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勝手に大河ドラマ「三好長慶」第29章 弔いと結束

大河ドラマ

<<第28章>>

■第29章 弔いと結束

「はあ、はあ・・・」
 三好元長らが自害して果ててから数日後の夕暮れ、松永久秀は、摂津・東五百住の実家にたどり着いた。風雨と土埃の中を駆け抜けてきたので、衣服も、頭に被った風呂敷も、土色に染まっている。
「私だ。開けてくれ」
 久秀は門を叩いて門番に告げた。
「ヒイイ、ね、ねずみ男!」
「違う。私だ、久秀だ」
 門番は門を開けた。
 久秀は屋敷に上がり込んで襖を開けた。
「ヒイイ、ね、ねずみ男!」
「違う。私だ、久秀だ。お前たちには言われたくない」
 久秀は弟たちに言った。
「兄上、元長様が一向一揆に攻められて亡くなったと聞いたぞ。本当か?」
「も、元長様・・・」
 久秀は号泣した。
 久秀は事情を説明した。
「自分を爆破して、死にたい・・・あんな素晴らしい方を騙していたなんて・・・」
「元長様は、そなたと私の命の恩人ですね。いつか、堺へ行って、元長様の菩提を弔いたいものです」
 久秀の母は静かに言った。

「これで父の菩提を弔ってほしい」
 8月9日、三好千熊丸(後の三好長慶)は、弟の千満丸(後の三好実休)と連署した寄進状を、見性寺の住職に手渡した。見性寺は、三好一族の菩提寺である。阿波の勝瑞館のそばだ。
 実休との連署にしたのは、元長が生前、千熊丸は細川京兆家に、千満丸は細川阿波守護家に、それぞれ仕えるべしとの方針を示していたためである。なお、三男の千々世が淡路安宅氏へ養子に入ることは既に決まっている。
 見性寺では、元長の四十九日の法要がしめやかに執り行われた。
 余談だが、元長の墓は、見性寺(徳島県藍住町)のほか、顕本寺(大阪府堺市)、南宗寺(大阪府堺市)にあるぞ。

「父上だけでなく、瓜爺も、柚爺も、為利も、胤光も、隠岐守も・・・頼りになる者たちがいなくなってしまった・・・」
 法要の後、千熊丸は家臣たちに言った。
「俺たちがいるじゃねえか!なあ!」
 三好康長(ヤス)が、三好加介の肩を組んで言った。
 千熊丸は、康長だけを不安げな目で見つめた。
「千熊丸様の曾祖父の之長様が亡くなられた時、元長様は阿波で力を蓄えることをお決めになられました。今後10年はじっくりと力を蓄えることに専念されてはいかがでしょうか?」
 撫養掃部助(河童)が具申した。
「あの後、堺は無事だったようですが、各地で一揆勢が暴れ回っているようです。今後も情勢を探りながら、時機をうかがいましょう」
 塩田一忠が報告と共に意見を述べた。
「阿波の守りも固めなければなりません。特に讃岐は、細川京兆家の分国なので、動向を注視する必要があります」
 篠原長政(子泣き爺)が言った。
「準備を整えて、畿内に打って出たとして、再び21万の一向一揆に攻められたら、どうしたらいいのだ?」
「・・・」
 千熊丸の問いに、誰も答えられなかった。
「あの者たちは、いったい何なのだ?誰か一人を仏敵に仕立て上げて、討ち滅ぼすことが仏の教えなのか?理不尽極まりないではないか!」
「あいつらだって、人間だ!あいつらが何人来ようが、負けないくらい鍛えるしかねえ!元兄なら、ワクワクしながら鍛錬に励むはずだ。暗い顔ばっかしてねえで、おのおの、鍛錬に励もうぜ!」
 康長が空元気で言った。
「そうですね・・・鍛えましょう!」
 千熊丸は康長の言葉に救われたと思ったが、一向一揆の問題は心に重くのしかかったままであった。

 元長の妻・春は、芝生城近くの大善寺で、先生に剃髪してもらい、出家した。
 春が子どもたちの部屋に入ってきた。
「どうですか?私も仏門に入り、戒名を『慶春院』としましたよ」
「わははは、弁慶そっくりだ!武蔵坊慶春だ!」
 千満丸は、身体の大きな母を見て、笑った。
「上手いこと言わないで!」
 慶春院は笑いながら、千満丸の肩を平手打ちした。慶春院としては軽くツッコんだだけのつもりである。千満丸は吹き飛ばされ、障子を破って外の庭に転がった。
 以前も書いたが、慶春院は感情が高ぶると力加減ができないのだ。
 千熊丸たちは慶春院の遺伝子を受け継ぎ、先生から受け身も習っているので無事だが、やはり普通の子を慶春院に近づけてはならない。
「ああ、時が見える・・・」
 おかしなことをつぶやきながら、千満丸は部屋に戻ってきた。

