間にか、カニに金玉挟まれてて、大泣きしたよな。あのカニ、なかなか離してくれなくて、困ったよなあ」
「黙れ」
「お前が、『こっちのほうが近道だ』と言って、一人だけ岩の間を進んでいったら、途中で挟まってしまって、一生このままかと、二人で泣いたことも、あったな」
「黙れ」
「だけど、お前がデカい屁をこいたとたんに、スルリと抜けて、二人で泣きながら大笑いしたよなあ」
「黙れ!」
「お前は今も、何かに挟まれて、もがき苦しんでいるんじゃないのか。泣きながら俺に、助けを求めてるんじゃないのか」
「黙れえええ!」
黒ひげの秀益が、デカい屁をこいた。
「・・・兄ちゃん・・・」
「次郎か?次郎のほうか?」
秀益が頭を抱えながら苦しんでいる。
吉安は秀益に体当たりした。2人は露台から落下した。
虎の藤次がチーターのように猛然とダッシュし、転がり落ちてきた秀益の胸に、ライオンのように刀を突き立てた。
「・・・次郎三郎・・・」
吉安は、とどめを刺された秀益を、幼名で呼んだ。その吉安も瀕死の状態だった。
秀益の手下は、秀益が討ち取られたのを見て降参し、人質も無事に解放された。
「吉安殿・・・」
解放された又五郎が、吉安を見舞った。
「・・・あいつは俺の弟だ。弟の不始末の尻ぬぐいは、兄貴の俺がしなきゃな・・・それに俺は、白ひげの秀興の息子なんだ。誰が何と言おうとも、誇り高き、白ひげの秀興の息子だ・・・」
吉安は息を引き取った。
「あんたはカッコイイ兄貴だったよ」
又五郎は吉安に向かって言った。
「吉安も死んだのか・・・わしが受け身を教えてやっていれば、助かったかもしれんのう・・・」
洲本城で、「海神」安宅神太郎治興は気の毒そうに言った。
今回の反乱の鎮圧についての論功行賞を行うために、元長は、洲本城に家臣らを招集することにした。治興から聞きたいこともあったため、洲本城で行うことにしたのだ。
まだ、家臣らは来ておらず、治興、元長、加介の3人だけがいた。
「治興殿は柔術をどなたから学ばれたのか?」
元長が尋ねた。
「60年以上前のことじゃ。わしが海女の真似事をして、海で素潜りをして遊んでおったら、深い海の底を歩いている老僧がおったのじゃ。隠れて様子を見ておったら、浜辺に上がってきたので、なぜ海底を歩いていたのかと訊くと、これから一大決戦に向かうので修行をしておった、心頭滅却すれば息をしなくても苦にならん、ただこのことは秘密にしておいてくれ、秘密にしてくれるなら柔術を教えてやると、そう言ったのじゃ。そこでわしは秘密にすることを約束し、先生から柔術を学んだのじゃ。最初は受け身ばかりで辛かった。数年後、先生は、鍛錬を怠らぬようにとわしに告げて、西へと歩いて行かれた。わしは、しばらくは鍛錬を欠かさなかったのじゃが、強さに慢心して、鍛錬を怠けておったら、腰を痛めてのう。やはり、毎日少しずつでも体を動かさにゃあいかんのう」
「その先生のお名前は?」
「絶対に教えてくれんかった。当時もかなりのお歳じゃったから、もう亡くなっておられるだろうのう。優しくて、物知りで、愉快な先生じゃった」
「・・・」
「しかし、加介殿、お主の活躍を聞いたぞ。燃えるような足技で、あのクザを倒したらしいのう」
火矢を放つのを失敗したことを、烏天狗らに黙っておくように言っておいたためか、変なふうに噂が広まっているようである。
「ええ、まあ・・・」
「わしの養子にならんか。三好から誰かを養子に迎え、三好の威信で押さえつけねば、海賊だらけのこの淡路は治められんぞ」
「俺は、麺づくりの達人を目指すために、淡路にはとどまれないので、申し訳ないですけど、ちょっと無理ですね」
「うちには4人の男子がいるので、嫡男以外で検討します」
「それがええ。海賊に負けない強い子を頼む」
「元長兄、皆が来る前に、論功行賞の件でお願いしたいのですが」
「何だ」
「1か月ほど、休暇をいただけないでしょうか?」
「別に構わんぞ。特別報酬も出すから、阿波でゆっくり体を休めておけ」
「ありがとう!」
その後、論功行賞が行われ、「虎の藤次」蟇浦藤次常利は、蟇浦城の城主に復帰し、俎板山城も任されることになった。「月光の時儀」島田遠江守時儀は知行を加増。クザの息子は、「一つ目の為利」加地為利の父・左京之進が預かることになった。
「福良飛」福良飛騨守速推は、妻さえ戻ってくれば、それだけでいいと言ったが、欲しいものはないのかと元長がさらに尋ねると、堺の知識人や、阿波・伊沢城の城主・伊沢内匠頭赤門(いざわ たくみのかみ あかかど)との交流を望んだので、便宜を図ることを約束した。
「はあ、はあ、はあ、ついに見つけたぜ・・・えっ?・・・笑えねえ・・・まったく笑えねえなあ・・・」
20日ほど後、加介は、ついに、「人つなぎの秘宝」を発見した。
