<<第17章>>
■第18章 元長、阿波へ去る
「執事の心得~~~っ!主君のためなら、たとえ火の中、水の中!」
朝の港で、高齢の撫養修理進(むや しゅりのじょう)が叫んだ。修理進は、撫養掃部助(かもんのすけ)と撫養隠岐守(おきのかみ)の父である。今は家督を掃部助に譲り、後進を指導している。
「主君のためなら、たとえ火の中、水の中!」
河童たちが唱和した。その中には、石成友通(いわなり ともみち)と撫養隠岐守、阿古女(あこめ)もいる。
「執事は愛嬌!執事は度胸!」
「執事は愛嬌!執事は度胸!」
「がっぽり稼いで、健全財政!」
「がっぽり稼いで、健全財政!」
「では、仕事に取り掛かれ!」
修理進が号令をかけた。
「友通殿、今日の仕事は、そこに浮かんでいる丸太が、帳面通りにあるか確認することだ。筏の形に組んであるから、筏から筏へ飛び移り、刻印と本数を確認して、縄が緩んでいたら縛り直してくれ。堺へ出荷する前の最終確認だ。しっかり頼む」
「はい!」
「がんばって!」
隠岐守が説明し、阿古女が声援を送った。
友通は筏から筏へ飛び移り、丸太を確認していたのだが・・・足を滑らせ、水の中に落ちてしまった。
「わはははは。新入りが落ちたぞ」
皆が大笑いした。
しかし、いつまで経っても友通は浮かび上がってこない。
「・・・まさか・・・」
隠岐守は水に飛び込んだ。
友通は水中で溺れていた。隠岐守は友通を抱きかかえ、筏に引き上げた。
「はあ、はあ、はあ・・・ありがとうございます」
「泳げないのか?」
「泳げるはずなんですが・・・水に落ちた瞬間に、あの日のことを思い出して、体が動かなくなってしまって・・・」
細川尹賢(天邪鬼)と木沢長政(天狗)に追い詰められて、真冬の海に飛び込まざるをえなかった友通は、仮死状態にもなったためか、心に深い傷を負い、泳げなくなってしまったのだ。
「川太郎、もう二度と死なないで!」
阿古女がやってきて、友通を抱きしめた。
「・・・おかん・・・」
友通は阿古女の胸の温かさの中で泣いた。
「やっと捕まえたぜ、この野郎!」
4月、大和の法華寺で、柳本賢治は、大和で最大の勢力をもつ国衆・筒井順興を縛り上げていた。
「俺たちが京へ引き揚げたと思って油断しただろう」
「・・・」
「お前には本当に手を焼かされたぜ。俺たちを見かけたら、すぐに山の中に逃げ込むしな。逃げ足だけは異常に速いよな」
「・・・」
「お陰で、いい経験値になったぜ。力が一段、上がった感じだ。今なら元長にも勝てそうな気がするなあ」
「・・・」
「お前、その兜の前立て、銀製じゃねえのか?金持ちだなあ」
筒井順興の兜には、雫型の銀の塊に笑顔が彫られた前立てが取り付けられていた。
「銭、貯め込んでんだろ?礼銭として3千貫出せ。それから、私段銭(したんせん)も大和一円から徴収させてもらうからな。抵抗せず、協力しろよ。でないと次は、ぶった斬るぞ」
筒井順興はうなずいた。
私段銭とは、個人的な目的で徴収する臨時の税のことである。
「甚次郎、この銭で、京の三条に城を建てろ」
「はい」
賢治は、柳本甚次郎に指示した。
「次は負けねえぞ、元長」
「元長殿、えらく出世したらしいな」
六角定頼は作り笑いで言った。
「この度、下山城守護代に任じられましたので、ご挨拶に参じました。今後ともよろしくお願いいたします」
三好元長はお辞儀をした。同行している三好一秀(瓜爺)もお辞儀をした。
定頼は、東寺に単身で乗り込むほどの元長の強さを恐れ、元長と会うのを渋っていた。しかし、守護代就任の挨拶と言われれば、会わないわけにはいかない。近江に隣接する山城の元長と大和の柳本賢治の軍事力も脅威だった。
「賢治もぶちのめしたらしいな。聞いてるぜ。しかし、内輪揉めはまずいんじゃねえか」
「お恥ずかしい限りです」
「松井から聞いてると思うが、俺は既に、高国とは縁を切ったからな。六郎殿との縁談を前向きに検討しているところだ。もう、お前たちの味方だ。安心してくれ。一秀殿、もう俺を殺すとか言うなよ」
