<<第22章>>
■第23章 兄弟げんかと「飯綱使い」
「またやられた~!孫六郎様はお強いですね~」
顕本寺の庭で、撫養佐五郎(むや さごろう)は、わざと倒された。三好元長の四男・孫六郎と相撲をとっているのである。
その様子を、長男・千熊丸、次男・千満丸、三男・千々世が縁側で、囃し立てながら見ていた。
孫六郎は未熟児で生まれたせいで、他の兄弟と比べると体は小さく、力も弱かった。
「よっ、阿波の神童!」
「阿波の神童がおったぞ!」
「このお方が『阿波の神童』と名高い千熊丸様ですか!」
元長と三好一秀(瓜爺)、三好家長(柚爺)、塩田一忠、松永久秀がやってきた。
(嫌な予感がする・・・)
千熊丸は思った。「阿波の神童」と呼ばれた時は、たいてい無茶振りが始まるのだ。
「ねずみ男!」
千満丸が松永久秀を指差して言った。
「ネズミ?どこに?」
久秀は辺りを見回した。
「千熊丸、お前にしかできない仕事がある。ついてきてくれ」
「分かりました」
千熊丸は元長らと共に出ていった。
「千々世、俺たちは寺の探検でもするか?」
「行きましょう!」
千々世が同意した。
「俺も行く~」
「お前たちは足を洗わなくちゃダメだろう。屋敷を汚したら母上が悲しむぞ」
「分かった~」
母が大好きな孫六郎は納得した。
元長が妻・春のために新築した屋敷は、段差がないだけでなく、縁側や廊下がツルツルに磨き上げられており、中央には天井の高い道場があって、昼間でも誰にも見られないように鍛錬をすることができた。春はこの屋敷を「元長様のお屋敷」と呼んで愛していた。
千満丸と千々世が寺の中を歩いていると、「パチン、パチン」と音がする。
二人が部屋の中を覗き込むと、先生が、頭に寝ぐせのついた男と将棋を指していた。
「寝ぐせ!」
千満丸が言った。
「いや、これは寝ぐせではないのです。何故か、先生に近づくにつれ、このように頭の毛が立ってくるのです」
黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを着た男は言った。
「おお、千満丸と千々世か。この男は意雲(いうん)といってな、囲碁と将棋の達人じゃ」
余談だが、この頃の碁打ちは将棋指しも兼業しており、囲碁だけでなく将棋も強かった。
「そういえば先生、頼まれていた『三国志演義』をお持ちしました。手に入れるのに苦労しましたよ」
意雲は風呂敷から分厚い書物を数冊取り出した。
余談だが、劉備・関羽・張飛の義兄弟や諸葛亮孔明が活躍する「三国志演義」は、14世紀、明の時代に完成した。国際貿易都市の堺にも輸入されていたはずである。
「俺も読みたい!」
千満丸が言った。
「これはわしが先に読むのじゃ。もしわしに将棋で勝てたら貸してやろう」
「よし先生、勝負だ!」
「兄上、将棋をしたことあるの?」
「ない。意雲、遊び方を教えてくれ」
「柚爺、山崎城のほうは大丈夫なのか?」
「加介が随分と頼もしくなってのう。先日の戦で一皮むけたようじゃ」
元長の問いに柚爺が答えた。
「さて、千熊丸の仕事についてだ。俺もますます忙しくなってきた。そこで、海船政所の管理を任せようと思う」
「わしらも手伝うから安心しろ」
「管理の第一歩は銭勘定じゃ。収入は、木材や藍の売上と税収から割り当てられるようになっておる。そこでまずは支出の内容の確認じゃ」
「堺で雇った者の人件費や食費、兵舎や土塀の修繕費、武具や馬の購入費、負傷者のための治療費や薬代など、いろいろありますが、数字が合っているかだけじゃなく、それらがちゃんと支払われたのか、納品に不足はないか、しっかりと確認しなけりゃなりません」
「これが帳簿じゃ」
柚爺が大量の帳簿を示した。