「兄者、あれをやろう!」
 千満丸は千熊丸に言った。
「まだお前はおかしなことを言っているのか?」
「三国志の『桃園の誓い』だよ。このあたりに桃の木はなかったかな?」
「ないな。沼のほとりに桜の木があるくらいだ」
「じゃあそこでいいや。兄弟の結束を固めるために、『桃園の誓い』をやろう」
 四兄弟は大善寺への道の途中にある桜の木の下へ行き、瓢箪から各々の盃へ水を注いだ。
「しかし『桃園の誓い』は、劉備・関羽・張飛の三兄弟だろ?」
「俺が諸葛亮孔明に決まっている。兄者が劉備玄徳で、千々世が関羽雲長、孫六郎が張飛翼徳だ」
 千熊丸の問いに千満丸は答えた。
「では、俺の後に続いて言ってくれ・・・我ら天に誓う」
「我ら天に誓う」
「生まれた時は違えども」
「生まれた時は違えども」
「死す時は、同じ日・同じ時を願わん」
「死す時は、同じ日・同じ時を願わん」
 盃を飲み干した千満丸は、凸凹の地面に足をとられ、後方に5歩ほどよろめき、沼に落ちた。
 以前、千熊丸が、田植え競争の練習をした沼の浅瀬は千熊丸の足跡で凸凹になっていたのだが、その場所が凸凹のまま干上がって野となり、ススキや蘆(あし)が生えたため、千満丸は凸凹に気付けず、足を取られたのだ。
「助けてくれ!死ぬ!」
 泳ぎを知らない千満丸は、ジタバタともがきながら叫んだ。
 千々世が助けようと我先に駆け出した。
「千満丸、落ち着いて起き上がってみろ」
「・・・浅い・・・」
 千満丸は起き上がった。
「千満丸の兄上が死んだら、みんなで死なないといけないのかと思った」
 千々世は言った。
「わはははは」
 四人は笑った。
「俺もやる~・・・助けてくれ!死ぬ!わはははは!」
 孫六郎が沼に飛び込んで、千満丸の真似をした。
「・・・鍛えよう・・・康兄の言うとおり、鍛えるしかない」
 千熊丸はつぶやいた。

「よし、お主らをさらに鍛えてやる」
 大善寺で先生は四兄弟に言った。
「その前に、元長がどれだけ鍛えていたのか見せてやろう」
 先生は四兄弟を、元長が部位鍛錬をしていた大木に連れていった。
 大木の幹は元長の拳によって中心部近くまでえぐられていた。
「見よ、この鍛錬の跡を。元長は、堺へ渡る直前まで、ここで鍛えておったのじゃぞ。元長の拳は、岩をも砕くほどに硬くなっていたはずじゃ。この大木を倒せば、本気のわしと戦う約束になっていたのじゃが・・・残念じゃ・・・」
「・・・」
 千熊丸は、元長の血のにじむ鍛錬を想い、大木を思い切り殴りつけた。
 すると、大木はメキメキと大きな音を立てて倒れた。
「ええええ~・・・」
 先生は驚いた。
(危うく元長と勝負せんといかんところじゃった・・・)

「ええええ~・・・」
 時は少し遡って、堺へ一向一揆が押し寄せつつあった頃。丹波・八上城の城主・波多野秀忠(第4章参照)は狼狽していた。八上城にも一向一揆が攻め寄せてきたのだ。
「これはまずい!尋常な数ではない!城を捨てて逃げるぞ!」

 それから20日ほど後。木沢長政(天狗)は、大和の国衆・筒井順興(メタルスライム)と、大和・興福寺で会談していた。
「大和はこれから、柳本賢治殿の兄弟分のわしが仕切らせてもらう。ついては礼銭として・・・」
「大変です!一向一揆勢が攻め込んできました!」
「ええええ~・・・なんで?」
 長政(天狗)は伝令に驚いた。
「順興殿、では・・・」
 順興の姿はなかった。既に逃げ出していたのである。
「・・・わしもいったん退こう」
 長政(天狗)も飯盛城へ急いで逃げた。

 一揆勢は、興福寺のほとんどの建物を焼き払い、春日大社の社殿や住居も滅茶苦茶に破壊した。
 宝物は強奪され、猿沢池の鯉も、春日大社の鹿も、すべて食べられてしまった。
 興福寺だけでなく、一向宗以外の多くの寺社も焼かれた。
 天下はまさに、一揆の世となってしまったのである。

<<続く>>

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