<<第33章>>
■第34章 千熊丸の初陣
「千熊丸は俺たちに重要な任務を託したんだ。阿波の皆を守るためにも失敗は許されんぞ」
5月初旬、阿波から堺へ向かう船の上で、三好長逸は、優作・鉄矢・辰夫に言った。
「分かってるぜ。そのために訓練を重ねてきたしな」
優作が答えた。
「しかし、まさか幽霊とは・・・」
辰夫がつぶやいた。
「約束を破ったな・・・証如を殺す!」
真夜中の堺で、血まみれの鎧武者が、一向宗の者らを角材で殴って次々に殺した。三好元長と同じ鎧兜である。
「で、出た~!噂の三好元長の亡霊だ~!」
一人見逃された者が、叫びながら走り出した。
堺・顕本寺の三好元長の墓の前で、輿に乗った慶春院が手を合わせている。
「慶春院殿」
慶春院の合掌が終わったのを見計らって、住職が声をかけた。
「最近、元長殿の亡霊が出ると街で噂になっております。もし亡霊が本当だとしても、さすがにここには出ないと思いますが、念のためご注意ください」
「ご住職様には、何から何までお世話になり、本当にありがとうございます」
「先ほど九条稙通様がお越しになられて、元長様の墓前で冥福を祈りたいとおっしゃられているのですが、お連れしてもよろしいですか?」
「もちろん構いません」
「ではお呼びしてまいります」
住職が去ると、行空(九条稙通)がやってきた。
「フフフフフフ・・・」
行空は微笑んでいる。
「慶春院殿ですね?」
「はい。この度は、ご協力いただき、感謝申し上げます」
「いや、こちらこそ感謝しているのですよ。こんなに面白いことはない」
行空は元長の墓の前に立つと、懐から書状を出し、墓に向けて広げた。
「何をされているのですか?」
「千熊丸の作戦を、元長殿にも読んでもらっているのです」
「はあ・・・」
「慶春院殿、この作戦は必ず成功します。成功する要因は、主には3つあるのですが・・・一つは、僕がやる気になっていることです」
「ありがとうございます」
「ほかの2つは・・・常人には信じがたいことですので言いませんが、まあ、とにかく、お互いの役割をしっかりとこなしましょう」
「約束を破ったな・・・証如を殺す!」
真夜中の堺で、血まみれの鎧武者が、一向宗の者らを次々に棒で殴り殺した。
「で、出た~!三好元長の幽霊だ~!」
一人見逃された者が、叫びながら走り出した。
鎧武者は反対方向へ走り出した。
それを物陰に潜んで見ている者らがいた。堺の自警団の2人である。
「とんでもない脚の速さだ。追うぞ!」
2人の男は走り出した。
「あの角を曲がったぞ!」
2人は角を曲がった。
すると一人の男が歩いている。
「こっちに身の丈8尺(約2m40cm)はある血まみれの鎧武者は来なかったか?」
「はあ?鎧武者?そんなもん、見てねえなあ」
「ところでお前はこんなところで何をしてるんだ?」
「元長の亡霊を一目見たくてよう」
「その亡霊が、ここを通ったはずなんだが・・・」
「ええっ?じゃあ、やぱり嘘なのか?」
「いや、確かに一向宗の者が殺されていた」
「じゃあ本当なのか?身の丈8尺もあるのか?」
「ああ、間違いない」
「それは人間ではないな。そんな大きな人間はいない」
「やはり亡霊か・・・恐ろしい・・・お前も気を付けろよ。我々は死体の処理をするか」
2人の男は去っていった。
「上手くごまかせたな・・・」
辰夫は胸をなで下ろした。曲がり角の先にいた男は辰夫であった。
鎧武者は、辰夫の肩を踏み台にして、塀を飛び越え、顕本寺へ逃げたのである。
他の要所には優作と鉄矢が配置されていて、鎧武者の逃走を手助けした。
「いや、待てよ。鎧武者が逃げたほうには、顕本寺がある。念のために顕本寺に行ってみるか」
自警団の2人は顕本寺へ向かった。
「夜分に申し訳ないが、開けてくれ」
2人は顕本寺の門を叩いた。
「実は・・・」
2人は住職に事情を説明した。
「ここには、我々と、脚の悪い元長殿の奥方しかおられぬが」
「念のため、奥方に会わせてもらえぬか」
「訊いてみましょう」
住職が去った後、2人は寺の境内を見回したが、怪しい物はなかった。
「奥方がお会いになるそうです」
2人は住職の案内で、元長が建てた屋敷に向かった。
慶春院が体を引きずりながら出迎えた。慶春院は小顔の細面であり、足先まで衣で覆っているので、体の大きさをあまり感じさせない。
「実は・・・」
2人は事情を説明した。
慶春院は泣き出した。
「元長様・・・亡霊でもお会いしたい・・・元長様は、何故、私にはお会いくださらぬのでしょうか・・・」
「奥方様、なんとか元長様の霊を鎮めることはできないでしょうか?」
「私には無理のようです。嫡男の千熊丸なら、もしかすると・・・」