「うわあ・・・」
千熊丸は面食らった。
「勘所が分からないうちは、かなり大変じゃ。そこで、こやつじゃ。摂津・東五百住の地侍で松永久秀という。わしが試験をして採用した。算術と銭勘定が得意じゃ」
「松永久秀でございます。千熊丸様、よろしくお願いいたします」
瓜爺が紹介し、久秀が2本の前歯をのぞかせながらあいさつした。
「久秀は使えますぜ。買い付けをやらせてみましたが、堺の豪商相手に堂々と値切って、随分安くさせましたからね」
一忠も太鼓判を押した。
「それから、緊急時には、俺の代わりに、幕政に関わる仕事もしてもらうかもしれないから、その勉強もしてくれ。特別顧問を呼んだぞ」
「千熊丸ちゃん!」
斎藤基速が部屋に飛び込んできて、千熊丸を抱きしめた。
「『阿波の神童』は大変だ・・・しかし、やらねば・・・」
千熊丸はつぶやいた。
仕事が分かってくれば、ある程度は部下に丸投げでもいい。しかし、その段階になるまでは、やはり大変である。
千熊丸は連日の慣れない仕事のためにフラフラだった。
「兄者、忙しそうだな。息抜きに、俺と将棋でもどうだ?」
千満丸が声をかけてきた。
「兄者?」
「三国志の影響です」
千熊丸の疑問に、千々世が答えた。千満丸は関羽雲長になった気でいるのである。
千満丸は先生に将棋で勝ち、まんまと三国志演義をせしめたのであった。
「息抜きになるなら、やるか」
千熊丸は、千々世と孫六郎が見つめる中、千満丸と将棋を指した。
しかし、あっという間に三連敗を喫した。千熊丸も将棋は決して弱くはないのだが・・・
「やったー!また勝ったー!俺のほうが『阿波の神童』だー!」
千熊丸は、将棋の駒をつかんで、千満丸に投げつけ、千満丸を平手打ちした。千満丸のもっちりした頬は赤く腫れあがった。
「殴ったね!父上にもぶたれたことないのに!・・・将棋に負けたからって!」
「将棋に負けたからではない!お前が軽々しく『阿波の神童』と言ったからだ!確かにお前のほうが賢いかもしれん!お前のほうが『神童』に相応しいのかもしれん!でもなあ、『阿波の神童』は、三好を背負う重い宿命の者の呼び名なのだ!」
ただの息抜きが、険悪な空気になってしまった。
「俺も将棋やる~」
孫六郎が言った。こいつは空気を読まない。
「じゃあ僕が教えてやろう」
千々世がわざと楽しそうに駒を並べだした。こいつは空気を読む。
「やー!」
孫六郎が千々世に駒を投げつけ、千々世を殴った。
「孫六郎、将棋は、駒を投げつけて相手を殴る遊びじゃないぞ!」
千満丸が止めに入った。
「くそ兄上が!くそがー!分からずやがー!」
誰かが激怒する声が聞こえた。
千熊丸たちが顕本寺の広間に駆けつけると、怒声の主は阿波国守護の細川彦九郎であった。赤ら顔が上気し、ますます赤くなっている。
「彦九郎様、もう顕本寺に入りましたから、安心です」
赤沢次郎が落ち着かせようとしていた。
「弟に対して刃物を向けるとは!くそ兄上が!」
彦九郎はまだ興奮冷めやらぬようである。よほどショックだったのだろう。
「どういう経緯でそんなことになったのですか?」
元長が尋ねた。
「元長様の主君は六郎様なのか彦九郎様なのかという言い争いから始まって、弟は兄に従うべきだとか、兄が間違っている場合には弟だからこそ意見を言うのだ、とか・・・そして、六郎様は、彦九郎様に対して、義維様を連れて阿波へ帰れとおっしゃったのです。義維様の将軍就任が阿波衆の悲願なのですから、そんなことできるはずがない、六郎様のほうが阿波へお帰りになられればどうかと、売り言葉に買い言葉で申し上げると、突然、六郎様が刀を抜き、『わしに取って代わるつもりか!殺してやる』と斬りかかったのです」