「もちろんですとも」
瓜爺(一秀)は笑顔をつくった。
「ところで、高国は今どこに?」
「伊賀に入ったらしいが・・・今頃、伊勢あたりにいるかもしれん。詳しいことは知らん」
「もう二度と京に攻め入られぬことを願うばかりです」
「そういえば、地子銭を徴収しちまったらしいな。義晴様は大層落胆されているぜ」
「俺の不徳の致すところです。お詫びのしようもありません」
「誰かにハメられたんじゃないのか?」
「仮にそうであったとしても、すべて、守護代の私の責任です」
「言い訳を一切しないのは、漢だな。嫌いじゃないぜ・・・どうだ、この際、義晴様に将軍をお続けいただくというのは。あのとおり、武士の棟梁に相応しい、良い漢だぜ」
「それはまったくありえません。我々阿波勢の悲願は、義維様が将軍になられること。それに、義維様も素晴らしいお方です」
「貴殿の考えは、そういうことか・・・まあ、六郎殿との交渉については、松井が窓口だ。松井と話をするとしよう・・・土産に鮒寿司を用意してある。持って帰ってくれ。高級な鮒寿司だから臭くはないぞ。安心しろ」
「ありがとうございます。それではこれにて」
元長たちは去っていった。
「元長が勝つのか、それとも、賢治と松井が勝つのか・・・しばらく様子見だな」
「康長、近江の土産の鮒寿司じゃ。喰ってみろ」
「いただきます!ちょうど腹が減ってたんだ」
瓜爺(一秀)がヤス(三好康長)に鮒寿司を手渡した。
「定頼殿は、どうじゃった」
柚爺(三好家長)が尋ねた。
「松井殿がうまく交渉してくれているようです。高国とは縁を切り、六郎様との縁談を進めているので、もう我々の味方だと」
「よかったじゃねえか。松井殿は優秀だな・・・ただ、その松井殿が、京では、柳本姓の奴らと一緒になって、未だに俺たちの邪魔をしてくるぜ」
加地為利(一つ目)が言った。
「京の三条では、賢治殿の家臣らが、何やら造り始めています。どうやら城のようです」
塩田胤光が報告した。
「またわしらと一戦交える気か。懲りとらんようじゃのう」
瓜爺が嘆息した。
「こっちをクビになった茨木長隆(茨木童子)が、六郎様の下で奉行人として働き始めました。堺でデカい顔してますよ」
塩田一忠が言った。
「上司の命令を無視して独断専行した浪人を即座に雇い入れるとは。地子銭の件は、やはり松井あたりが長隆にやらせたのではないか」
柚爺(家長)が推測した。
なお、東寺へ元長が単身で殴り込みに行ったことは、下山城守護代の任命直後に、ここにいる重臣らには話している。ただ、三好政長については、賢治と兄弟分であるために、情報漏洩をおそれ、少し距離をとっていた。
「下山城の守護代に任命されたとはいえ、これでは火種を抱えたままじゃ。まずいぞ」
瓜爺が心配した。
「六郎様に、取りなしてもらうよりほかはないな。万が一、六郎様が、賢治殿の味方をするというのであれば、六郎様の信頼を得られていなかった俺のほうに非がある。俺が引こう」
「まあ流石にそんなことはないだろう。阿波からずっと支えてきたんだぜ」
為利(一つ目)が言った。
「ところで康長、鮒寿司はどうじゃ?」
瓜爺が尋ねた。
「美味いぜ。最初は臭いと思ったが、クセになる味だな、こりゃ」
「よし、毒見は終わった。皆で食べよう」
瓜爺が言った。
「おい!」
ヤスが叫んだ。
「面(おもて)を上げよ」
8月、引接寺の大広間で、堺公方・足利義維が言った。
大広間には、六郎方の武将が勢ぞろいしている。細川尹賢(天邪鬼)の姿はない。
「元長から、京のことで話があるのだな」
「はい。1年前に、俺を下山城守護代に任じていただきましたが、賢治殿と松井殿が、荘園の代官職を横取りしたり、寺社から勝手に礼銭を徴収したりして、大変困っております。それらを直ちにやめ、両名には、京からご退去いただきたい」
