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勝手に大河ドラマ「三好長慶」第26章 堺へ迫る二十一万の一向一揆

大河ドラマ

<<第25章>>

■第26章 堺へ迫る二十一万の一向一揆

「どういうこと?!返済が滞っているわよ!」
「細川家の方々は引接寺に籠城していて、接触が難しいのだ」
 阿波・撫養で、撫養阿古女(むや あこめ)は、堺から帰ってきたばかりの夫・撫養隠岐守に言った。
 撫養阿古女はわしがキャスティングするならタレントのいとうあさこさんである。
「どんな手段を使うてでも回収せんかい!慈善事業でやっとんのちゃうんやで!」
 阿古女は人が変わったようにオラついている。同席していた石成友通は震えていた。
「金貸しのことになると人格が変わってしまう。昔は私のことを可愛く応援してくれていたのに・・・30超えた頃からイライラし出したな。今では帝王のようだ・・・」
 隠岐守は嘆いた。
「金を借りとる奴の名を、堺の街中に貼ったれ!質に取っとる家宝も売っ払うとも書いてな」
「・・・友通殿、武芸の鍛錬に励んでいるか?」
「はい」
「うちは『土倉』といってな、質草をとって高利貸しもしているのだ。貸した相手とは、荒事になることもある。だから、さらに鍛えておいてくれ。私は堺に戻って細川家の方々と交渉してみる」
「阿古女に睨まれたら、逃げられんいうことを教えたれ!」
 阿古女は悪い笑顔で凄んだ。

「わしの烏天狗からは逃げられんぞ!ハハハハハ!」
 5月、三好家長(柚爺)は河内・飯盛山の麓で、飯盛城に向かって高笑いしながら言った。
 柚爺の兵たちは、木沢長政(天狗)の兵を圧倒し、飯盛城へと退却させていた。
「家長殿、ご加勢、恩に着る」
 畠山義堯は礼を述べた。
「此度は元長は来ておりませんが、前回の戦の手応えからすれば、わしだけで十分でしょう」
「昨年8月に長政を討ち取っていれば、このような二度手間にはならなかったのですが・・・自分の甘さを痛感しております」
 義堯は反省の弁を口にした。

「元長の強さは痛感しておるが、賢治亡き今、長政を失えば、完全に元長に牛耳られてしまう。何とかならんのか、政長。お前は名軍師なんだろ?」
 堺・引接寺で、細川六郎は三好政長に言った。茨木長隆(茨木童子)も同席している。
「瓦林帯刀左衛門尉の軍勢はどうなってるんや?」
「兵が少なく、動けないということです」
 政長の問いに長隆が答えた。
「・・・そういえば、山城で朝倉勢と戦った時に、朝倉宗滴が、『お主らも一向一揆には気を付けえよ』と言っていました。本願寺に一向一揆を起こしてもらえばどうでしょうか?細川京兆家は、本願寺と強いつながりがあるのではないのですか?」
「ある。40年ほど前に、細川政元が、9代将軍・足利義尚による本願寺討伐令を撤回させたことがあった。加賀の一向一揆が守護・富樫政親を滅ぼしたときだ。それ以来、本願寺は、細川京兆家に恩義を感じて、年末年始などには音信物(贈り物)を贈ってくるぞ」
 六郎が答えた。
「実は、私の弟の妻が、本願寺の坊官の下間氏の娘なのです。弟を通じて、本願寺に連絡をとってよいでしょうか」
 長隆が言った。
「任せた」
 六郎は長隆に本願寺とのコンタクトを任せた。

「お前たちに任せるから、とにかく門徒を増やすのだ!」
「ははあ~」
 山科本願寺で証如は坊官らに命じた。
「♪今日も~ 明日も~ 南無阿弥陀仏~ 守護を~ 倒して~ 自治を確立~」
 証如は、自作の歌を歌いながら、扇を片手に踊り出した。
「証如様、ご報告です」
「ビックリした!・・・何だ、人が気持ちよく踊っている時に」
「細川京兆家当主の細川六郎様から、一揆で、河内の畠山義堯様と堺の三好元長様を討ってほしいとの要請が来ております」
 証如は、踊りをやめ、扇を閉じた。
「頼秀よ、仮にこの要請を受けた場合、どれだけの門徒を武装蜂起させられるのだ?」
「摂津、河内、和泉ですと、およそ21万です」
「21万の我が一揆に勝てる者らは存在するか?」
「いるはずがありません」
 坊官・下間頼秀(しもつま らいしゅう)は答えた。
「お主を信じるぞ・・・六郎様へは、六郎様ご自身が大阪御坊にお越しくださることが、ご要請にお応えする条件だと、ご返答差し上げろ」
「御意」
 証如は報告にきた坊官に命じた。
「頼秀よ、大阪御坊に可能な限り門徒を集め、六郎様にお越しいただくのだ。そして六郎様のお口から、直接ご要請をいただき、言質をとる。責任をすべて六郎様に負っていただくためにな。そして、私は、この世界の王となる!」
 証如は、扇を開き、大きく両腕を広げた。