次郎が説明した。
「可竹軒周聡様たちが六郎様を取り押さえ、刀を取り上げてくださったのですが、我々は念のため、こちらへ退避させていただきました。突然で申し訳ございません」
次郎が詫びた。
「それは構わないのだが、六郎様が、細川京兆家当主の座を奪われるとの疑念を抱き、殺してやるとまでおっしゃられたのであれば、用心するに越したことはない。本気ではないと信じたいが・・・」
元長が言った。
その後、元長が六郎に面会を申し入れたが、拒絶された。
六郎側は、顕本寺と引接寺との間に、バリケード状のものを設置し始めた。彦九郎が軍事力をもつ元長の下へ走ったので警戒したのだ。
やむなく元長も、同様の工事を始めた。顕本寺の皆を守るためである。
両方の寺の位置関係を説明しよう。環濠都市・堺の東の濠に「翁橋」という橋がかかっていた。ここから西へ「甲斐町通」という道が延びている。甲斐町通の北側に顕本寺があり、その少し西の南側に引接寺があって、この2つの寺は斜めに向かい合っているのだ。その甲斐町通の両側にバリケードが設置されたため、遠回りをしなければ南北の行き来ができなくなった。
顕本寺の東に隣接する開口神社には入れるようにされたものの、堺の町民にとっては非常に迷惑なことである。
8月、六郎と彦九郎は、互いに兵を集め、籠城する形になった。
「千熊丸、義維様から書状が来ているぞ」
元長が千熊丸に書状を手渡した。
「しかし、書状や使者でのやり取りしかできんのは、面倒だな」
元長は溜息を吐いた。
千熊丸は書状を読んだ。
「何と書いてあるんだ?」
「連歌の達人のご紹介です。九条稙通(たねみち)様だそうです」
「摂関家の九条稙通様か!公家の中で一番位の高い方だ・・・ただ、没落され、貧窮されているとも聞く。謝礼は相場の倍をお支払いすると言えば、喜んで教えてくれるはずだ」
「『弟たちも連れていけ。気に入れば連歌を教えてくれる』とも書かれています」
「弟子を多くして、その分、謝礼も増やしたいのだろう。4人で行け」
「九条稙通様のところへ連歌を習いにいくぞ。皆、ついてこい」
千熊丸は弟たちに声をかけた。
「俺は行かない。先生が三国志演義を読ませてくれというので、これから一緒に読む約束をしているんだ。それに、どうせ連歌も俺のほうが兄者よりも上手くなって、兄者に殴られる」
千満丸は答えた。
「殴ったのは悪かった。二度と殴らないから許してくれ」
「別にもう怒っていない。とにかく、兄者と同じ習い事はしないと決めたんだ」
九条邸へは、千満丸を除く3人で向かうことになった。
「千熊丸か。大儀である」
「この度は連歌をご指導いただけるとのこと。誠にありがとうございます」
堺の九条稙通の屋敷で、千熊丸は稙通に礼を言った。
「まだ教えるかどうかは分からんぞ」
「謝礼は相場の倍をお支払いさせていただきます」
「落ちぶれた僕にとっては魅力的な提案だな」
「では・・・」
「だが断る」
「えっ?」
「僕は面白いと思ったことしかしない主義なんだ。公家としての最低限のお務めはするけどね。面白いと思ったことは、命を賭けてでもやる。でなきゃ人生つまらないじゃあないか。銭など関係ない。君たちが面白いのかどうか見せてくれ」
「どのようにすれば・・・」
「君の心からの願いは何だ?」
「・・・連歌の上達です」
千熊丸は答えた。
「つまらんな。連歌を習いたいがために、僕に忖度したのか?・・・君はどうだ?」
稙通は千々世に尋ねた。
「僕は、みんなを守りたい」
「まだマシだが、ありきたりだ。それに抽象的過ぎる・・・君はどうだ?」
稙通は孫六郎に尋ねた。
「俺は、母上のような体の大きな女を嫁にしたい!」