「お前には京を任せられねえんだよ!俺は大和も平定したんだ。下山城も俺に任せやがれ!」
「賢治殿との決着は、正月に大山崎でついているはずだ」
「もう一度やってやる!今度こそお前らをコテンパンにしてやる!」
「三条の築城も中止されよ。京で我らが争うなど、無益というほかはない」
「言い争いはやめよ!静粛に!下山城守護代は元長である。元長の主張はもっともだと思うが、山城国守護でもある六郎はどうだ?」
義維は尋ねた。
「・・・」
「六郎は、まだ若輩ゆえ判断ができないのです。義維様のおっしゃるとおりにせよ!六郎!」
可竹軒周聡は強い口調で六郎に迫った。
「わしはあああ!!管領になってえええ!!この乱世をおおお!!ウグッブーン!!この乱世をおおお!!ア゛ーーア゛ッア゛ーー!!変えだいいい!!その一心でえええ!!阿波から海を渡りいいい!!縁もゆかりもない堺へえええ!!やっとおおお!!やってきたんですううう!!」
六郎は号泣しながら叫んだ。
「元長はあああ!!下山城守護代を1年もやりながらあああ!!何をしていたんだあああ!!何故えええ、政長のようにいいい、賢治殿と仲良くできないのだあああ!!ウワッハッハーーン!!お前はあああ!!阿波へ帰れえええ!!阿波へ去ねえええ!!」
「泣くな、馬鹿者!恥ずかしい!」
可竹軒周聡は立ち上がり激怒した。
「感情的になりましたことを、お詫び申し上げます。誠に感情的になって、申し訳ございませんでした」
六郎は急に冷静になって謝罪したが、六郎の異常な様子に、場は静まり返った。
「・・・では、六郎様の仰せの通りに、俺は阿波に帰ることにします」
「待て!早まるな、元長殿!」
畠山義堯が声を上げた。
「六郎様の信頼をこれほど損なっていたとは・・・俺の不徳の致すところです。このような有様では、今後の幕政に支障をきたすはずです。私は阿波へ身を引きます」
「駄目だ!まだ高国は生きているのだぞ」
「三好勢の指揮は、政長に任せます。政長なら上手くやるでしょう。では、これにて御免」
元長は顕本寺に重臣を集めた。
「皆、急なことですまんな。これからは政長を支えてやってくれ」
「そんなことできるかよ!俺も元兄と一緒に阿波へ帰るぜ」
「わしも帰るか。岩倉城の瓜が心配じゃ」
瓜爺(一秀)とヤス(康長)は、共に帰郷することにした。
「政長は、わしの息子同然じゃ。政長を支えてやろうと思う」
柚爺(家長)と加介は残ることにした。
「俺の役割はここまでだったのかもしれない。無事に京も取れたしな」
「だとしても、もう少し報われてもいいじゃねえか」
「義維様が将軍になり、六郎様が管領になれば、それでいいじゃないか。その晴れの姿を、見られそうにないのが残念だが」
「それにしても、なんだ、あの六郎様の号泣は!情けない・・・」
「言うな、為利。精一杯、ご自分の本心を述べられたのだ」
「元長様が帰るなら、やる気が出ねえな」
「一忠、そう言わずに政長を支えてやってくれ。下山城の郡代の皆には苦労をかけるが、賢治殿と上手く折り合ってくれ」
元長らは阿波へ去った。
「高楼の最上階まで登ってええか?」
「お好きにどうぞ。あんたが大将なんだから」
堺の海船政所で、三好政長の問いに、塩田一忠が答えた。
政長は、妻のお柚、息子の柚太郎と共に、高楼の最上階から、晴れ渡る風景を見下ろした。
「この風景、手放したくないなあ・・・」
政長は呟いた。
(こうやって、有力な武将の家を丸ごと乗っ取れば、簡単に成り上がれるやないか。木沢長政と池田信正に妹たちを嫁がせれば、もしかすると・・・)
政長の胸に、良からぬ野望が湧き上がった。
「父上がここの大将なの?」
柚太郎が尋ねた。
「そうや。俺がここの大将や!」
「わーい、僕の父上がここの大将だぞ!皆の者、控えおろう!」
柚太郎がはしゃいだ。
「けっ!」
その様子を離れた場所から見ていた一忠が、不快そうな顔をした。
<<続く>>
コメント