■教行寺(きょうぎょうじ)

神社仏閣

今日は、阪急富田駅から南へ徒歩10分の「教行寺(きょうぎょうじ)」じゃ。
三好長慶の重臣・篠原長政を、わしは「子泣き爺」として書いておるが、その長政の子の篠原長房は、三好長慶の弟・三好実休の重臣じゃった。その篠原長房の妻が、教行寺の住職・兼詮(実誓とも。蓮如の孫)の娘じゃったのじゃ。
三好長慶が大河ドラマになれば、篠原長政・長房の親子も確実に登場する。押さえておこう。
なお、この長房の妻は、長房が討ち死にした後、豊臣秀吉に女官として仕えた(「戦国三好氏と篠原長房」戎光祥出版)。

本堂じゃ。なお、ご住職は「山門本堂はいつも開けています。境内で遊ぶ猛犬(ポチ)を気にしないで、ご自由にお参りください。」と申されておるのじゃが、わしは猛犬が怖いので、門の外から撮影したぞ。

ここに書いてあるとおり、教行寺は一向宗の拠点じゃった。三好長慶の父・三好元長が、主君・細川晴元が仕掛けた一向一揆に討たれた後、その一揆勢が暴走し、近畿内で滅茶苦茶に暴れまくって、晴元や本願寺証如の手にも負えなくなり、その争いの中で、教行寺も焼き討ちにあったのじゃ。
なお、その大きな争いを和解させたのが、12歳の三好長慶じゃ。何故そんなことができたのかは、謎じゃ。しかし、大河ドラマになれば、それが見どころの一つになる。脚本家の腕の見せ所じゃな。わしの「勝手に大河ドラマ『三好長慶』」の続きにも、乞うご期待じゃ。
その後、教行寺は、足利義昭を奉じて摂津へ侵入した織田信長にも攻められた。

その頃の富田は、上の図のように、環濠で囲まれた寺内町であったようじゃ(「日本城郭体系12」の「富田寺内絵図」)。

少し離れた場所には「蓮如上人の腰掛石」があるぞ。蓮如上人が、この石に座って布教したそうじゃ。
余談じゃが、この教行寺を創建した蓮如上人(浄土真宗の中興の祖)と、アニメ「一休さん」で有名な一休宗純和尚は、大変仲が良かったそうじゃ。

教行寺の前の掲示板じゃ。「私の故郷能登七尾が大変 地震災害どこでもおこる どうかそんな時 人にやさしくしてください 坊守」。


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