「ほほう。母上の体の大きさはどれくらいだ」
「誰よりもデカい」
「千熊丸、本当か?」
「・・・はい。母より大きな人間は、見たことがありません」
「ははははは。とても具体的で鮮明な願いじゃあないか。理想の女性像が、この歳にして既に定まっているのも、とても良い。源氏物語の光源氏を彷彿とさせるな」
稙通は笑った。
「君たちは、これが見えるか?」
稙通は障子を開け、何かを迎え入れて、抱きかかえるような仕草をした。
「鳥が飛んできた!」
孫六郎が叫んだ。
「君には見えるのか?」
「ぼんやりとだけど、眼が大きくて首のない鳥が見える」
「この鳥はフクロウという。僕の『飯綱』だ。かなり遠くに飛ばせるし、視覚も共有できるのだが、力は小さい。紙を持ち上げたり、ちょっと風を起こしたりするのがやっとだ」
畳の上の書物のページがめくれていった。
「鳥が本を読んでいる」
孫六郎は言ったが、千熊丸と千々世には風でページがめくれているようにしか見えなかった。
「君たちは『飯綱の法』という魔法を知っているか?」
「細川政元様がお使いになられたと聞いています」
第2章に書いたが、「飯綱の法」は、「ジョジョの奇妙な冒険 Part3 スターダストクルセイダース」以降で登場する「スタンド」のようなものと考えてほしい。
「そうだ。政元も使っていたという魔法だ。僕も、政元と同じく、飯綱の法を成就したのだ」
「俺も魔法を使いたい!」
「君は使えるようになるはずだ。心に強くはっきりとした願いをもっているうえに、飯綱が見えるのだからな。どんな飯綱を使えるかは、精神の持ちようによる。君はきっと、理想の女性を見つけられる飯綱を使えるようになるはずだ」
「やったー!」
「稙通様はどのような願いをお持ちだったのですか?」
「僕は九条家の嫡男として生まれた。僕の親は、僕にあらゆる教養を身に着けさせようと、毎日学習漬けにしたんだ。僕は外にも出してもらえず、ただ空ばかり見上げていた。ところが、源氏物語で光源氏は、天皇の落胤でありながら、自由に行動しているではないか。僕もいろいろな場所を旅して、この目で様々な風景や面白いものを見たかったんだ」
「稙通様の他に飯綱使いはいるのですか?」
「いる。丹波・亀岡に、亀岡亀蔵という漬物屋がいるのだが、腰を悪くして、漬物石を運ぶことができなくなったらしい。自分の思い通りに動く漬物石がほしいと願っていたら、大きな亀の飯綱を使えるようになったそうだ」
「どうやったら飯綱使いになれるの?」
「はっきりとは分からないのだが、僕も亀蔵も、矢に射られた後に、飯綱が使えるようになったのだ。僕の場合は、戦のどさくさに紛れて屋敷の外に出てみたら、流れ矢に射られたのだが・・・変な形をした矢だった」
稙通は兄弟の質問に答えた。
「僕が飯綱を使えるようになった時、頭の中にふと『上空』という言葉が浮かんだのだ。僕の飯綱は上空を飛ぶから、それが飯綱使いとしての僕に相応しい名前なのかもしれない。でも、おかしいじゃあないか。『九条上空』なんて。『条』の後に、同じ読みの『上』が続くなんてさあ。だから、僕の号は、行く空と書いて『行空』としたよ。今後は行空と呼んでくれ」
「行空様」
「行空様」
「ジョギョ様」
孫六郎だけは「ジョギョ様」と呼んだ。
「やはり君は面白いなあ。では、君だけに連歌を無料で教えよう。他の2人は帰りなさい」
「えー、兄ちゃんたちとじゃなきゃ嫌だ!」
「チッ・・・仕方がない。ただし、君たち2人は月謝を払うんだぞ」
こうして3人は九条行空から連歌を学ぶことになった。
<<続く>>
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