「なぜ俺まで呼び寄せたんだ、政長兄」
「六郎様と堺を抜け出すのに、大勢の兵を引き連れては来れへんかった。お前の兵には六郎様の護衛を頼みたいんや」
 6月15日、本願寺の大阪御坊で、三好加介の問いに、政長が答えた。
「よくぞお越しくださいました、六郎様。お初にお目にかかります、本願寺証如でございます」
「証如か、大儀である」
 入室した証如に、六郎が言った。
「河内の畠山義堯様と、堺の三好元長様を討つために、一揆をご所望とのことでございますが、先代の実如が定めた三か条の第一条では『諸国の武士と敵対してはならない。いずれの国の守護とも友好関係を築き折り合いをつけよ』と定められているのでございます」
「だから出来ないと言うのか?」
「そうではございません。武士とは敵対してはならないとはされていますが、他の宗派と敵対してはならないとはされてはおりません。元長様は、法華宗を庇護されておられると聞いておりますが、間違いありませんか?」
「下京や堺の法華宗の者らとは仲が良いと聞いておるが」
「ならば、法華宗を庇護する仏敵として、ご両名の討滅を命じることはできます。それでよろしいでしょうか?」
「構わん。とにかく攻撃してくれ」
「承知しました。それともう一つ。私たちは武士ではありません。兵として訓練をしているわけではないので、統制がとれません。しかも無報酬で動かすのです。多少の暴走や狼藉には目をつぶっていただけないでしょうか?」
「分かった。飯盛城の木沢長政が危ないのだ、すぐに出陣させてくれ。ところで兵はどれだけ集められるのだ」
「兵ではありません。あくまでも門徒です。現在、3万の門徒がこの大阪御坊に集まっておりますが、摂津、河内、和泉で、およそ21万になります」
「21万!それなら、さすがの元長でも勝てまい」
「元長様が、いかにお強い方でも、無駄無駄無駄無駄ッ!まったく無駄ッ!どれだけ抗おうが、無駄な抵抗でございます」
 証如は高笑いしながら言った。
「おい!」
 加介は立ち上がろうとしたが、政長に押さえられた。
「では、3万の門徒に向かって、檄を飛ばしましょう。3階へお越しください」
 3階の露台(バルコニー)に証如が姿を現すと、門徒たちは沸き立った。証如はそれを鎮めると大きな声で叫んだ。
「これより、仏敵を討滅する!仏敵は、河内の畠山義堯と、堺の三好元長だ!この両名は、法華宗を庇護する仏敵である!南無阿弥陀仏の旗の下、仏敵を討滅せよー!」
 証如が拳を振り上げると、門徒たちから大歓声が上がり、「南無阿弥陀仏」と大合唱しながら出陣していった。
「おい、政長兄!どういうことだ!俺の爺ちゃんも殺されちまうじゃないか!」
「じゃあ、長政に嫁いだ俺の妹はどうしたらええねん!」
「・・・」
「加介、お前に頼みがある。お前の快足で、堺にいる千熊丸の身柄を、うまいこと確保してきてくれ。人質にして、阿波の奴らの動きを封じたいんや」
「そのために俺を呼んだのか」
「そうや。頼む!」
「分かった・・・」
「分かってくれたか!」
「分かったのは、政長兄が腐った男だということだ!笑えねえんだよ!政長兄とは絶交だ!」
 加介は駆け出した。

 証如は、門徒と客人を見送った後、大阪御坊の庭から空を眺めていた。
「義兄は、きっと、見ているなッ!私を面白くない人間だとこき下ろした義兄よ、私には、いともたやすく、21万もの門徒を死兵にする力があるのだッ!大和や加賀、三河・・・全国各地の門徒らを含めれば、その数はさらに増す。この力で、私は世界の王となるのだッ!」
 証如は、空へ向かって両手を広げた。

「攻撃されているッ!義弟め、無粋なことを!」
 堺で連歌を教えていた九条行空はつぶやいた。
「義弟って、誰のこと?」
 三好孫六郎(後の十河一存)は尋ねた。
「本願寺証如だ。我が九条家の猶子(ゆうし)となったのだ。箔付けのためにね」
「どんな人なんですか?」
 三好千々世(後の安宅冬康)も尋ねた。
「多くの門徒の陰に隠れている臆病者だよ。僕の飯綱の羽音にも怯えていたっけな・・・とにかく危険だ。僕は避難するよ。千熊丸たち、申し訳ないが、連歌塾も今日で終わりだ。君たちも阿波かどこかへ逃げたほうがいい」

「天狗殿、もう逃げられんぞ。年貢の納め時じゃ」
「あと一歩で落城ですね」
 飯盛山の陣で、三好家長(柚爺)と畠山義堯が談笑していた。
「爺ちゃん!」
 加介が駆け込んできた。
 加介が事情を説明した。
「21万・・・」
 義堯は絶句した。
「これは勝てんな。では、10代と20代の者は、加介と共に堺から阿波へ逃がそう。他にも逃げたい者がおれば逃げてよいことにする。残った者は、討ち死にを覚悟で時間稼ぎじゃ。義堯様は高屋城で籠城されるか、いずこかへ落ち延びられるほうがよい」
「分かった。高屋城で籠城しよう」
「加介様、我が子・頼武を頼みます。私は家長様と命を共にします」
 烏天狗の大西元高が言った。
「分かった。頼武は任せろ」
「加介、阿波へ帰ったら、わしの柚も頼むぞ」
「うん。大事に育てるよ。爺ちゃん、今までありがとう・・・」
「達者でな」
 柚爺は、泣きながら去る加介らを見送った。
「しかし、政長が・・・我が息子のように育ててきた子に、殺されることになるとは・・・人生とは、酸っぱいものじゃな・・・」
 柚爺は陣幕を出て、兵を集めた。
「よし、烏天狗ども、最後の意地を見せてやれ!」
「おう!」
 柚爺たちは必死に戦ったが、皆、討ち死にした。

「我が義弟よ、お前はこの責任を、どうとるのか・・・」
 6月17日、高屋城も落とされ、義堯は自害した。

<<続く>>

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