由良を必死で走り回り、元長からもらった特別報酬を使い果たしてまで「謎の楽園」の断片的な情報を村人らからかき集め、知力と体力と財力の限りを尽くして、ついに発見したのである。
確かに秘宝はあった。人と人とをつなぐ「秘宝」で、「人つなぎの秘宝」と言って差し支えない。巨大な物もたくさんあった。子孫の繁栄のために必要なのかもしれない・・・しかし、銭に替えたところで高が知れていたし、発見したことを大っぴらに自慢できる種類のものでもなかった。
「六郎兵衛には、黙っておこう・・・」
少年たちの夢を奪う権利は、誰にもないのである。
★参考
仏教に由来する戦国武将の名前/ホームメイト – 刀剣ワールド
【やさしい歴史用語解説】「出家」
「謎のパラダイス」洲本・立川水仙郷9月閉園 戦地から復員、開拓に懸けた人生 秘宝館で話題
淡路島の秘宝館は地図に載せてもらえない
推定イラスト/将軍上洛時の小田原城天守の廻縁は、安土城・駿府城とならぶ壮観さか
■第16章
「私が1番だ~!」
千熊丸は、五月晴れの空へ、拳を高く突き上げた。
田植え競争で1着になり、1年前の雪辱を果たしたのである。
「2番は誰だ?」
「俺だよ、美濃吉だよ・・・」
「ああ、美濃吉か。藍染の手ぬぐいを与えよう」
「ありがとう・・・」
あまり嬉しくなさそうである。
「藍染の手ぬぐいを5枚集めると、藍染の風呂敷も与えるから、がんばれよ」
「ホント?来年もがんばるぜ!俺も『風呂敷の彦六』みたいに立派な百姓になってやる!」
千熊丸は、こういうことも予想して、言葉を準備していた。
準備といえば、千熊丸は、1着になるために、大善寺までの道の途中にある古沼の浅瀬で、事前に何度も田植えの練習をしていたのだ。そのために浅瀬は千熊丸の足跡だらけになっていた。
このことが、後にちょっとした悲劇を生む。
「松井め!こっちがいい条件を投げてやってるのに、見送ってばかりじゃないか!」
東寺で、六角定頼は激怒していた。
「朝倉宗滴殿ら朝倉勢も引き上げていったが、大丈夫なのか?」
将軍・足利義晴が尋ねた。
「まずいですね。数的にかなり不利です。元長が殴り込んできた時の様子からすれば、元長たち三好勢が攻め込んでくる可能性はほぼないと踏んでいますが、聞くところによると、柳本賢治が主戦論を唱えていて、それで和睦にも反対しているようです」
「細川尹賢(天邪鬼)の件で、恨みを抱いているだろうしな」
「賢治は強い。丹波勢だけで攻めて来られても、将軍様と高国様を守り切れるかどうか分かりません」
「それにしても、元長はどうしたのだ?松井は一時的な交代かと思っていたが、あの席に定着しているではないか」
「どうやら淡路で反乱があったようで、元長は、その鎮圧のために京を離れたようです」
「そうすると、次回の交渉の場で、元長に会えるのか!」
「いえ、私ども六角のほうが、時間切れです。田植えの時期なので、兵を戻さねばなりません。堺の財力を味方につけた元長がうらやましい限りです」
「もしかすると、松井は、我々の事情を見越して、見送りを続け、のらりくらりと延長をしてきたのかもしれんな。やはり、できる奴だ」
余談である。織田信長は「楽市楽座」でも有名だが、「楽市」を初めて行ったのは、この六角定頼であった。この時から21年後、近江の居城・観音寺城の城下町で楽市令を出したのである。経済力がなければ、兵農分離は難しい。銭の力だけがすべてではないが、やはり重要であることに間違いはない。
「今回は、六角、朝倉、畠山(稙長方)、細川(高国方)などで、最大5万の兵をそろえました。しかし、それでも京を奪還できません。他の大名にも呼びかけましたが、応じてくれた大名はいませんでした。他の大名の協力を得るためには、高国様に諸国を回ってもらって、直接、諸大名を説得してもらうしかありません。高国様、それでよいか?」
高国は目をつむり頷いた。実際は、こっくりこっくりと、居眠りをしているだけである。
「さすがだな。漢だよ、あんた」
「高国、すまん。いつも苦労をかけるな・・・」
将軍・義晴は涙をこぼした。
「そうと決まれば、高国様は一刻も早く出発したほうがいい。明日にでも出られるように、馬などを手配しておく。将軍様は、延暦寺の門前町の坂本に移られるのがよろしいかと思います。我々が坂本まで責任をもってお送りします」
5月14日、高国は馬に乗せられ出発させられていた。その後、供らと永源寺に入った。
将軍・義晴は、5月28日に、2万の軍勢に守られながら、近江坂本にたどり着いた。9月には朽木(くつき)に移っている。
これによって、六郎方が、京を完全に掌握したのである。
「これからどうすんだよ、おい!」
柳本賢治が問いかけた。
<<続く>>
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