「千熊丸様は、どちらに?」
「細川六郎様の思し召しで、摂津の六郎様の陣に合流すると聞いています」
「えい、えい、おー!」
「出陣だー!」
阿波・勝瑞館で、出陣式が行われた。いよいよ三好千熊丸の出陣である。山城の元郡代であった塩田胤貞や市原胤吉らも従う。千熊丸の初陣であった。
「では、行ってまいります」
千熊丸は、阿波国守護・細川彦九郎に頭を下げた。
「千熊丸、頼んだぞ。いろいろと思うところはあろうが、今回だけは、兄上に手を貸してやってくれ」
「はい」
「最近、元長の亡霊が、堺の北のほうで出ているらしいですね」
堺で、意雲が将棋の駒をパチンと打ちながら言った。
「何故だろうなあ」
対戦相手の豪商が尋ねた。
「証如を殺すために、大坂本願寺へ向かったのでしょう」
「身の丈八尺の亡霊が・・・恐ろしい・・・」
「亡霊を止めるためには、千熊丸様に土下座して謝るしかないでしょうね」
「お主がその手の話をすると、妙に説得力があるな・・・」
青ざめる豪商を見て、意雲はニヤリと笑った。
「最近、元長の亡霊が、堺の北のほうで出るらしいのう」
茶人の鳥居引拙も、弟子との茶会で言った。
「その話、聞いたことがあります。証如を殺すために、大坂本願寺へ向かったそうですね」
「千熊丸様しか止められないとか」
参加者らが言った。
元長の亡霊は千熊丸しか止められないとの噂が、意雲や鳥居引拙の協力で広まった。
「いやあ面白い、面白い」
堺から大坂本願寺へ向かう道中で、馬上の九条行空は笑った。
「行空様、輿に乗られなくてよいのですか?」
長逸が尋ねた。
「僕は馬上のほうが好きなんだ。空の下にいるほうが都合がいいしね・・・そこは右に曲がろう。左には怪しい奴らがいる」
行空は指示した。
「証如はどんな顔をすることやら。ハハハハハハ」
「証如様、元長の亡霊が、堺より北上し、こちらへ向かっているようだ、とのことです」
(恐ろしい、恐ろしい・・・)
大坂本願寺で、番士から報告を受けた証如は、顔には出さなかったものの、内心では怯えていた。
「証如様、それから、九条稙通様から書状が届いています」
「読んでみろ」
「僕が2月に関白に就任したのに、挨拶にも来ず、祝いの品も寄越さないのは、どういうことか。まったく不出来な義弟だ。僕のほうから大坂本願寺へ出向いてやる。手土産に、三好千熊丸にも会わせてやろう。千熊丸に土下座すれば、元長の亡霊も許してくれるらしいぞ。元長の命日の6月20日に土下座すればどうか」
番士は書状を読み上げた。
以前にも書いたが、証如は九条家の猶子となっているので、行空とは義兄弟の関係にある。猶子は、箔を付けるために擬制的な親子関係を結ぶことであり、養子と違って相続権はない。
「このような戦いの最中で、挨拶になど行けるわけがなかろう!しかも、こちらの恐怖心を見透かしたかのように、からかいやがって!」
証如は激怒した。
しかし、しばらくすると証如は冷静になった。
「・・・いや、待てよ。これは、義兄の策略ではないのか・・・そういうことなら、乗ってやろうではないか・・・おい、九条稙通と三好千熊丸の居場所を調べろ。そして、飯綱使いを探し出して連れてこい・・・こちらこそ、面白いものを見せてあげましょう、義兄様」
「かかれー!」
6月18日、細川国慶の軍が、京の北部の平岡八幡宮から、本格的に京へ攻め込んだ。
六郎方の主力は大坂本願寺を攻撃しており、その背後を突いた形である。
「薬師寺国長、討ち取ったりー!」
国慶は高らかに叫んだ。
六郎から京の守備を任されていた薬師寺国長のほか、数百人の兵が討ち取られた。
「国長様、討ち死に!京は晴国方に制圧されました!」
6月20日、伝令が、陣中にいる細川六郎、三好政長、千熊丸らに告げた。
「晴国の本隊が丹波から攻め込んできたら、挟み撃ちにされてしまう。ヤバいぞ・・・なんとか本願寺と和睦できないものか」
政長は焦った。
「申し上げます!本願寺の使者が、千熊丸様だけを大坂本願寺にお招きしたいと申しております」
2人目の伝令が報告した。
「え?」
「実は、さるお方に、本願寺との和睦の仲介をお願いしておりました」
「誰じゃ?」
「それは申し上げられません。証如と和睦について交渉してまいります」
「お前一人でか?」
「先方がそのように申しているのですから、行くしかありません」
「千熊丸、頼む。なんとか和睦を成し遂げてくれ」
六郎が懇願した。
「では、行ってまいります」
千熊丸は立ち上がった。
<<続く>>
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